2話


 大通りは、焼き付くような熱気が満ちていた。


 広場で行われたイベントを横目に見ながら、美緒と慧は屋台の食べ物に舌鼓を打っていた。


「美味しいね」


 広場のベンチに腰を下ろしながら、美緒は焼きそばを食べていた。


「うん、美味しいね。美緒さん、お好み焼き、ちょうだい」


「どうぞ」


 設営された簡易テーブルには、たこ焼き、お好み焼き、焼きそばが置かれている。慧と美緒は、二人で手分けして屋台の品を購入し、それを持ち寄って食べていた。


 二人でいる時間は、瞬く間に過ぎていく。


 合流したときは午前中だったが、気がつくと、日が傾き始めていた。後一時間もすれば日も暮れ、花火が上がる時間になる。


 花火が打ち上げられるのは、ここから少し離れた河(か)川(せん)敷(しき)だ。ここからでも見られるが、美緒には絶好の観覧スポットがあった。


 幼い頃、父と一緒に行った神社。長い階段を、肩車をしてもらいながら上ったのを良く覚えている。


 父の顔も思い出せない。なのに、あの日見た花火だけは鮮明に覚えている。夜空に広がるカラフルな花弁が、星々を背景に、大輪の花を咲かせる。子供心に、花火のメカニズムが知りたくて、父親を質問攻めした。


 今日、あの思い出の場所に慧を連れて行く。


 父と母が離婚して以来、あの場所には行っていない。なんとなく、あの場所に行きにくかった。良い思い出が沢山詰まっている場所に、いまの自分が行くのが、罪深く思えたからだ。


 あの時の、純真無垢な自分は、もういない。人生を悲観し、諦観し、体を安売りしていた馬鹿な女がいるだけだ。だけれど、慧と知り合って、少しだけマシな女性になれたと思う。そして、慧に釣り合うだけの、女性でありたいと思っていた。


 慧とあの場所に行き、もっと良い思い出で上塗りをしたい。これから、毎年二人であの場所へ行けるように。


 イベント会場では、ダンス教室主宰の、タップダンスが披露されていた。大人から子供まで、黒いスラックスに白いシャツで統一している。手拍子に合わせて、タップダンスシューズが軽快な音を奏でていた。


 慧は興(きよう)味(み)津(しん)々(しん)といった表情で、タップダンスに見入っている。


 美緒は、慧の横顔を見つめた。女性のような綺麗な顔をしている。汚れのない眼差しは、黒曜石のように煌めき、深い色を湛えている。だけれど、付き合い始めた頃よりも、慧は男らしくなっている。もし、それが美緒の為だとしたら、とても嬉しい。


「慧君、私、飲み物を買ってくるから。何を飲む?」


「あ、うん。冷たいお茶を買ってきてくれる?」


「飲み物を買ったら、移動しようか。私、花火を見るのに最高の場所を知っているの」


 美緒は巾着を手に立ち上がる。

 

「美緒さん、お金を渡すよ」


 慧は財布を取り出すが、美緒は手を上げてそれを制した。


「ジュースくらい、私が出すよ。ちょっと待っててね」


 美緒は小走りにイベント会場から出て、冷たい飲料を売っている屋台へ向かった。


「美緒!」


 途中、声を掛けられた。振り返ると、詩織が立っていた。その後には、克己(かつみ)と昌利の姿も見えた。


「よう……」


 克己(かつみ)は少し緊張した面持ちで、手を上げる。


「やあ……」


 あの日以来、克己(かつみ)とは面と向かって話をしていなかった。SNSでは、他愛もない話をしていたが、こうして顔を突き合わせると、少し緊張してしまう。


「あれ? 佐藤と来てるの?」


「……うん」


 詩織に問われ、美緒は頷く。


「おめかししちゃって。今日は何処までやるのよ?」


 ニコリと笑う詩織に、美緒はため息をつく。いつも通りの詩織だ。


「何もしないわよ。花火を見に行くの。それで、解散よ」


「花火か、何処で見るの? もし良かったら、一緒に見ようよ」


「え?」


 呼吸が止まる。上がっていた体温が、一気に冷めるようだ。詩織達と慧を、一緒の空間にいさせたくない。何か言い訳はないか、美緒は頭の中でそれを考えた。


「止めろって、詩織。俺達は俺達で見ようぜ。美緒の邪魔をするな」


 腕を組んだ克己(かつみ)が、詩織と昌利に目配せする。すぐに、詩織と昌利は、笑みを浮かべて頷く。


「だな、邪魔をするのは良くない」


「そうね。美緒、二人で楽しんでね」


「うん……」


 そう言って、詩織達は人混みに紛れて行ってしまった。


 拍子抜けだった。彼らの事だから、もっと慧の事を突っ込んでくると思っていた。最悪、以前の約束を口に出してくると思っていた。


「…………約束、か」


 慧と付き合い、彼に真相を打ち明け、振る。事の発(ほつ)端(たん)は、テストで美緒が負けたからだ。あの馬鹿なゲームがなければ、慧と付き合うことはなかった。言葉を交わす事も無かったかも知れない。


 今日がタイムリミットの日だ。あのゲームは、約束は、反(ほ)故(ご)になった。もう、気にする必要のないものだ。だけれど、三人の姿を見た瞬間、イヤな胸騒ぎがした。この胸騒ぎが、現実のものにならなければ良いが……。


 美緒は、ギュッと手にした巾着を握りしめた。手に、硬いものが当たった。


「…………」


 美緒は巾着を開ける。忘れていた。この和装には合わないと思い、付けなかったカチューシャが納められている。


 圓治にプレゼントされた、あのカチューシャだった。


 慧とウィンドウショッピングをしたとき、あれほど素晴らしいと思ったカチューシャだが、こうして手に取ると、不思議とあの時のトキメキが感じられない。素晴らしいカチューシャだが、圓治から貰ったと言うだけで、物の価値が下がるような気がする。


「付けてみようかな」


 商店のガラスに映る自分の姿を見て、美緒はカチューシャが似合うかどうか確認する。分からない。そもそも、浴衣にスワロフスキーのカチューシャが似合うのかどうか。それに、慧はどう思うだろうか。もしかすると、慧の好みではないかも知れない。花火の時、慧に確認してもらおうか。


 ガラスに映った自分は、暗く沈んだ表情を浮かべていた。


 美緒は深呼吸をして、努めて笑顔を浮かべた。今日は、記念になる一日にする。慧と本当の恋人になれた、初めてのお祭り。一生、忘れられない思い出を作るのだ。


 詩織達の事を無理矢理頭から追い出し、美緒は飲み物を購入した。


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