4話

 慧は、一人静かな昼休みを過ごしていた。


 図書室に人はいたが、話し声は聞こえず、誰もが読書や勉強に集中していた。


 慧はその中の一人になり、日当たりの良い席に座り、読書をしていた。


 友人がいないと言うわけではない。休み時間などは友人と話をしているが、昼休みなど、長い時間が取れると、自分だけの時間を作りたかった。たまには健介達と昼食を取るが、殆どは一人で食事を取り、教室でうたた寝をしたり、図書室で読書をして過ごしている。


 慧は科学雑誌を読んでいた。


 科学雑誌と言っても、堅苦しいものではなく、写真やイラストが多く、慧達一般人にもわかりやすく説明されている。


 今月の題材は、『時間』だった。


 難しい話だった。


 時間というのは目に見えない。目には見えないが、確かにそこにはある。直接は感じられず、太陽の移動や、季節の移り変わり、肉体の変化など、何かの変化を通して、認知できている。


 年、月、日、一時間、一分、一秒。それは、生活の利便性を向上させるために、人が作ったものだ。慧を含め、人は目に見えない時間に支配されている。こうして居る間にも、時計の針は進み、慧は死に近づいていく。


 光速に近づくほど、時間の流れは遅くなると言う。


 例えば、光速で移動できる宇宙船があるとする。


 その宇宙船を使い、別の星に三年かかって移動した。そして、戻ってくる。


 宇宙船の搭乗者に取っては、行き帰りで六年しか過ぎていなくても、地球では数十年、数百年の時が流れているという。昔話の浦島太郎と同じだ。


 もしかすると、浦島太郎が助けたのは亀ではなく宇宙人で、亀に乗って竜宮城に行ったというのは、宇宙船に乗って別の星に行っていたのかも知れない。だとすると、色々とつじつまが合う。


 慧はそんな事を思いながら、つまらないオカルト話だと自分を笑った。


(僕は、死ぬとき一体誰と一緒に過ごしているのだろうか)


 一年、二年後なら想像はできるが、二〇年、四〇年、六〇年先の事となると、漠然としすぎていて、想像も出来ない。


 大学進学、就職、結婚、そして、出産。


 慧は男性だから出産はできないが、結婚をして子供を授かるというのも、自然の流れだろう。誰もが思い浮かべる、平凡な未来像。だけど、その平凡な未来像を実現させるのも、かなり難しい事は分かっている。


 進学は努力でなんとかなるかも知れないが、結婚となると、相手も絡んでくるため、慧一人が頑張ってもどうしようもない。果たして、慧の結婚相手は誰になるのだろうか。そもそも、結婚できるのだろうか。


 美緒の事が思い浮かんだが、彼女は結婚するような人なのだろうか。


 まだ、彼女の事をよく分からない慧は、美緒と結婚する事をなかなか想像できなかった。


 頁(ページ)を捲りながら考えていると、視界の隅に髪の毛が入った。


 考えに集中していた為、気が付かなかった。いつの間にか、誰かが前の席に座っていたようだ。


「美緒さん?」


 慧の前に座っていたのは、美緒だった。


 彼女は文庫本を手にし、時折、本の上に垂れ下がってくる髪を邪魔そうに耳の後ろに掛けていた。


 美緒は本から視線を外すと、慧を見て、白く長い指先を自分の唇に当てた。


「あっ、ゴメン。静かにしないとだね」


 美緒は笑みを浮かべると、再び本に視線を落とした。


 以外だった。美緒は漫画以外の本を読まないと思っていた。先日、美緒も同じ漫画を好きだと知った。漫画の話は出来るが、小説の話を出来るとは思わなかった。


「…………」


 チラリと、慧は美緒が読んでいる本を見る。どうやら、その本は美緒個人の本のようだ。ページ上部に書かれているタイトルを見て、慧は思わず目を見開いた。


「美緒さん、それ、買ったの?」


 慧の囁きに、美緒は笑みを浮かべると、本を立て表紙を慧に見せた。


 それは先日、慧が面白いと言っていた小説、『無限の海』だった。その一巻を、美緒は読んでいた。


 心が躍った。視線は科学雑誌に落としていたが、とても読める心境ではなかった。一刻も早く図書室を出て、美緒と話がしたかった。


 慧が時計を見ると、丁度昼休みが終わるところだった。


「美緒さん、戻ろうか」


 慧が声を掛けるのと、予鈴が鳴るのが同時だった。


「うん」


 美緒はしおりを挟むと、大事そうに本を小脇に抱えた。


 雑誌を所定の位置に戻した慧は、顔見知りの図書委員の女の子に頭を下げ、美緒と一緒に図書室を後にした。


「美緒さん! 本、読んでくれたの?」


「うん。慧君が面白いって言っていたから。書店に寄ったら、丁度フェスをしてて、目にとまったの」


「どう? 面白い?」


 慧は美緒が手にする本を見やる。何度も読み返した本だ。


「ん~~、正直に言うとね」


 美緒は上を見て、顎に指を添える。


 慧は唾を飲み込んだ。


 美緒が少しでも読書が好きになってくれれば、話の幅が広がる。同じ情報、気持ちを共有したかった。


「面白かったよ! 主人公のヒドルストンが格好良いよね。でも、不幸すぎない? 理不尽過ぎるよね」


「そうなんだよね。最初の方は、海賊になる件(くだり)がとても面白いんだよ。もう、心を締め付けられるって言うかさ」


「うん、分かる分かる」


 美緒は微笑む。彼女の微笑みは、天使の微笑みだった。見ているだけで、慧の気持ちは軽くなり、天にも昇るようだ。


「ねえ、慧君。帰りにさ、少しショッピング付き合ってくれない?」


「ショッピング?」


「もしかして、今日って塾? 無理かな?」


「ううん、違う。塾じゃないよ。僕で良ければ、いくらでも付き合うよ!」


「良かった。じゃあ、一緒に帰ろう」


 午後の授業に向かう足取りは、いつも以上に軽く感じた。残りの授業の終了時刻が、とても待ち遠しかった。

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