猿夢・怪人アンサー
心霊研究会
『猿夢』。
近代化した社会で発生した
より恐ろしい死を想像させながら、しかし出遭った男は生きている。
『口裂け女』や『紫の鏡』のように、理不尽な結末に対して『べっこう飴』や『白い水晶』といった
『猿夢』の
「……上等じゃないですか」
大学の資料室で『猿夢』に関する資料をパソコンで、『夢』に関する資料を紙で探していた音葉はそう呟いた。
『紫の鏡』に襲われた時、音葉は法律という知識によって『ティンダロスの猟犬』をあの場に召喚し、生き永らえた。
しかし『猿夢』に法律は通用しない。夢に関する法律も、過去の判例も、現代にはなかったからだ。
それでもなお、音葉は諦めない。諦めきれるものではなかった。
「深淵の底を私が覗くのが先か、私の底を深淵が覗くのが先か、試してみましょう」
それでも音葉は知らなければならない。生き残る為には、探究するしかないのだから。
決意を固めた音葉はこれ以上の情報を調べられないであろう大学を後にし、最寄り駅とは反対方向に歩みを進めた。
十五分ほどだろうか、音葉が足を止めたのは大学を含む街の中心部から少し外れた場所に立つマンションだ。
かつて一度だけ訪れた時の記憶を遡り、目的の階を思い出すとエレベーターのボタンを操作する。
十二階建ての六階、その角にある部屋こそ、今の音葉の目的地。
「……」
西洋風の建物であるマンション、その角部屋の玄関前に不自然に付けられた木の板の表札には、達筆な筆字で『兎羽』と書かれていて、その横にもう一枚、『心霊研究会』と不自然な単語がやはり達筆な筆字で書かれて吊るされていた。
インターホンを鳴らし、暫く待つが反応はない。それは二度繰り返しても同じだった。
一応メールで訪れる旨は伝えていたが、見ていないのか。溜息を吐くと音葉はドアノブに手を掛ける。
ドアノブは何の抵抗もなくガチャリ、と回った。
玄関から覗くこの部屋はワンルームマンションである為にその全貌があっさりと分かる。部屋にある照明は付けられておらず、日当たりの良いはずの窓は閉め切られ、部屋は薄暗かった。
「っ……!」
部屋の中央にテーブルを挟んで向かい合うように設置された二つのソファ。その一方の影から、押し殺したような声が聞こえた。
音葉は息を飲みながらもドアを潜り、全身を部屋に入れると玄関の傍に設置された電灯のスイッチを入れる。
「うっ……はあっ!?」
光で照らされた部屋に響く悲鳴のような奇声。
音葉は靴を脱ぎ、影になっているソファへと回り込む。
そこには紺色のツナギを着た少女が両手足を鎖で繋がれ、頭部に何かの機械を着けた状態で横たわっている。
「おっ……!」
音葉は無言でソファに横たわる少女の頭に付けられた機械を乱暴に取り外した。
「おお……?」
「相変わらずの変態ぶりですね」
呆れたように言って、音葉は取り外した機械、ヘッドマウントディスプレイをテーブルに置く。
その少女は目を瞬かせると、不思議そうに言う。
「あんれー? おっちゃん?」
「その呼び方はやめてください。小学生の時の同級生を思い出します」
「モテモテだったんだねえ」
「メール、見ていないんですか」
「この状態だからねえ」
茶化しを無視して話を進めるが、少女は悪びれた様子もなく両手を上げ、鎖で拘束された手足を示す。
「いつでも連絡しろと言っておいてそれですか」
「まさかおっちゃんから連絡が来るなんて思わなかったからさ」
「その趣味、すぐにやめる事をお勧めしますよ、
「他に面白い事が見つかったらね」
少女の鎖を外しながら音葉は忠告するが、奏と呼ばれた少女は改める気を見せなかった。
「……私は面白くも何ともないですが、あなたにとっては面白いかもしれませんね」
「……へえ?」
音葉が疲れた表情で口にした言葉に、
「まあ座ってよ、今お茶でも用意するからさ」
◇ ◇
音葉と同じ大学の工学部に所属する、同期の学生。
手足を拘束してのホラー映画鑑賞という倒錯した趣味を持つ十九歳の少女である。
『心霊研究会』という非公認サークルの主催者であり、唯一の参加者。
そして音葉の数少ない知人の一人。友人と認めるのは、その趣味が変わらない限りありえないだろう。
「『猿夢』ねえ」
音葉は入学以後、幾度となく彼女に『心霊研究会』の参加を打診されていた。勿論、音葉がそれに首を縦に振ることはなかった。
それでも奏が諦める事無く音葉の勧誘を続けるのは、
「あれって心霊現象でもなんでもない、ただの都市伝説でしょ? 幽霊なんかよりもよっぽど胡散臭い話を、『聞こえる』癖に信じないおっちゃんから聞くなんて思わなかったよ」
音葉の霊感を大学内で唯一知っているからだ。
「……事情は説明できませんが、『猿夢』について知っている事を教えてほしいんです」
手足を拘束を解き、音葉と奏はテーブルを挟んでソファに座っていた。
音葉は自らが出遭った
「嫌だね」
バッサリと、奏は音葉の頼みを断った。
「……」
「事情を聞かなきゃ、協力はしない」
「それは……」
「私は一から十まで説明したよね、説明した上で、おっちゃんは『心霊研究会』に入る事を断った。でも私は約束するよ? 事情を話してくれたなら、私は一から十まで、おはようからおやすみまで、おっちゃんに協力するって」
「……巻き込みたくありません」
「ダウト。巻き込みたくないなら、そもそも私の所まで来ないでしょ? 巻き込んでまでどうにかしなくちゃならない状況になったから、おっちゃんは此処まで来た。違う?」
図星、とまではいかないが奏の指摘は間違っていない。
音葉は自分ではどうしようもできない、そう判断したから此処まで来た。
巻き込みたくないというのは本心だが、普段は避けている奏の下を訪れた時点で奏が興味を持つ事は予想出来たはずだ。
「……信じてもらえるかは分かりませんが」
自身の浅はかさと白々しさを恥じながら、音葉は前置きする。
「信じるよ。おっちゃんの言う事だもん」
生来、音葉は人付き合いが得意ではない。
奏に対しての対応も決して人当たりの良いものではなかった。自身が隠してきた霊感について知られた為に、その対応は他の人よりも冷たいものだったと言ってもいいだろう。
それでもそう言い切る奏の心境がどんなものなのか、音葉に知る術はなかった。
「
音葉が自分の身に起こった全てを語り終えた後、奏はヘッドマウントディスプレイを手で弄びながら、興味深そうに繰り返した。
「不謹慎かもだけど、なんでそういうのが私じゃなくておっちゃんの身に起こるのかなあ」
「本当に不謹慎ですね」
ジト目で奏を睨みながら、音葉が不満そうに言う。
「『見える』私と『聞こえる』おっちゃんで良いコンビになると思ってたのに、おっちゃんに先を行かれちゃったな」
「……」
残念そうに奏は言うが、音葉には一歩先んじているなどという意識は全くない。むしろ墓穴を掘って埋まっていっているようなものだ。
『心霊研究会』に奏が音葉をしつこく勧誘する理由はそこにある。
音葉が聞こえるように、奏にも見えるのだ。本来は見えるはずのないものが。
「霊感の有無とは別に何か条件があるのかもしれないけど、まあそれは追々考えるとして」
ヘッドマウントディスプレイを弄ぶ手を止め、奏は部屋に置かれた本棚から四つのファイルを取り出すとそれをテーブルに置いた。
「これは?」
「私が小中高大と収集した、近隣で流れていた怪しげな噂」
「……昔からそんなだったんですか?」
「失礼な! 私がオカルトにハマりだしたのは、見えるものは見えるものと受け入れたのは高校時代からだから、それ以前のは精度が落ちるけどね」
同じく霊感を持つ音葉には、どうして自分からそんなものを収集するのか理解出来なかったが、その行動力には驚かされる。
「つまり文字通りの都市伝説なわけだけど、そのほとんどが根も葉もない噂。マジモンの心霊現象なんて数える程だった」
「本物もあったんですね……」
「この目で確かめたよ」
嬉しくない保証付きに音葉の顔は引きつる。絶対に近づかないようにしようと心に決めた。
そんな音葉の決意はさて置いて奏は一つのファイルを開いてとあるページを指さす。
「で、その集めた噂の中にはおっちゃんが遭ったっていう『紫の鏡』もあったよ。それとセットで『白い水晶』の噂もね」
「……」
自身が遭遇した『紫の鏡』の名を出され、音葉の体が強張る。それを悟られぬように音葉は先を促した。
「これは全国的に有名な
「ですが私は確かに見ました」
「うん。それに『猿夢』に関してはおっちゃんが調べたように、ネット発祥で街で噂になった事はない。おっちゃんの予想通り、その大師って奴がきっかけだと考えるのが妥当かな」
「……ですが、彼はもう」
音葉に『紫の鏡』と『猿夢』という
「それなんだけどさ、どうしておっちゃんは素直に大師が死んだってそう思うのさ?」
「……え?」
「だって見るからに、いや聞くからに怪しげな奴じゃんか。最初に会った居酒屋の時だって子供が一人で入れる場所じゃないし、二度目の電車に至っては夢か現か分からない中ででしょ? そんな奴がどうして素直に死んでいるって思うの?」
「……それは」
奏の指摘に音葉も考える。
初めて会った時は酔っていたとはいえ、怪しすぎる大師を大した違和感もなく受け入れ、二度目の電車は『紫の鏡』の後だというのに、意識しなければ警戒すらしなかっただろう。
大師からは悪意を感じず、そこにいるのが当然であるかのように疑問に思わなかった。
「その大師もきっと、
その評価には苦言を呈したいが、しかし奏の言う事は尤もだ。
あんな存在がそう簡単に死んだとは思えない。それに『また会えると嬉しいな』と再会を示唆する言葉まで残していた。
「それだけじゃ分からないけど、そいつはきっとそういう性質を持つ
「はい」
奏の言う通り、大師については今はまだ何も分からない。それよりも今は、音葉を襲う『猿夢』の都市伝説についてだ。
「おっちゃんの危惧する通り、おっちゃんが『猿夢』に出てくる抉り出された女である可能性は高い。『猿夢』のセオリー通り、って言えるか分からないけど、それを語る男のように明晰夢として『猿夢』を見るのが一番の
「ですが私は今まで明晰夢を見た経験なんてありません」
「明晰夢を見る訓練もある事はあるけど、確実じゃないね。おっちゃんが此処に泊まり込んで、眠った瞬間に叩き起こして夢なんて見せないって方法もあるけど、これも現実的じゃない。私もおっちゃんも体がもたないし」
「……」
音葉にはそれ以上の
音葉と同じように霊感を持つ立場でありながら、音葉とは全く違う考えを持つ彼女の所へ。
「私が今すぐ提案できる方法は二つ。両方とも確実じゃないけどね。一つは『ティンダロスの猟犬』みたいに『クトゥルフ神話』の力を頼る方法。これはもう一度『猿夢』を見た時のぶっつけ本番になる。もう一つは同じ
「……奏さんを信じます」
自信ありげな奏に、音葉はそう答える。
元々自分では思いつかなったのだ、荒唐無稽な話を信じた知人を信じる事くらいしか、音葉には出来なかった。
「おっちゃんならそう言ってくれると信じてたよ」
「それで、その方法は?」
「ねえおっちゃん。『怪人アンサー』って知ってる?」
◇ ◇
奏は音葉の物も含めて十の携帯電話を用意すると、それを操作しながら説明する。
「『怪人アンサー』っていうのはね、『猿夢』と同じでネットで広まった
一つ一つに電話番号を打ち込んでいき、器用に十本の指を使って同時に電話を操作した。
それぞれの電話は着信音を鳴らす事無く、通話中の文字が表示される。
「当然、電話は全部通話中になって繋がらない。だけど一つだけ、ガイダンスじゃない別の誰かに繋がる。それが『怪人アンサー』」
一つ一つ、電話を耳に当てていった奏が音葉のスマートフォンを耳に当てた時、笑みを深くした。
音葉のスマートフォンを操作し、会話をスピーカーにすると、他の携帯電話を乱雑にテーブルの上から落とした。
「『怪人アンサー』はこちらの質問にいくつか答えてくれる。それがいくつかは語られてないけどね」
『……ワタシはアンサー。アナタの質問に真実を答えましょう。ですが最後に一つだけ、ワタシの質問に答えてもらいます』
スピーカーから聞こえてきた男のようにも女のようにも聞こえる怪人の声に、音葉は目を見開いた。
「答えてくれる質問の数は一定じゃない。三個だったり、十個だったりとバラバラだ。一つ目の質問。あなたはいくつ私の質問に答えてくれますか?」
『お答えします。ワタシはアナタの質問に六つ答えましょう』
「今回は六つみたいだね。なら二つ目。あなたの最後の質問に答えられなかった場合、私はどうなりますか?」
『お答えします。アナタがワタシの質問に答えられなかった時、ワタシはアナタから体の一部を頂きに参ります』
怪人が語る真実に音葉は息を飲み、奏を見る。
しかし奏は笑っていた。初めて出遭うはずの
「三つ目。おっちゃんが出遭った大師の正体は?」
『……お答え出来ません。別の質問にしていただけますか?』
「ふむ。真実を語る
『お答えします。『クトゥルフ神話』はアメリカの小説家によって作られた架空の神話です。現在も複数の作者により、シェアード・ワールドとして新たな作品群が生まれています』
「これは質問が悪かったか。それとも意図的にこっちが求めるのとは違う、嘘ではない真実を語っているのかな?」
淡々と淀みなく質問を続ける奏だが、それを見守る音葉は気が気でない。
アンサーの答えが真実だというなら、最後の質問に答えられなければ体の一部を取られてしまう。
一体どんな質問をされるのかも分からないのに、奏には答える自信があるというのだろうか。
「では四つ目。『猿夢』の
『……それはあなたが既に知っています』
「成程ね。それも確かに真実だ。屁理屈だけど、まあ太鼓判を押されたって事にしておくか」
「か、奏さん!
「それは『怪人アンサー』の
音葉の焦った声に苦笑して、奏は通話を終了しようと画面をタッチするが、通話は終わらない。
「最後の質問に答えなければならない、っていうのも含めて
「……!」
既に
だがこの『怪人アンサー』の
質問に答える、という
「五つ目。あなたの最後の質問の答えは?」
「え?」
奏の口から出た五つ目の質問に、音葉は呆けた声を発した。
旅人がランプの精にそんな願いを言わなかったように、七つの玉を集める冒険漫画の登場人物たちがそんな願いを言わなかったように、そんな質問をするなんて発想がなかったからだ。
『お答えします。14794日目です』
(こ、答えた……!)
あまりにもあんまりな質問に、『怪人アンサー』は淀みなく答えた。
暗黙のルールともいえる決まりを破った奏は呆気に取られる音葉に向かってグッとサムズアップを見せる。
「それじゃあ最後の質問」
これ以上何を聞こうと言おうのか、と音葉は恐れながらも耳を澄ました。
だが、今までで何よりも衝撃的な事を奏は問い、怪人は答える事になる。
「あなたの生みの親は誰?」
『お忘れですか? お母様』
「……!?」
耐えきれず、奏は吹き出した。
お腹を抱え、目に涙を浮かべて笑い転げる。
『では最後にワタシの質問です。西暦1975年9月8日から数えて2016年3月10日は何日目?』
「14794日目。どう? 合ってる?」
『正解です。今後、ワタシがアナタからの電話に出る事はもうないでしょう』
「そう? それは残念」
目の前で繰り広げられる親子の茶番を音葉は茫然と見つめていた。
『最後に忠告ですが、ご友人は大切にされた方がよろしい』
「大切にしてるよ」
『そうですが。それでは……もう二度と、ワタシたちに関わる事がないよう』
「それは無理な相談かな」
そして通話が途切れる直前、奏は七つ目の質問を問いかけた。
「……あなたは生まれて来れてよかった?」
『アナタの質問にはもうお答えしました』
その質問には答えず、通話は途切れた。
ツーツーというビープ音が部屋に響き、やがてそれも途切れる。
「はい、電話返すね」
「……どうも」
奏からスマートフォンを受け取り、それを仕舞うと音葉は大きく深呼吸する。
「……どういう事ですか」
「いやぁ貴重な体験だったよ。まさか処女のままお母さんになるなんてね。これって聖書に乗ってる聖母と同じじゃない?」
「……どういう事ですか」
「『猿夢』の
「……ど、う、い、う、こ、と、で、す、か」
「近い近い近い」
顔を最大限にまで近づけ、一言一句をはっきりと発音して問い詰めると、流石の奏も音葉が本気で怒っている事に気づき、謝る。
「ごめんごめん。ついおっちゃんの話を聞いて確かめてみたくてさ」
「……それじゃあ」
「うん。『怪人アンサー』は私がネットに書き込んで広めた
「……」
不満そうな表情のまま、奏に詰め寄るのをやめ、ソファに座った。
確かに『猿夢』に関する
「それだけじゃないよ。『怪人アンサー』は私が広めた創作。だけどこうして実在していた。これって同じじゃない?」
「……『クトゥルフ神話』」
「そう。創作は作者の手を離れて事実と成り得る。これで証明された。……そしてもう一つ。言ったよね、これからの覚悟を決められるって」
浮かばせていた笑みを消して、その表情を真剣なものにして奏は告げた。
「『怪人アンサー』を創作した時も、私はこうして実際に試した。でもその時は何所にも繋がる事はなかった。……おっちゃんが
こうしている今も、『夢』は音葉に迫ってきていた。
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