夢の番人
『次は活け造り~活け造り~』
その夢は、あのアナウンスから始まった。
「やあ。また会えた……わけではなさそうだね」
アナウンスと共に現れた小人たちに囲まれながら、大師だけが前回の夢とは違う台詞を口にした。
けれど群がり始めた刃物を持つ小人たちを見ても、大師の行動は前回と何も変わらない。ただ、それを受け入れるだけだ。
「……」
真向かいの座席に座る音葉の瞳は目の前の大師も、窓の外のトンネルを映す事もなく、ただ虚ろな表情で虚空を見つめていた。
「何度もショッキングな姿を見せるのは忍びないし、ある意味よかったのかもしれないね」
小人の持つ刃物が大師の体を切り刻んでいく。
泣き叫んでしまうような激痛が襲っているはずの大師の表情もまた、笑みを浮かべたまま変わらない。
「けれどこのままじゃ、次は君の番だ。この『猿夢』の
血飛沫が窓に、床に、車両全体に飛び散る。
本来なければならない場所から内臓が飛び出す。
それでも大師の表情は変わらない。
「『猿夢』に取り込まれてしまえばボクももう、お姉さんには会えなくなる。人の出会いは一期一会とは言うけれど、叶うのならボクは何度でも再会を望むよ」
小人たちの隙間から唯一覗いていた大師の頭が徐々に群れの中に消えていく。
前回と同じ、アナウンス通りに、活け造りへと変わっていく。
もう動かす事の叶わなくなった首の代わりに瞳だけを動かし、大師は音葉の横、長椅子状の座席の一番端に視線を向けた。
「勿論、君との出会いもそうだ。心優しきお姉さんの友人」
その視線の先に座る少女。兎羽 奏は蒼白となった顔色で、しかし視線を逸らすことなく、大師だったモノを睨み続けた。
「……最初の出会い頭にこんなグロテスクなモノを見せられて、どんな顔して再会しろっていうのさ」
夢を夢として、『猿夢』を『猿夢』として認識する唯一の人間。
想像以上に悲惨な光景に、奏は吐き気を抑えるのに必死で、大師だったモノにそう言葉を零すのがやっとだった。
そんな奏の事などお構いなしに、夢は進んでいく。
『猿夢』の
『次は抉り出し~抉り出し~』
「……!」
そのアナウンスと共に現れた二人の小人の姿に、奏の身が強張る。
奏の視線の先で、小人はゆっくりと音葉へと近づいていく。
その手に握られた刃のついたスプーンでリズムでも取るように揺らしながら。
(この
生かす事が出来るのは、三人の内、一人だけ。
『紫の鏡』が『白い水晶』を知らない者を絶対に逃さないように、『猿夢』も残る二人を逃す事は決してない。
それが
奏はただ音葉の眼球へと向かっていくスプーンを、眺めている事しか出来なかった。
◇ ◇
「いいかい、おっちゃん。おっちゃんが出遭った『紫の鏡』と根底は変わらない。必要なのは知識と認識だ」
『怪人アンサー』との通話が終わった後、音葉は奏にせがまれて夕食を用意した。
その夕食の席で奏は銀色のスプーンを音葉に向けてそう言った。
「ですが夢の中では知識を思い出す事も、もしかしたら夢だと認識する事も出来ないかもしれません」
音葉に食欲はなかったが、言われるがままに準備した二人分のレトルトカレーを無駄にする事も出来ず、無理矢理に一口咀嚼した後、返答する。
「『紫の鏡』の
自分の皿から玉ねぎを音葉の皿に真剣な表情のまま移し変えながら、奏は語る。
「だから科学的に言えば『紫の鏡』の
「それは身を以て体感しています……ですが、『クトゥルフ神話』には通用すると……?」
半信半疑といった表情で口にした音葉に、奏は大きく頷く。
「通用する、ってのとはまた違うのかもしれないけど、そこの差が『クトゥルフ神話』を呼び出すのには重要なんだと思う。『ティンダロスの猟犬』が言った、認識のズレって奴だよ。私たちの常識と非常識の狭間、其処から『クトゥルフ神話』はやって来る。……ごめん、少し先走り過ぎてるや。これはあくまで私の予測」
断言する口調の後、目じりを下げて奏が付け加えたが、音葉は首を横に振る。
「予測であれ何であれ、私も奏さんの言葉を信じます」
「……ありがと」
照れくさそうに笑い、誤魔化すように奏ではカレーを口にした。
「だから大丈夫。たとえ思い出せなくとも、知識はおっちゃんを助けてくれる。たとえ無意識でも、一度した認識は変わらない。だから、大丈夫だよ」
そう言って、奏は見た目通りの少女のように、天真爛漫に笑った。
◇ ◇
変化は窓の外から起こった。
『猿夢』が始まってからずっと終わらない暗闇のトンネルのはずの景色が変わった。
光。圧倒的な光量を持ち、しかし妙に輝きを欠いた光が窓の外から車内へと降り注いでいる。
『ギ、ギギギッ』
その異常に初めて、小人たちが声を上げた。歯を打ち鳴らしたような不快な音が、この光が異常なものである事をはっきりと示していた。
光の差すはずのないトンネルの中で、一体何所からその光が降り注いでいるのか。その答えを知るのはただ一人。
『猿夢』の
「北に座する冠。私たちの言葉で言う、冠座の方から『それ』は降り立つ」
理解出来ない状況に小人は音葉へと伸ばしたスプーンを止め、ただ窓の外の光を見つめていた。
「光の姿。輝きを欠いた、黄金に似た赤い光線の形を取り、『それ』は夢の世界に現れる。まあ、もっとも」
依然として光は降り注いでいる、ように奏の目には映る。だが、突如として光を見つめていた小人たちの様子が一変した。
『ギィィィィィィ!?』
不快な悲鳴を上げ、小人は自身の目を覆う。恐怖から目を背けるように。
「夢を犯した君たちには、最悪の悪夢のように歪んで恐ろしく見えているんだろうけど」
たとえ目を覆おうと意味はない。夢からは決して目を背ける事は出来ない。ただ覚めてくれと願う事しかできない。それが悪夢ならば、猶更。
狂ったように悲鳴を上げ、小人は車内をのたうち回る。
光の影響か、奏の体が自由になる。友人の危機をただ見ている事しか出来なかった傍観者の立場から、奏は解放された。
のたうつ小人を冷めた目で見下ろして、音葉に近づくと座席の上を引きずるように小人たちから引き離す。
音葉の顔を覗き込むが、未だに音葉の表情は虚ろのままだ。だが、それでいい。
「音葉ちゃんはただ夢を見ているだけ。目覚めればうっすらとしか思い出せない、普通の夢を。だから君たちみたいに恐ろしい姿は見えないし、明晰夢を見る私みたいに光を捉える事もない」
光量はさらに増し、車内を黄金に似た赤い光で満たしていく。
『猿夢』を構成するはずの電車が光に消えていく。
「けど君たちは違う。君たちは犯した。音葉ちゃんの夢を、私の夢を。夢の深くに分け入った君らは永遠に悪夢に苦しんで、『ヒュプノス』に
音葉の夢が、奏での『猿夢』が覚めていく。
最後に奏が見たのは、アナウンス通りに瞳を抉り出す小人の姿だった。
◇ ◇
『猿夢』とは、いわば人の夢へと伸びる三本の触手のようなものだ。
異なる三者の夢を繋ぎ、犯す触手。
それに対抗する為の
明晰夢は自らの夢へと伸びた触手の一本だけを断ち切り、『ヒュプノス』は夢へと繋がった三本の触手、その根元を飲み込む。
だから私は『猿夢』の結末を見届ける事が出来た、と奏は自身の分析を目覚めた音葉に語った。
「これは分析というよりは妄想に近いけれど、『猿夢』は個人的無意識であるはずの個人の夢を集合的無意識の一角へと繋ぎ、人の夢と夢を繋ぐ。だから、おっちゃんはうっすらとしか覚えていないかもしれないけど、私とおっちゃんが見た夢はきっと同じなんだよ。おっちゃんの言う通り、大師は少年みたいな見た目だったねって近い近い近いって」
遅れて目覚めた音葉は奏が全てを語り終える前に布団から抜け出して隣の布団の上に胡座をかく奏に詰め寄る。
「私を家に泊めたのは、自分が『猿夢』を見る為ですか」
「結果的にそうなったけど、確信はなかったよ? 『アンサー』の時と違って、私が電話を掛けたわけでもなく、ただおっちゃんの横でぐーすか寝てただけだし?」
「予想は出来ていたでしょう」
『怪人アンサー』を呼び出した現在の音葉の『体質』とも言うべき、
そんな音葉の傍で眠り、しかも明晰夢を見るならば、『猿夢』に途中乗車出来ると奏は予想していた。
明晰夢を見る訓練がある、と知っていた奏がその訓練をしていても何の不思議もなかった。そんな単純な事に気づかなかったのは音葉が今後も
それは脅かしではなく事実なのだろうが、そういう風に思考を未来への危機感へと誘導し、意図的に音葉の意識を奏を気遣う方にではなく、音葉自身にだけ向けさせたのだ。
「いやだって会長が会員にいつまでも先を行かれちゃ示しがつかな痛い痛い痛い!」
あえて自分の身を危険に晒した奏に対する音葉の気持ちは怒りが大半だ。そもそも奏を巻き込みたくないというのも本心だったのだから。
奏の側頭部を両手で挟んで万力のように徐々に力を込めていくと、奏はまたしても皆まで言う事が出来ずに悲鳴を上げた。
「……それに会員ってどういう事ですか」
「だっておっちゃん、今勧誘したら断れないでしょ?」
「……」
まさかその為にこんな危険を冒したのか、と締め付けているはずの音葉の頭の方が痛くなった。
確かに奏の言う通り、今の音葉には奏の誘いを断る事は出来ない。だが、
「……私は奏さんが『猿夢』について知恵を貸してくれた時点で、もう断るつもりはありませんでしたよ」
「ええっ!? いやいやおっちゃん、それは流石にちょろ過ぎるって! 今まで散々誘いを蹴ってたのに、あれぐらいで!?」
心からの驚きの声を上げる奏に、音葉は溜息を吐いてから両手を解放すると、居住まいを正して向き直る。
「奏さんにとってはあれぐらいかもしれませんが、私にとってはとても心強かったんです……それに信じてくれると言ってくれた事が、何より……」
一番の本心を伝える声はか細く、しかし奏の耳にはっきりと届く。
奏は一年半前、大学で出会った以前の音葉は知らない。それより以前に音葉に何があったのか、どうして霊感を隠しているのか、知らない。
予想は出来る。予測も出来る。しかしそれを放り出し、奏は自分に素直に、思ったままの言葉を口にする。
「友達なんだから当たり前じゃん?」
そして思い出したかのようにもう一言付け加えた。
「少し遅くなったけど、誕生日おめでと」
この時、初めて音葉は自分が成人したのだと自覚が湧いてきた。
「ありがとう、ございます……かーちゃん」
「その呼び方はやめてください」
友人に祝われ、ようやく音葉の時は進んでいく。
◆ ◆
音葉の時が進み始めたのと同時刻。
山の中腹に建つ、古めかしい日本家屋。かつての栄華を思わせる、武家のような巨大な屋敷。
「『伯爵』」
「やあ、
その縁側から反対側の山から昇る朝日を眺める大師に、白髪の混ざり始めた和服の中年の男が声を掛けた。
音葉に名乗ったものとは違う、『伯爵』という呼び名に大師は何の抵抗もなく応じた。
「どうしたんだい?」
「それは此方の台詞だ。一体、今まで何所に行っていた」
その顔の皺は決して年齢を重ねたからだけではない。
坂巻と呼ばれた男は、大師に対して苛立ちを隠そうともしない強い口調で問う。
「少し散歩をしていただけさ。朝の散歩の楽しみは君もそろそろ分かって来る頃だろう?」
「いいか、勝手は許さぬ。望む物があれば此方で用意する」
「そうかい? 別に気を使わなくても良いんだよ。あ、でもそうだ、電話が欲しいな。ケータイ電話」
「ふん……用意させる」
大師は笑ってそう言うが、坂巻はそんな大師と顔を合わせようともせず、朝日に背を向けて屋敷の奥へと消えていった。
「ほんの少し前までは一緒に野山を駆け回った仲だっていうのに、やれやれ冷たいものだなあ」
坂巻の態度に腹を立てるでもなく、大師は一人で朝日が夕日へと変わるまで其処で太陽を眺め続けていた。
「ああ、やっぱり思い出せない。一緒に野山を駆け回った仲だっていうのに、やれやれ冷たいのはどちらかな?」
夕日が沈む時間になって口にしたのは、そんな独り言。
そもそも坂巻の下の名を知らない事を、いつになっても大師が思い出す事はなかった。
彼は大師。時の流れに取り残された、かつて人だったモノ。
彼は伯爵。時の流れに忘れ去られた、かつての
『……ワタシはアンサー。アナタの質問に真実を答えましょう。ですが最後に一つだけ、ワタシの質問に答えてもらいます』
「坂巻の名前を教えてよ」
『答えましょう。彼の名前は
「年齢は?」
『答えましょう。彼は数えて齢八十八』
「後いくつ答えてくれるんだっけ?」
『答えましょう。後二つ、あなたの質問に真実を答えましょう』
「もし君の質問に答えられなかったらボクはどうなるのかな」
『……』
「最後。その後、君はどうなるのかな?」
彼の時は進まない。ただ時を眺める事でしか時の流れを知れぬ者。
さて次はどうしようか、無垢と邪気を両立させた笑みを浮かべて大師は与えられたばかりの電話を握り潰した。
音葉をメンバーに加え、『心霊研究会』はついに始動する。
そうして少女たちは日常から深淵へと足を踏み入れる。
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