7話




 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 月曜日。天気は、快晴だった。


 夏休みも後半に入り、徐々に二学期が頭に掠(かす)め始める。まだ休みはあると思っていても、実際は残り二週間程度。カレンダーを見ると、否(いや)が応(おう)でも現実を直視することになる。


 課題を全て終わらせ、自主勉強に励んでいる慧は、気楽な物だった。


「慧、後で課題見せてくれ」


 待ち合わせ場所であるバスターミナルに着いた健介が、開口一番に言った言葉だ。真っ黒に日に焼けた顔、その言葉だけで、彼が部活動だけに専念していたことが窺(うかが)い知(し)れる。


「大会、残念だったね」


「ああ、まーなー。惜しくも準決勝敗退。俺らに勝ったところが全国に行ったから、実質俺たちも全国レベル、って所だろう」


「その理屈、意味分からないでしょう?」


 ななが健介の言い分に肩をすくめる。


「うちの野球部が、予選でその高校を一番苦しめた、そういう事でしょう?」


 慧の隣で、美緒がそんな事を健介に言う。


「そう! それだよ鹿島! 本当に接戦だったんだよ!」


 悔しそうに、健介はしかめっ面をする。野球に対する彼の情熱は、本物だ。一年生の頃からレギュラーで、今年で二年目の夏の大会になる。今はテレビで甲子園中継を行っているため、余計悔しさが滲(にじ)むのだろう。


「来年、頑張るしかないね。田西君達(たち)の代なら、きっと全国に行けるよ」


 美緒が健介を励ます。


「ありがとう、次こそは、ってヤツだな!」


 腕を組んだ健介は、上機嫌だ。


 四人を乗せた遊園地直通バスは、渋滞にも引っかからず、順調に進んでいく。


 慧が心配していたのは、美緒が健介とななのカップルに馴(な)染(じ)めない時のことだった。だが、慧の心配をよそに、美緒は健介とななに積極的に話しかけ、二人と歩調を合わせていた。


 美緒は気を遣っているのかも知れないが、それでも、慧にとっては嬉(うれ)しかった。もし、逆の立場だったら、慧は会話に参加すら出来ないだろう。


 美緒の笑顔は輝いていた。憑(つ)き物(もの)が落ちた、とでも言えば良いのだろうか。少し前まで、美緒は表面上笑みを浮かべていたが、その瞳は暗く沈んでいた。慧が何を尋ねても、美緒は取り繕うだけで、その心うちを見せてくれない。


 心配していた慧だったが、今朝、美緒を見たとき、彼女の瞳に宿っていた闇は消え、代わりに光が差していた。彼女を悩ませていた問題が、解決したのだろうか。理由は兎(と)も角(かく)、美緒がいつも以上の笑顔を見せてくれることは、慧にとって嬉(うれ)しかった。


 遊園地に到着した慧達(たち)は、バスの中で話し合っていたとおり、絶叫系を中心に攻めていく。ここは、多くの絶叫系や、大きなお化け屋敷などを中心とした遊園地だ。どちらかというと、大人向けだろう。


「よし! 行こうぜ!」


 フリーパスチケットを購入した慧達(たち)は、マップを頼りに一番人気のジェットコースターへ向かって行く。開園に間に合うように到着した慧達(たち)は、開園ダッシュを決め、誰もいないジェットコースターへ一番手で辿(たど)り着(つ)いた。


 数百メートルのダッシュ。走り慣れている健介はもちろん、普段は授業以外の運動をしていない慧達(たち)三名は、軽く息を切らし、汗を掻(か)いていた。まだ午前中だというのに、気温はすでに30℃を軽く超えている。今日は、30℃後半まで気温が上がるようだ。


 大きなジェットコースターだ。レールは巨大な蜘蛛(くも)の巣のように、青空を縦(じゆう)横(おう)無(む)尽(じん)に走り回り、その全体像はつかめない。先月新設された、日本一を標(ひよう)榜(ぼう)するジェットコースターだ。


 慧達(たち)は建屋に辿(たど)り着(つ)くと、搭乗口まで続く坂道をゆっくりと上っていく。


「あっつい!」


 うっすらと汗を掻(か)いた美緒は、少し汗ばんだブラウスの襟元を広げ、空気を取り入れる。


 今日の美緒は、白い花柄のブラウスに、黒いフレアパンツを履いていた。足下は金色のパンプスに、長い髪は白いシュシュで首元で一つに結い上げていた。


 ななは薄ピンクのトップスに、白いハーフパンツ。足下はショートソックスにスニーカーという、ラフな服装だ。


「やっぱり、夏は暑いね」


 言いながら、慧もシャツの裾をバサバサと広げる。慧は黒いシャツに、水色のハーフパンツだ。健介は、緑色のTシャツにダメージジーンズだ。


 全く統一性のない服装だが、それが高校生らしいと言えば、そうなのだろう。


「こら! 何処(どこ)見てるの!」


 突然、ななが健介の耳を引っ張った。


「イテテテテ!」


 健介は大(おお)袈(げ)裟(さ)な声を上げる。


 何事かと、慧と美緒は顔を見合わせる。


「ごめんね、鹿島さん」


 ななは申し訳なさそうに、美緒に頭を下げる。


「この馬鹿! 鹿島さんの胸元を見ていたの!」


「え?」


 思わず、美緒は開いていた襟元を両手で押さえる。


「見てない!」


「見てた! ジッと、鹿島さんの胸元見てたでしょう!」


「そんな事ないって!」


 必死に否定する健介だが、ななは許す気配がない。黒縁眼鏡の奥にある瞳は、怒りで燃えていた。


「千本木さん、大丈夫、気にしてないから、ね」


 美緒が二人に割って入る。


「男の子は、そういう所があるから。慧君だってね」


 美緒は慧に助け船を求める。慧は「うん、そうだよ」と、美緒に乗っかる。


「そうだよ、なな、気にしすぎ。鹿島だって、慧だって言ってるだろう?」


「だけどさ……!」


 憮(ぶ)然(ぜん)とした表情で、ななは健介の耳から手を離す。


「鹿島さんは、すっごく綺(き)麗(れい)だし、痩せてるし、同性の私から見ても魅力的だし。それに比べて私は……」


 ななは、美緒と自分の体を見比べる。確かに、ななと美緒では、体つきが違う。美緒はスラッとしているが、ななは全体的に肉付きが良い。二人が並ぶと、その違いが如実に表れる。


 だが、それ自体に優劣はない。人の体は千差万別。スタイルの良さは、魅力の一つとなるが、それで人の善(よ)し悪(あ)しに直結するわけではない。


 美緒には美緒の、ななにはななの素晴らしさがある。


「そんな事、関係ないよ。私から見ても、千本木さんは可(か)愛(わい)らしいと思うよ。私は、どちらかというと、擦れてるっていうか……。千本木さんは、本当に高校生らしいよ。私は、そういうの凄(すご)く羨ましい」


 美緒は少し寂しそうな表情を浮かべるが、すぐに笑みを取り戻した。


「あっ、ほら、私たちが一番乗りだよ!」


 美緒は慧の手を引いて、乗務員のところへ向かう。美緒に助けられ、健介はホッとした表情を浮かべた。ななも、美緒に諭されすぐに機嫌を直した。


 先頭に慧と美緒が乗り、その後ろに健介とななが座った。


「私、遊園地に行くの凄(すご)く久しぶり!」


 座席に座るなり、美緒が満面の笑みを浮かべ、目を輝かせる。


「美緒さんは、絶叫系とか、大丈夫なの?」


「分からない! 乗るの、初めてだから!」


 まるで子供のように、美緒は声を張り上げる。声だけではない、キラキラと光り輝くその表情は、初めて遊園地に来た子供のようだった。


「慧君は? ジェットコースター大好きなの?」


 ゆっくりと、車体がレールの上を移動していく。けたたましい音と振動が、これから起こるであろう急降下の予感が、慧の心を激しく揺さぶり、胸を圧迫する。


「ぼ、僕は……あ、あまり得意じゃないかも!」


「じゃあ、楽しんで慣れないとね!」


 美緒は安全バーを握りしめ、周囲に広がる景色に目を向けた。


「見て! 慧君! 凄(すご)い景色! あっ! 富士山もあんなに大きく見せるよ!」


 車体は最高点に到達(たち)しようとしていた。慧は美緒の指す方を見てみる。青空に映える富士山。その裾野には、青々と茂る青(あお)木(き)ヶ(が)原(はら)樹海が見えた。確かに、素晴らしい眺(ちよう)望(ぼう)だ。だが、感想を口に出来る状況ではなかった。


 緊張に顔を強(こわ)ばらせ、汗ばむ手で安全バーを握りしめる。


 タンタンタンタンタン……


 車体を引き上げるベルトの音が止(や)んだ。車体が水平になる。


 緊張の一瞬。


 遊園地の賑やかな雑多な音も、この高さまでは届かない。


 全てが制したような、静寂の一瞬。


 瞬間、目の前の景色が流れた。


 あらゆる景色が線となって、後方へ流れていく。


 慧は言葉を紡げない。必死に安全バーを握りしめ、ただただ体が車体から放り出されないように、強(こわ)ばらせる。


「キャァァァァ!」


 チラリと、慧は横を見る。悲鳴、そう思った慧は隣の美緒を見た。美緒は、笑顔を浮かべ、両手を離し歓声を上げている。彼女の口から出る声は、悲鳴ではなく歓声だった。


「ウォォォォォ!」


 後ろの席では、健介が絶叫を上げている。


 ジェットコースターは勢いを衰えさせる事なく、ループを一回、二回と周り、大きな円弧を描いて終着点の搭乗口へと滑り込んでいく。


「…………」


 魂が抜け出るみたいだ。


 さすが、日本一と言われるだけのジェットコースターだ。慧は放心状態で、魂が抜け出たように放心していた。


 前後左右に振られた脳みそは半分麻(ま)痺(ひ)し、うまく考えがまとまらない。


「慧君、大丈夫?」


 立ち上がった美緒が、放心している慧を覗(のぞ)き込(こ)んできた。慧とは違い、美緒は全然平気なようだ。


「う、うん……、へ、平気……」


「平気じゃなさそうだな」


 健介はななに手を貸し、車体から引き上げる。健介がななにしたように、美緒が手を差し出してくれる。


「あ、ありがとう……」


 ぐったりとしていた。慧は美緒の手を取り、顔を上げる。


 目の前に美緒の顔があった。見惚れてしまう、美しい美緒の顔。ニコニコと笑う口の下には、胸が見えた。先ほど、ボタンを外し大きく開いた襟元から、レースのブラジャーが半分ほど覗いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る