4話




 慧の眼差しが不安定に揺れている。花火に照らされる顔は真っ青で、今にもその場に倒れてしまいそうだった。


 何故、どうして。


 詩織達の登場、そして、暴露。あらゆる疑問が頭の中を飛び交い、膨らみ、爆発する。



 止めておけ。お前、良くないよ。破滅の音が聞こえる



 何故か、那由多の声が脳裏に響いた。彼の言葉は、この瞬間を言い当てていたのだろうか。


 破滅。彼の言うとおり、物事は破滅へと真っ先に進んでいくように感じる。


 今まで温かかった風が、凍えるように冷たい。


「あの、慧君……」


 美緒が手を伸ばそうとした時、慧が僅かに身を引いた。慧が、美緒から離れてしまった。


 伸ばした手に、大粒の雨が当たる。


「美緒さん、どういうこと?」


 慧の質問が、美緒の呼吸を止める。


 答えられない。本当のことを、言えるわけがない。


 美緒は、克巳を見た。


 花火の色を写した克巳の目が、赤く燃えているようだった。彼は、怒っているようだった。何故、彼が怒るのか、美緒には理解できない。


 あの罰ゲームは、中止になったはずではないのか。もう、慧とは本当に付き合っても良いはずではないのか。


 分からない。何故、詩織達が現れ、全てを台無しにするのか。


「俺が答えるよ」


 克巳が声を上げる。


 美緒は首を横に振る。


「言わないで……。克巳、お願い……」


 掠れるような声しか出ない。だけれど、その言葉は克巳にも、もちろん、慧にも届いたはずだ。


 『言わないで』。その言葉だけで、全てが肯定される。その事に、美緒は気がついていなかった。


 雨が強くなってきた。


「一学期の中間テスト、そこで俺たちは賭けをしたんだ」


「負けたのは、美緒。美緒は、罰ゲームをすることになった」


 克巳の言葉を、昌利が引き継ぐ。


 悪意のある言葉に、美緒は言葉を失う。


「止めてよ……、どうしてそんな事を言うの? お願い、止めて、止めて……」


 これ以上、本当のことを言われてしまったら、慧に嫌われてしまう。


「で、その罰ゲームが、美緒と佐藤が付き合うって事だったの!」


 「ウケる!」と、詩織が場違いな笑い声を上げる。


「嘘、だったの……?」


 雨と共に、強い風が境内を吹き抜けた。慧の体が、ぐらりと揺れる。


「慧君……!」


 美緒は手を出したが、その手を慧が振り払った。


「嘘だったの? 美緒さん! 僕たちの全部が、嘘だったの?」


 いつになく険しい剣幕の慧に、美緒は圧倒された。慧が怒っている。あの慧が、怒っている。当然だ、それだけの事をしてしまったのだ。


「ごめんなさい……。だけど、途中から私は、慧君を好きになって……だけど……だけど……」


 次の言葉が継げない。だけど、何だというのだ。騙したという事実は、今更変えようがない。


 信じられないという風に、慧が首を横に振る。


 美緒は克巳を、詩織を見た。助けてくれ。友達だというのなら、助けてくれ。


「嘘に決まってるだろう? 美緒が、お前みたいなさえないヤツを、好きなるわけないだろうが! 本気にするお前も、大概お人好しだな!」


 克巳が笑うと、昌利も一緒になって笑う。


「美緒の好みのタイプは、お金持ちのおじさんなの。不思議に思わなかった? 毎週土曜日、美緒は会えなかったでしょう?」


「詩織……止めて……お願いだから……それだけは、言わないで」


 詩織の冷たい眼差しが、美緒の動きを止める。何故、詩織まで怒っているのだ。自分が、一体何をしたというのだ。


「この子はね、毎週、年上のおじさまと一緒に、ラブホテルに行って、汚いチンコを咥えて、アソコに入れていたのよ! もしかしたら、中出しとかもされてたりして」


 詩織は笑う。


「そんな事は……」


「だって、前に言ってたじゃない。ピルを貰ったって」


 二の句が告げない。何も言えないまま、美緒は慧を見る。


 慧の顔が崩れていた。大きく開かれた目から、涙が滝のように流れている。


「違うの、違うの慧君……。本当に、愛してるのは慧君だけなの……!」


「嘘を言わないで。もう、何が何だか分からないよ……」


 慧は、頭を掻き毟る。


「ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 美緒は謝る事しかできない。全部事実だ。嘘で塗り固められた自分が、表に出てきただけだ。


 雨脚が強くなってきた。皆、我先にと境内から去って行く。


「チッ、雨が降ってきたな。詩織、近くのホテル行こうぜ」


「よ~~~し、俺、今日も頑張っちゃうよ!」

 

「もう、昌利、がっつかないでよ」


「じゃあな、お二人さん。お幸せにな!」


 三人は、笑いながら雨が降りしきる境内を後にした。


 残ったのは、美緒と慧だけだった。


 遠くから、花火中止のアナウンスが流れてきた。


「全部、嘘だったんだね……」


 もう、慧は美緒を見ようともしない。俯く彼の肩は、小刻みに震えていた。


「慧君、ごめんなさい。言い出せなくて……」


 美緒は慧の肩に指を触れた。瞬間、慧が思い切り手を振り払った。


「触らないでよ! 僕に触るな!」


 慧が吠えた。


「最低だ! 君は、最低だよ!」


 怒りに燃えた慧の眼差しが、美緒に突き刺さった。


 激しい雨が髪を濡らし、顔を濡らした。慧の顔にも、大粒の雨粒がはじけている。頬を伝う水、それは、雨水だけではないだろう。目を真っ赤にした慧は、美緒から、ベンチに置かれたプレゼントに注がれた。


「こんなもの、もう君には必要ないよね」


 そう言うと、慧は振り上げた拳をプレゼントに振り下ろした。グシャリと言う小さな音共に、プレゼントがひしゃげた。何度も何度も、慧はプレゼントを叩いた。


「最低だ! 最悪だ! 最悪の女だよ!」


 それは、慧の慟(どう)哭(こく)だった。


 美緒は、慧の叫びを聞くことしか出来ない。否定できない。彼にかける言葉が、見当たらない。


「本当にごめんなさい。でも、私の気持ちだけは、信じて……」


「信じる?」


 肩で息をした慧は、美緒を睨み付けた。


 怖い。慧が怖かった。あの優しい慧も、怒るとこんな鬼のような形相をするのだ。いいや、本当の鬼は慧ではない。慧の心を土足で踏みにじった、美緒だ。彼の表情に浮かんでいるものは、そのまま自分自身に当てはまる。


「嘘ばかりの君の、何を信じろって言うんだ! 僕を馬鹿にするのも、いい加減にしてくれ!」


 叫んだ慧は、境内から出て行ってしまった。


「待って! 慧君! 待って!」


 慧を追おうとしたが、更に強くなった雨が白いベールとなって、美緒の前に立ち塞がった。


「待って……!」


 美緒の足は動かなかった。


 数歩動いただけで、よろめき、ベンチに手を突いてしまった。


 雨に打たれながら、美緒は泣いた。


 弁解の余地はない。詩織達は許せないが、本当に許せないのは、自分自身だ。これは、すべて自分の巻いた種だ。


 目の前に、プレゼントがあった。美緒はベンチに腰を下ろし、プレゼントを開けた。


「慧君……」


 出てきたのは、カチューシャだった。圓治から貰ったものと、全く同じもの。


「覚えてくれていたんだ……」


 初めてのデート。そこで、美緒は慧と一緒にショーウインドでこれを見た。欲しいと言ったのを、慧は覚えてくれていたのだ。そして、テスト勉強を疎かにしてまでも、バイトに励み、美緒の為にこれを買ってくれたのだ。


 慧の優しさが身に滲みる。彼の好意、善意、優しさ、それら全てを美緒は踏み躙った。裏切ってしまった。


 綺麗な箱に収められたカチューシャは、壊れていた。だけれど、このカチューシャは、圓治から貰ったものよりも、遙かに美緒にとって意味のあるものだった。


「慧君、待って……!」


 もう、追いつかないだろう。それでも良い。美緒は、震える体を抱きながら、慧を追った。


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