4話
心臓が爆発しそうな程、動悸していた。慧と目が合った瞬間、自分でも信じられないほど、動揺してしまった。遠目では、毎日のように慧を見ていた。だけれど、ほんの一瞬、目が合っただけで、美緒の頭は真っ白になってしまった。
「早く来い」
克巳に引っ張られ、美緒は屋上へ通じる階段を上らされる。踊り場を回り込み、さらに上へ行く。
一体、何だというのだ。夏休みが明けてから、美緒は克巳達と距離を置いていた。当然、彼らも美緒に近づいてくる事はなかった。
あれほど仲が良かった四人組だったが、挨拶をするどころか、目を合わせる事もなくなってしまった。自ずと、美緒は一人になる。
考えてみると、美緒には克巳達以外の友人はいなかった。中学の時は沢山いた友人達も、高校に入り疎遠になってしまった。いや、違うだろう。勉強について行けず、圓治との援助交際にはまっていった美緒は、彼らから離れていった。住む世界が違う。そう自分で決めつけてしまった。
その結果が、今の自分なのだろう。
克巳に連れられた美緒は、屋上へ出るドアの前で足を止めた。克巳は、屋上へ通じるドアを開けようとドアノブに手を掛けるが、ガチャガチャとノブが少し動くだけで、ドアは開かない。
「鍵が掛かってるのよ。生徒が出ないようにね」
当然だ。屋上に出ることが出来るのは、アニメや漫画の中の学校だけだ。
舌打ちをしてドアを蹴る克巳を、美緒は冷めた眼差しで見つめた。
「止めなよ、人が来るよ」
「分かっているよ」
最後にもう一度ドアを蹴った克巳は、こちらに向き直った。彼は美緒を見ると、苛立たしそうに舌打ちをした。
「なに? どうかしたの?」
美緒は用心深く、いらだつ克巳を見る。彼の性格は知っているつもりだ。彼は、機嫌が悪いと、人にも物にもすぐに当たる。これまで、美緒は彼の八つ当たりを受けた同級生達を幾人も見てきた。
「なあ、お前、どういうつもりだ?」
「?」
克巳の言っている意味が分からない。それは、こちらの台詞だ。
「なにが? それは、私のセリフだけど?」
ムッとした美緒は、克巳に噛みつく。
あんな事が無ければ、今頃、美緒は慧と仲良く出来ていたはずだ。本当の恋人になれていたはずだ。
「本気で、あんな男が良かったのか?」
「あんな男? それ、慧君のこと? 慧君はね、克巳なんかよりもずっと素晴らしいんだから! 嘘もつかないし、誠実だし、優しいし……」
「じゃあ、お前は俺とお似合いじゃ無いか」
ぴしゃりと返され、美緒の言葉は止まった。確かに、美緒は慧に相応しくない。太陽のように明るい慧に対して、美緒は影だ。薄暗い世間の闇を、この一身に纏っている。
「でも……!」
次の言葉が出てこなかった。たとえ、ここで克巳を論破したところで、何も変わらない。砕け散ったガラス細工のように、あの、スワロフスキーのカチューシャのように、もう元には戻らないのだ。
「なあ、もう一度俺たちのグループに入ろうぜ。美緒がいないと、盛り上がらなくてさ」
「詩織がいるでしょう? あのクソ女が」
「俺が欲しいのは、詩織じゃない。お前なんだ……」
克巳は詰め寄ってくる。彼の熱気と共に、汗の匂いが鼻につく。吐き気のする匂いだ。以前まで、全く気にならなかったというのに、今は拒絶してしまう。
「やめて……」
美緒は体を引く。
「なあ、良いだろう?」
克巳がさらに一歩近づく。見えない手に押されるように、美緒は後へ下がる。
「一度だけで良いからさ。欲しけりゃ、金だって渡す。なあ、一回やらせろよ」
「いやよ! 何を考えているの?」
美緒は拒絶する。だが、その言葉が克巳を激昂させた。一気に詰め寄った克巳に押され、美緒は冷たい壁に背中を打ち付けた。
「おい! ふざけているのか……?」
鬼気迫る表情に、美緒は声が出せなかった。腕力では、克巳に敵うはずもない。だが、怖くて声が出せない。視線を泳がせ、階段の下を見るが、話し声一つ聞こえない。用事が無い限り、屋上に来る者など皆無だ。
「誰にだって股を開くんだろう? 教えてくれよ、いくらだ? いくらでお前を抱ける? なあ、教えてくれよ。佐藤には、いくらでやらせたんだ? 一万か? 二万か?」
「慧君とは、何も……」
「そうか、じゃあ、あいつはまだ童貞なんだな。残念だったな、少し金を握らせてやれば、お前は股を開くのに。でも、佐藤の小さなアソコじゃ、美緒は満足しないものな」
「やめてよ!」
美緒は克巳を突き飛ばした。
「慧君が、そんな事するわけないじゃない! 彼を馬鹿にしないで!」
克巳に対する恐怖よりも、慧を馬鹿にされた事に対する怒りが上回った。
「もう、絶交よ! 話しかけてこないで!」
肩で息をしながら、美緒は階段を降りる。
「美緒! 待て! 本当に良いんだな?」
「はぁ? 何が良いのよ? あんた達とは、もう関わらない」
「後悔するぞ!」
「させてみれば」
鋭い一瞥をして、美緒はその場を後にした。
「俺を拒んだこと、後悔させてやる!」
階段の上から、克巳の叫び声が聞こえて来たが、美緒が振り返ることはなかった。
だが、この数日後、彼の言った後悔が美緒を襲うことになる。
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