2話

 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 放課後の教室には、オレンジ色の優しい夕日が入り込んでいた。爽やかで穏やかな春が過ぎ、ジメジメとした陰鬱な梅雨が始まる。


 ○県□市、人口三十万人の中核市。首都圏からも近いこの場所は、各種自動車メーカーの工場や、その下請け会社が集まり栄えていた。


 □市の中でもそこそこ上位にある森崎高校は、先日中間テストが終わり束の間の休息期間に入っていた。テストの結果が分かり、皆が各々の生活に戻り始めた頃、教室に四人のグループがたむろしていた。


 烏の濡れ羽色の長い髪、キリリとした目鼻立ちのハッキリとした美人は鹿島美緒。


 美緒の右隣に座るのは、関(せき)口(ぐち)克(かつ)巳(み)。日に焼けた褐色の肌に、短く刈り込んだ短髪。勝ち気そうな力強い眼差しは、そのまま彼の悪戯な性格を表現していた。


 美緒の正面に座り、茶髪でナチュラルにカールさせている少女は山(やま)崎(さき)詩(し)織(おり)だ。学校では禁止されているが、いつも薄いメイクを施して男子生徒の注目を集めようとしている。


 最期に、美緒の右斜め前に座るのが、克巳の親友である西(にし)昌(まさ)利(とし)だ。克巳と同じように短髪だが、その髪はオレンジ色に染まっていた。


「さて、試験の結果は出揃ったワケだが……」


 克巳は机の上に並べられた試験結果の内容を見て、口の端を持ち上げる。


「テスト前にも言ったとおり、一番点数の悪かった奴は、罰ゲームを受ける」


 嬉しそうに言う克巳。その横で、美緒は溜息を漏らした。


「マジ、最悪……」


 美緒のグループは、一般的に言う落ちこぼれの集団だ。良くある進学校での挫折。中学校ではそこそこの成績だったが、同レベルの者達が集まる高校では、上位争いは熾烈だ。結果、美緒達は一年の三学期には脱落し、テストも下位をキープしていた。


 テストの一週間前。言い出したのは克巳だった。


「そうだ、テストの結果で賭けをしようぜ?」


 毎日が暇でやることのない美緒達は、克巳の提案に乗った。


「ビリになった奴は、一位になった奴の言うことを聞く。各自一位になったときの命令を封筒に入れて、保管。試験の結果が返された日、それを開けて罰ゲームを執行する」


 結果。美緒がビリだった。テストの結果は最悪の中の最悪。賭けの事を忘れていた、と言えば嘘になる。ただ、克巳の言う賭けの為に勉強する気にはならなかった。皆がそうだと思っていた、だけどそれは美緒の勝手な思い込みだった。


 普段は勉強をしない詩織も克巳も、あの昌利でさえ勉強をしていた。


「一位は俺で、ビリが、美緒だな!」


 克巳が嬉しそうに叫ぶ。詩織も昌利も、手を叩いて喜ぶ。


「ハイハイ、おめでとうおめでとう、次は絶対に負けないから」


 イライラしていた。勉強で負けたことに、純粋に腹が立っていた。この四人の中で、普段は美緒が一番成績が良かった。油断していたのもあるが、勉強をしなかった美緒が一番悪かった。同じ高校に入っている時点で、元のレベルは同じなのだ。皆、今まで勉強をしていなかっただけで、やれば出来るのだ。


「それで、克巳は何をさせたいの? エッチなのはダメよ?」


「ああ、俺は――」


 克巳はバッグから封筒を取り出した。それを、美緒はスッと横から取り上げる。


「え~と、なになに?」


 封筒からノートの切れ端を取り出した美緒は、書かれている言葉を見て眉を顰めた。一瞬、呼吸が止まり、カッと顔が熱くなるのを感じた。


「こ・く・は・く!」


 克巳が笑う。


「わーーー! 美緒が告白? 凄い! 良いんじゃない? 誰に? 誰に?」


「すげー面白そう! 誰に告白するんだ!」


 詩織と昌利が食いついてくる。「まあ、落ち着いて」と、美緒は二人を制した。


 克巳が書いたこの罰ゲームには、続きがあった。


「告白し、付き合ったら、夏祭の日に振る」


「振るの? 振っちゃうの?」


 詩織が笑いながらバタバタと足を鳴らす。昌利は面白そうに口を歪めただけだ。


「何それ? サイアク、超面白そうなんですけど!」


「だろ? 美緒が告白するのも面白いし、更に振られる奴の顔を見るのも面白い」


「一度で二度楽しめるって事だな!」


 克巳と昌利がハイタッチをする。


「さて、美緒、誰にする?」


 克巳がこちらを見てくる。意地の悪い、濁った眼差し。


 溜息を漏らしつつ、美緒は克巳の視線から逃れるように教室を見渡す。


 何故、自分はこんな所にいるのだろう。こんな連中と一緒に居るのだろう。


『あなたがバカだからよ』


 あの声が聞こえた。見ると、詩織の後ろに隠れるようにして『少女』が立っていた。


 黒いワンピースに、烏の濡れ羽色の黒い髪。そして、ワンポイントである白いカチューシャ。


 病的なまでに白い肌に、赤く薄い唇、黒真珠のような瞳。その瞳は、底なし沼のような深い闇を称えている。


『あなた、本当にそれでいいの? 屹度後悔する。絶対後悔するよ?』


 スッと、美緒は『少女』から目を反らす。


 またあの『少女』だ。あの子が見え始めたのはいつからだろう。


 私が好きでもない男性に抱かれたときから?


 それとも、高校に入って、自堕落な生活を送るようになってから?


 いいや、もっと前。私が大切なナニかを失ったときから?


 思い出せない。だけど、ずっと彼女は私の周りにいる。私が大きな、大事な選択をするときに、きまって彼女は現れる。


 気が付くと、美緒の視線は一つの席の上で制止していた。


「あの席は……」


 自然と声が漏れていた。


「佐藤慧だな。今回のテストでも、結構上位に食い込んだらしい」


「知ってる。小学校から一緒だもん」


 佐藤慧。知ってはいる。だけど、一度も話したことがない。


 根暗、眼鏡、女性のような顔。美緒の印象は、大体そんな所だ。慧と仲の良い女子で茂木(もてぎ)夕(ゆう)貴(き)という少女がいるが、彼女は美緒の家の近所に住んでいる。もっとも、夕貴とも話したことが殆どなかった。


 慧も夕貴も、どちらかというと、『優等生』に属する。代わって、美緒は『劣等生』に属する。『真面目』と『不真面目』。付き合う友人も違うため、同じ学校だったというだけで、接点は少ない。考えてみれば、慧と同じクラスになるのは初めてだった。


「もしかして、佐藤にするの?」


 詩織が目を輝かせる。


 克巳はこちらを凝視している。


 昌利はニヤニヤと笑い、考えていることが分からない。


「そうね、佐藤に告白してみる。彼、草食系みたいだし」


 付き合うと言っても、それはあくまでも、『振り』だけだ。静かで奥手そうな彼ならば、間違っても体を求めてきたりはしないだろう。それに、彼ならば振られてとしても、粛々とその事を受け止めてくれるだろう。


 もっとも、影で自分たちの笑いものにされるのは、少々気の毒だが。


『呆れちゃうくらい、馬鹿ね。救いようがない』


 気が付くと、『少女』が慧の机の上に座っていた。


 美緒は『少女』を無視した。


「決行は明日」


 美緒は断言した。三人から喝采が上がる。


『後悔しないでね』


 『少女』はそう言うと、フッと背景に溶け込むように消えて見えなくなった。


 美緒は『少女』が消えた後も、その場所を睨み付けていた。


「美緒? どうした?」


 克巳がスカートの裾を掴んで引っ張ってくる。


「なんでもない」


 無造作に克巳の手を払った美緒は、カバンを持つと不機嫌な顔で立ち上がった。

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