5話


「畜生……!」

 

 克(かつ)巳(み)は激しい雨に打たれながら、むしゃくしゃしていた。


 今まで、ある程度の事はなんでも思い通りにできた。勉強だって、やれば人並み以上の結果を残せる。


 鹿島美緒。一年生の頃から、いつも一緒だった。詩織、昌(まさ)利(とし)、そして美緒。いつも四人で連(つる)んでいた。


 四人で万引きもしたし、恐喝もした。


 悪いことだとは分かっていた。だけれど、やらずにはいられなかった。自分たちは人と違う、人よりも優れている。悪びれる事で、自分自身を鼓舞しないと、やっていけない高校生活だった。


 順(じゆん)風(ぷう)満(まん)帆(ぱん)だった中学。必死に受験勉強をして、進学校に入ったは良いが、そこには自分よりも頭の良い人間がゴロゴロしていた。


 努力をすれば、学年でも真ん中の順位を取れたかも知れない。だけれど、それでは克巳のプライドが許さなかった。


(くそっ! くそっ!)


 克巳は努力を怠った。その結果、学年でも下から数えた方が早い場所にいた。そこから抜け出すのは容易ではなかった。


 克巳はそうそうに勉強を諦めた。不思議なもので、気がつくと同じような仲間が集まっていた。


 その中でも、美緒は格別に綺(き)麗(れい)だった。凜(りん)としており、いつも克巳の視線の先にいた。


 あのとき、何故(なぜ)自分は馬鹿なことを言ってしまったのだろう。佐藤慧(けい)と付き合う。そんなゲームをしなければ、美緒は自分に振り向いていたはずだ。


「どうしたの? 怖い顔してるよ?」


 詩織が腕を絡めてきた。


「ああ……」


 あのとき、美緒は自分を拒絶した。その理由が、克巳には分からなかった。


 実際、詩織と一線を越えるのは簡単だった。


 詩織は、自分を好いていた。それは、前から知っていた。だけれど、知らない振りをしていた。自分が好きなのは、美緒だったからだ。詩織も、それに気がついていたのだろう。


「ねえ、美緒を嵌(は)めようよ」


 夏休みの後半。唐突に、詩織がそんな提案をした。仲直りをしたフリをして、美緒と慧の関係をメチャメチャにするという。


 どうしてだ? 詩織と美緒は、親友だったはずだ。悪いこと、楽しいことも、一緒にやった仲だ。二人の関係は、誰よりも強固に思えた。


 克巳は詩織に尋ねた。返ってきたのは、意外な言葉だった。



「だって、気に食わないじゃん。私たちと同じ、ダメな人間なのに、一人だけまともになろうとしてさ。美緒が慣れるわけないじゃん。美緒は、こっち側の人間だって、思い知らせなきゃ」


「そんな事をしたら、もう前みたいに遊べないだろう」


「もう、美緒なんて必要ないでしょう? 克巳には私がいるし。美緒は、もういらない。私、あの子嫌いだし。みんな、美緒美緒。誰も、私の方を見てくれない。

 克巳には、私だけで十分でしょう? あの子には、どん底にまで墜(お)ちて貰(もら)わないと。最高に不幸になって貰わないと、私の気が収まらないの」



 返す言葉がなかった。彼女の言うとおり、皆、美緒を見ていた。克巳も、昌利もだ。だけれど、克巳は詩織の提案に賛成した。美緒と慧が離れれば、美緒が一人になる。そうすれば、自分が美緒の横にいられるのではないか。


 詩織には悪いが、自分には詩織よりも美緒の方が大事だった。詩織は、性欲を吐き出すだけの女。エロ本や、オナホールと同等の存在だ。


 腕に絡みついてくる詩織を邪魔に思いながら、克巳は慧の顔を思い浮かべる。


 ナヨナヨとした、全く男らしくない奴(やつ)。勉強しかできず、真面目だけが取り柄のような慧に、何故、美緒が惹(ひ)かれたのだろう。


 力もあり、美緒の好きな物も知っている。顔だって悪くない。なのに、美緒は慧を選んだ。許せなかった。


 このゲリラ豪雨も、あの男のせいだ。もし、これで美緒が自分に振り向いてくれなかったら……。


「お、ホテル、空き部屋があるみたいだぜ」


 昌利が顔を拭いながら、歓声を上げる。見ると、ホテルの看板には『空室』と青文字が輝いていた。


「ほんとだ。お祭りだから、混んでると思ったけどね」


 詩織も嬉(うれ)しそうな声を出す。


 克巳達は、赤信号で足を止めた。この大通りを抜け、真(ま)っ直(す)ぐ小さな脇道に入れば、すぐそこに行きつけのホテルがある。フロントを通らず、タッチパネル方式のため、高校生が入店しても、咎(とが)められたことがなかった。


 こうして、三人でホテルに来るのは、何度目だろうか。最初は興奮したが、次第になれてしまう。たまに、詩織の家や克巳の家で、二人きりで楽しむこともあるが、やはり、心の何(ど)処(こ)かで美緒を求めている自分がいる。


 美緒がパパ活をしている事は、以前から知っていた。だから、誰とでも寝ると思っていた。それとなく、セックスをしたいと美緒に言ってみたが、彼女はそれとなく断っていた。いつか、自分にも股を開くだろう。そう、思っていた。だけれど、それは克巳の思い違いだった。


 結局、美緒は克巳に一度として、心も体も開かなかった。それどころか、神社で美緒は慧にキスをした。自ら進んで、キスをしたのだ。


 虚無が訪れた。直後、激しい怒りが体を支配した。全てを潰(つぶ)してやる。そう思い、克巳は二人の間に割って入った。


 信号は、まだ赤にならない。


 雨は、強く降り続く。


 不意に、雨の音が変わった。アスファルトを叩(たた)く雨音が、傘を叩く音に変化した。


「男の嫉妬は見苦しいって、本当だな」


 背後から声が聞こえた。


 誰のことを言っている? 自分の事か?


「あぁ?」


 振り返った先には、長い髪をヘアバンドで止めた青年がいた。自分と同じ年頃の青年だ。彼は、こちらを見て目を細める。


「本当に、どうしようもないな、お前達は……」


「おい、お前、何を言ってるんだよ」


 昌利が青年に突っかかっていく。胸ぐらを掴(つか)もうと手を出すが、その手は空を切った。青年は、滑るようにして昌利から最小限の距離をとっていた。


「馬鹿のお前達でも、心当たりがあるだろう? やり過ぎたんだよ、お前達は。物事の限度を知らない」


「だったどうした?」


 この男は誰だ? 見たことがない。だけれど、彼はこちらを知っている。それに、彼が纏(まと)っている雰囲気は、向かい合うだけで嫌な感じがする。


「…………いや」


 青年は目を細める。まるで、自分たちの心を覗(のぞ)くかのような、達観した眼(まな)差(ざ)しだ。


「何もしないよ。放っておいても、お前達も(・・・・)裁きを受ける。鹿島と同じようにな」


「美緒と? あんた、美緒とどういう関係?」


「ま、慧と鹿島の知り合いって所だ」


「知り合いか、で? 俺たちに喧(けん)嘩(か)を売りに来たのか?」


「いや」


 彼はまた否定した。


「喧嘩なら、また後で買ってやるよ。時期が来れば、な」


「なんだと? 訳の分からないこと言ってんじゃねー!」


 昌利が小走りに駆け、拳を振り上げた。


「馬鹿!」


 克巳は思わず叫んでいた。いけない。何故だが、そう思った。彼は、普通とは違う。


 そして、克巳の心配は的中した。昌利が拳を振り下ろした瞬間、昌利が宙を舞っていた。


 青年が、昌利の手を受け止めた瞬間、足を弾いたのだ。昌利の体が浮き上がり、そのままアスファルトに叩きつけられた。合気道よろしく、彼は昌利の力を利用したのだ。


「グッ、ああ……」


 昌利が呻(うめ)く。青年は、昌利には目もくれず、こちらを見据えた。


「いずれ、お前もこうなる。だけど、未来は決まっていない。流動的でありながら、指向的な面も持ち合わせる。お前達の今後の生活によっては、ある程度の修正は可能だ」


 青年は大きめの傘を回し、水滴を周囲に撒(ま)き散(ち)らすと、少し寂しそうな笑みを浮かべ、雨の中に消えていった。


「なによ、あいつ……」


 詩織が呟(つぶや)き、倒れている昌利を起き上がらせる。


「あいつ、絶対に殺してやる」


 昌利は、青年が消えていった闇を睨(にら)み付(つ)けた。


「裁きを受ける、か……」


 重い言葉だった。美緒の事は元より、他にも沢山悪いことをしてきた。叩けば、ホコリの出る身だ。もし、それが白日の下に晒(さら)されたら、克巳達は学校にいることは出来ないだろう。そうしたら、自分の人生はどうなるのだろうか。


 薄ら寒く感じながら振り返ると、信号は青から赤に変わったところだった。再び、車の往来が始まる。


「あっ、また赤になっちゃった……」


 詩織が残念そうに呟く。


 結局、青年の言葉と、絶望に打(う)ち拉(ひし)がれた美緒の表情が脳裏から離れなかった。


 昌利と一緒に、何度も何度も詩織を抱いたが、克巳の心は晴れる事は無かった。


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