五章 現在 present day :Re

1話

The present day :Re




 夏休み最後の日曜日。この日は、夏の終わりを告げ、秋の到来を迎える神社のお祭りだった。


 この地域で一番大きなお祭りと言うこともあり、昼間から凄い人出だった。正午に御神輿が神社から出発し、横笛や太鼓などの楽隊と共に街の中心部を練り歩き、神社へ戻ってくる。


 神輿が神社へ戻ってからが、本格的なお祭りの開始だった。大通りは封鎖され、歩行者天国となる。道の両脇には屋台が連なり、すぐに人の行列が出来る。

 

 遠くから、囃子が聞こえてくる。きっと、御神輿を神社へ戻した楽隊が、再び楽器を鳴らしながら戻ってくるのだろう。少し先の広場には舞台がセッティングされており、地元のバンドや高校生達のブラスバンド、婦人会のフラダンスなどが披露される予定だ。


 お昼をファストフード店で軽く済ませた慧と美緒は、一緒に歩行者天国を歩いていた。慧は屋台をチェックするフリをしながら、肩に掛けたバッグにある確かな感触を幾度となく確認していた。


 この中には、バイト代をはたいて買ったカチューシャが納められている。花火を見ながら、これを美緒にプレゼントする。美緒は、喜んでくれるだろうか。


 美緒が笑顔を見せてくれたら、慧はそれで満足だ。だけれど、もし美緒の表情が曇ってしまったら。その時のことを想像するだけで、慧の胃袋はキリキリと痛みを発する。


「慧君、ここよ、ここ!」


 不意に、グイッと手を引っ張られた。美緒が足を進める方を見ると、貸衣装屋があった。大通りから一本入った場所で、お祭りの喧騒が夏の風に乗って遠くから聞こえてくる。


「ここがそうなの?」


 ガラス張りの店内を覗くと、沢山の浴衣や着物がハンガーに掛かっていた。


「一度、入って見たかったんだ」


「美緒さんも初めてなの?」


「うん。貸衣装を使う機会、高校生にはないでしょう? お祭りくらいかな?」


「そうだね。ハロウィンは、仮装だしね」


「ね! 秋になってハロウィンの時期が来たら、二人で仮装しようよ。私、漫画のヒロインにしようかな」


 美緒ははしゃぐが、それを見て慧はクスリと笑った。


「美緒さん、仮装とコスプレは違うよ? 特に、ハロウィンは古代ケルト人のドルイド信仰が起源なんだ」


「じゃあ、コスプレ……、じゃなくて、仮装とは関係が無いの?」


「仮装の意味も、ちゃんとあるんだよ。ちょうどハロウィンの時期、この世とあの世が繋がると信じられていて、この世界に溢れだした悪霊が人を騙すと考えられていたんだ」


「じゃあ、それで仮装を?」


「そう。人間も悪霊に化けて、地上に出た悪霊をやり過ごすことにした、それが起源だって言われてる。だから、ハロウィンは幽霊などの仮装をするんだ。後になって、キリスト教に吸収されて、その教義の意味もだんだんと薄れていったらしいけど」


「慧君、詳しいんだね」


「ミステリを読んでいると、そういう知識を得る機会があるからね」


「凄いね」


「もし良かったら、美緒さんも色々と本を読んでみると良いよ」


「うん」


 美緒は、溢れんばかりの笑顔で頷いた。


 慧と美緒は、連れだって貸衣装屋に足を踏み入れた。


 年配の女性が奥から出てきて、慧達に説明を始める。


 祭り当日である今日は盛況のようで、奥のフィッティングルームからは、女の子達のはしゃぐ声が聞こえてくる。


「浴衣を二着レンタルします。私と、慧君のを」


 美緒は提示された料金表に目を通し、手頃なのを選択する。


「慧君、これでいいかな? 一日レンタルで、五千円のプラン」


「うん。大丈夫、良いと思うよ」


 慧も目を通し、頷く。レンタル衣装の浴衣セット。帯や下駄、巾着など細かい備品までがセットになった物だ。学生割を使えて、五千円となっていた。


「すいません、これをお願いします」


 慧は学生証を提示し、書類にサインをする。


「では、こちらへ」


 美緒と慧は奥へ導かれる。


「じゃあ、慧君、後でね」


 美緒は奥の女性用のフィッティングルームへ、慧は、手前の男性用のフィッティングルームに通された。程なくすると、男性の店員が浴衣のカタログを持ってきてくれた。


「こちらから、お好きなのを選んでください」


 浴衣の善し悪しなど、全く分からない。とりあえず、慧は紺色の浴衣に、白い柄の入った浴衣を選んだ。他にも、黒い浴衣、白い浴衣を選びぶと、店員がその浴衣を持ってきてくれた。


 目の前に並べられた三つの浴衣を見て、慧は美緒が何色の浴衣を選ぶのか、気になった。派手な赤い浴衣だろうか、それとも、大人びた黒い浴衣だろうか。どのパターンでも、あり得ると思う。


 一見すると、美緒は派手好きに見るが、実際、彼女の持っているものは比較的色も抑えめで、大人びた感じの物が多い。私服も、少し大人びた物から、年相応の物をそつなく着こなす。


 どちらにせよ、慧は美緒がどんな浴衣を着ても、浮かない浴衣を選ばないといけない。


(どんな色を着るか、確認しておくべきだったな……)


 そう思いながらも、聞かない方が、実際に浴衣を見たときの喜びが大きいであろうと思っていた。


 美緒の浴衣姿を楽しみにしながら、慧は自分の浴衣を選んだ。


 十分後、慧は貸衣装屋の前に立っていた。


 慧が決めたのは、紺色の浴衣だった。古典柄の浴衣に、白い献上柄の帯、それと黒い下駄を履いていた。


 普段着慣れない浴衣に、慧は何処かむず痒いものを感じながら、大通りから聞こえてくる喧騒に耳を傾けた。


 店に入る前は遠くで聞こえていた祭り囃子が、かなり近くまで来ているようだ。


 美緒の方は、セットに時間が掛かっているのだろう、その間、慧は外で待つことにした。クーラーの効いた店内で待つことも出来たが、せっかく浴衣を着たのだ、少しでも夏を感じていたかった。


 バッグは着物に似合わないと言うことで、貸衣装屋のロッカーに置いてある。代わりに、信玄袋と呼ばれる和装の鞄を持っていた。その中に、美緒へのプレゼントであるカチューシャが納められている。


「お待たせ!」


 程なくすると、背後から美緒の声が聞こえた。慧は、ゆっくりと振り返る。


 彼女は、赤い浴衣だろうか、黒い浴衣だろうか。


「どう? 似合っているかな?」


 美緒は、白い浴衣だった。緩やかな曲線を描く水色の線が、上から下へ向かって走っており、水の流れを表現している。所々、色取り取りの花弁を付けた花が描かれている。水面を流れる花をイメージした浴衣だった。鶸(ひわ)色(いろ)の帯が、白い浴衣を引き締めて見せていた。


「あの、慧君? 似合ってないかな? お店の人は、凄く褒めてたんだけど……」


 一つに纏めた髪を触りながら、美緒は不安そうに表情を曇らせた。慧は、そんな美緒の表情を見て、ハッと我に返った。


「い、いや……! あの、凄く綺麗だよ! 本当に綺麗だ! ゴメン、凄く似合ってる、思わず、見とれちゃった……」


 事実だった。白い着物、手にした水色の巾着、全てが美緒に似合っていた。


  白い浴衣を着た美緒は、とても清楚で楚々としていた。これまで抱いていたイメージを、一新するほどの物だった。まるで、氷やダイアモンドのように、透明感のある美緒は、雑誌やテレビの中からそのまま出てきたようだった。


「本当に? ありがとう。慧君の浴衣も、凄くよく似合ってる。なんだか、大人びてみえるよ。凄く格好良い」


「そ、そう?」


 元が童顔である慧は、お世辞でも大人びて見えると言われ、嬉しかった。


「じゃあ、慧君いこうか」


 小さな巾着を手にした美緒は、慧の腕に手を絡める。腕を絡め、指と指が絡み合うように手を繋ぐ。俗に言う『恋人繋ぎ』に、慧は一瞬面食らった。だが、そんな慧の気持ちを知ってから知らずか、美緒は慧を引っ張るようにして歩き出す。


「暑いね。まずは、かき氷食べようよ!」


「……うん」


 美緒との関係が近づく。慧は、信玄袋を持つ手に力を込めた。


 触れあう指先、腕から美緒の体温を感じながら、慧は一緒に歩き出す。零れるような笑みを浮かべる美緒に導かれ、慧は祭り囃子の聞こえる大通りへ飛び出した。

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