第2話 異世界生活のはじまり
【前回のあらすじ】
連日の残業を終えて帰る道すがら、猫を助けてトラックにはねられた社畜・エイゾウ。
どうやらその猫は神様っぽい何かだったらしく、見返りとして希望のスキルを貰って異世界に転生することに。
プラモデルや手芸が趣味だったエイゾウが選んだ職業は「鍛冶屋」。そして、猫を飼って平穏に暮らすことが望み。
さらに肉体も若返らせてもらって……。
目を覚ますと抜けるような青い空が見えた。俺は仰向けに寝転んでいる。
身体を起こして周りを見ればそこには鬱蒼とした森が広がっている。その中で開けた広場のようなところに寝転んでいたようだ。
パッと見た限りでは日本と何ら変わらない森。
しかし、俺はここが日本どころか、そもそも地球上ですらなく、さらに言えばもうあの元いた世界でもないことを知っている。
ここは、異世界だ。
(中略)
俺はそろそろと立ち上がった。心配していた立ちくらみはない。それが年齢が若返ったからかどうかは分からない。手を見てみるが、言った年齢かどうかは分からなかった。そもそも、ある程度の歳になったからと言って、急に変わる部位でもない。
ふぅ、と一息ついたとき、頭がズキッと痛んだ。
「これか……」
意識を失う直前まで、女(らしき気配)は俺に説明を続けていた。その中の一つがこの頭痛だ。
『キミの存在が世界に馴染む瞬間、頭痛がするかも知れない。それはキミに与えたスキルや知識や経験なんかをキミの脳と身体にマッチングさせている証拠だから、安心して欲しい』
女はそう言っていた。
「大した能力じゃないんだろうから、もうちょっと加減してくれても良かったんじゃないか?」
そうひとりごちながら辺りを見回す。特に目立つものはない。
『とりあえず住めて鍛冶ができるところは用意するよ。あと食べ物や材料なんかも少しね』
とも女は言っていたが、さて、ここにはないのだろうか。わざわざ転移先から離れたところに用意しておく必要もなさそうなのだが、もし遠いところだったら厄介だな。最悪、探し当てられない可能性もある。
俺は周囲を散策して探してみることにした。住居を構えるのなら、この広場が適していそうなのだが、今見たところでは何も存在しないので、別の場所にあるのだろうと思ったからだ。
木々のそびえる中に入っていくと、木の香りがより一層強くなった。日差しが入ってこないのでかなり涼しい。
時折、葉擦れとは違う音が木の枝からしている。何かの小動物だろうか。
木々そのものは前の世界のものとあまり変わりないように見える。天を支える柱であるかのようにそびえる木の一本に触れてみる。
ザラッとした感触が手に伝わってきた。
触った感じでもやはり普通の木のようだ。別に
不意に近くの木の枝からガサッと音がした。そちらに目を凝らすと、緑色のリスみたいな小動物がこちらの様子を窺っている。毛の色が緑のリスがいるという話を前の世界で聞いたことはない。
とすると、あのリス(?)はこの世界の動物だろう。
それを見て俺はここが異世界である実感を持つことが出来た。
だが、今その興奮をうっかり出すとあのリスを怯えさせてしまいそうだし、なかなか愛嬌のある可愛い顔をしていても、もしかするとものすごく凶暴な生物である可能性もあれば、毒を持っている可能性だってある。
なんせここは異世界だ。
なので、そっと見守るだけにしておいた。
さっきの頭痛のあと、俺の脳内にはすごい勢いでこの世界についての知識が流れ込んできている。
言うなれば〝インストール〞といったところか。
この知識があれば、この世界で最低限不審がられたりすることはなさそうではある。
知らずに高貴な人に失礼なことをして斬首、なんてことになったらちょっと悲しすぎるもんな。
問題は動物についてもなんとなくの知識はあるのだが、細かい知識がないことだ。
さっきのリスがどういう生活をしているのかや、毒があるのかないのかなどはわからない。詳しい人でもいればいいのだが……。
軽く周囲を散策してみたが、何もなかったので戻ってくると、俺の視界が大きなものを捉えた。
確実に、来たときにはなかったものだ。
なんとそこに小屋と呼ぶにはいささか大きすぎる建物があるのだ。
ぱっと見にはおしゃれなログハウスにも見える。
「いったいなんなんだ……」
女の説明からすればおそらくここに住め、ということなのだろう。さっきまでなかったのが、〝本当になかった〞のか、〝見えないようになっていた〞のかは分からない。状況を考えるといずれにせよ安全なのだろうとは思う。
しかし、俺は慎重にその建物に近づく。
貰った能力のせいだろうか、屋内に気配がないことがわかる。
周囲からも少なくとも俺に対する敵意や警戒心といったものは感じられない。
そろりと格子窓から中を覗き込む。
無人だ。
念の為、窓の下をかがみ込むようにしながら、自分の姿を屋内にさらさないように扉に向かう。
扉にはシンプルな取っ手と鍵がついていて、回すようなノブはない。
そっとその取っ手を引くと、抵抗なく扉が動いた。特に鍵はかかっていない。
俺は開いた扉の隙間から中を窺う。気配も匂いもない。とりあえずは安全そうだ。
俺は普通に立つと、扉を開け放つ。
その途端、くぐもった「カランコロン」という音が聞こえて、ギクリとして思わずしゃがみ込んだが、特になんの反応もない。
ホッと胸をなでおろして中を見渡してみると、中は前の世界で昔にスキー旅行へ行ったときに泊まったコテージのようになっている。
その時と違うのは二階がないことと、カウンターキッチンでなく、日本家屋で言うところの土間にあたるような場所にかまどと食器類が収納されている棚があり、キッチンはそこであるということだ。さらにその奥には扉がある。
そこに紐が伸びているのに気がついた。どうやらさっきのカランコロンという音は、あの扉の向こうから聞こえてきたらしい。
扉を閉める(またカランコロンと音がした)と、〝閂〞があるのに気がついたので、一旦それをかけて中に入ると、大きな部屋には結構な大きさのテーブルと椅子が数脚置いてある。
上を見上げると、天井はかなり高い。鳴子のような物が見えるが、音のくぐもり方からしてもさっきのはアレが鳴ったのではないだろう。
となると、アレを鳴らす何かが他にあるということだ。
気にはなったが、一旦置いておいて見回すと、部屋の隅に扉が三つある。
そのうちの一つを開けてみると、どうやらトイレのようである。
さっき見たときに寝具が見当たらなかったから、残り二つのどれかが寝室なのだろう。
俺はその片方の扉を開けてみる。そこそこ大きめの机と書棚のようなものがある。どうやら書斎だったようだ。
もう一つの扉を開けて確認すると、予想通り、そちらは寝室である。そこそこ大きめのベッドと、サイドテーブル、小さな丸椅子が備えてあり、さながらビジネスホテルのようである。さて、次はいよいよ大本命だ。
『鍛冶ができるようにしておくよ』
そう言っていたからには、それなりの設備が整っていることを期待したい。とは言っても、おそらくは長いこと一人で操業することになる(弟子をとったりするつもりも今のところはない)のだし、原料生産のための木炭高炉みたいなものを備え付けられても扱いに困るが、それなりの物が欲しいところだ。
俺は期待半分、不安半分の心持ちで土間奥の扉を開けた。すると、そこには金床や鎚はもちろんのこと、るつぼを熱するための炉だけでなく、火床やレン炉のような製鉄炉も備え付けてある。
おおよそ鉄(鋼)の武器と呼ばれるものは西洋剣も日本刀も、小さなもので言えば矢じりなんかも全てここで製作することができそうである。
これらの道具や装置の使い方については、インストールで入ってきた知識でなんとなく分かる。
確かにこれなら、あのひどい頭痛を受けたかいがあろうというものだ。
鍛冶場には小さなカウンターが設けられていて、その向こうにちょっとしたスペースがあり、更にその向こうには外へと続いているらしい扉もあって、そこに大きな閂がかかっている。
「なるほど、営業はここで、ってことか」
つまり、向こうは居住スペース、こちらは作業場兼販売所ということらしい。
こちらの作業場にいる間に、もし居住スペースの扉の閂をかけ忘れていて、お客さんが来ても、こっちにある鳴子が鳴ってわかるという仕掛けのようだ。
見ればこっちの扉には居住スペースにつながる紐が見える。
こちらに来たときは向こうで鳴る、というわけで、地味にありがたい機能と言える。
そうやって一通り室内を確認して、俺は居間に戻ってくる。
まだ完全にはここで暮らしていくのだという実感はない。
そうは言っても〝向こう〞に戻る方法は皆無なので、覚悟を決める必要はある。
向こうでは天涯孤独で、死んだことになったとして、困るのは会社の上司くらいなものだ。
まぁ、「代わりはいくらでもいる」を実践すればいいだけなのだし、困ってはいないかも知れないが。
俺は頭を振って思考を追い払い、これからのことに集中することにする。
その途端、腹が「グゥ」という音を鳴らして、食事を催促した。
体は嘘をつかないな。
我が体ながら若干呆れてため息をつく。
台所にはなにがしかの食料があるだろう。俺はドアの向こうの台所へと向かった。
(中略)
スープを腹に入れて少し経ったがまだ日が沈む気配はない。
木々の葉が邪魔になって直接はよく見えないが、午後だとしてもまだ結構日が高いようだし、身体の感覚も日が沈むまでは結構ある教えてくれているので、少し外を探索してみることにした。
居住スペースに置いてあった剣鉈をとって腰につける。
このときまでそれどころではなかったので今更気がついたが、今の俺は麻の服とズボンに、革のベストといういわゆる〝RPGの村人〞スタイルだ。この格好なら突然誰かに出くわしても特に不審がられることはないだろう。
いやまあ、ここがとんでもなく辺鄙な場所であった場合は、そもそもそんなところに人がいるのがおかしい、ということになってしまうわけだが。
ともあれ、体感で二〜三時間ほど水場を探して、見つからなかったら戻ってくることにしよう。
俺は外へ出て、扉に鍵をかけると、森へ踏み入った。
日が高いからか、それとも木の間隔が広いからか、森の中はめちゃくちゃ暗いというわけではない。
「それでも早めには戻ってこないとダメだろうな」
そうひとりごち、手近な木に剣鉈で印をつけながら奥へ進んでいく。
もうすでに家は見えなくなっているが、俺の体にインストールされている知識や経験があるので、家の方角はなんとなく分かっている。
この辺の頭の中のズレは、少しずつ解消していかないといけないだろう。
鍛冶屋の仕事の方も、〝前の世界〞では全くの未経験の俺だ。おおよその仕事はインストールされた分でもできるとは思うのだが、そこは俺の記憶にはない部分である。そういったズレも日々の作業で解消していかなければいけない。
ただ、そこに不安はあまりない。今こうやって森を探索している間にも、知識や経験が少しずつ体に馴染んでいくのが分かる。
とは言っても、何のタイミングでズレが戻って、家の方角が分からなくなるか知れたものではないので、念の為に木に印を入れていくことは止めない。
また、その道すがらに頭の知識が教えてくれる解熱や傷の化膿止めに用いる薬草なんかをポケットに入る分だけ摘んでいく。確か家にはなかったはずだ。「確実に取りにいける薬草」というのは、この世界ではなかなかに重宝することは間違いない。ここは結構いい場所かも知れない。
そうこうして、体内時計で小一時間ほども経った頃、水があるらしい音が聞こえた。こっちの世界では貴重な給水ポイントを見つけたようだ。
音のする方に向かうと、果たしてそこには湖があった。
俺がいるのは下流側らしく、少し遠くに湖水が流れ出ていく川が見える。
反対側の岸辺がここからでは見えないので、かなり大きな湖なのだろうか。ここまでの道中では薬草やらなんやらを探り探り来たので、他に目もくれずに来れば、おおよそ一五分程度でたどり着くだろう。
これでおそらくは水については解決だ。毎日何往復かしないといけない可能性はあるが、一日の大半をあの家で過ごすことを考えれば、ちょうどいい運動になるだろう。
明日から早速日課にしたい。
ついでに湖を覗き込んでみた。
水に映っているだけなので分かりにくいが、どうやら俺の年齢は希望通りの三十歳くらいらしい。
まぁ、それなり以上の腕の鍛冶屋(にしてくれたと思っているし、インストールの経験と知識ではそうなっている)で、しかも最近引っ越してきた、となれば二十歳やそこらでは説明がつかない。
どこかで修業を積んだ後、なにかから逃れるようにしてこの地にふらりとやってきた鍛冶屋、くらいのカバーストーリーがなくては怪しいにも程があるだろう。あってもそれなりに怪しいのに。
まだ日が沈むには早い、と身体が教えてくれているので、もう少し湖のほとりを探索する。水辺を歩きつつ、時折立ち止まって水の中に目を凝らしたりしていると、いくつかの発見があった。
まず、ところどころにキイチゴのような実をつけた低木や、リンゴのような実をつけた高木がある。
インストールされた知識によれば、これらの果実は食べられるらしい。
俺はリンゴのような実を一つもいでみた。匂いを嗅いでみると、見た目通りのリンゴの匂いがする。
食べられそうなので、恐る恐る一口かじってみる。
「酸っぱいな!」
確かにリンゴの風味はあるのだが、想像以上に酸味が強い。リンゴ酢とまでは言わなくとも、かなりの酸味で、これは駄目な人は駄目だろうな……。恐るべし野生種。
前の世界では農家さんたちの努力が文字通り結実した結果が、あの甘い果実だったんだろう。
食材のストックはまだあるし、確保した食材を持ち帰るための道具を持ってきていないので、今日のところは確保を諦めることにした。
目を凝らして水の中を見ると、湖の水はここで湧いているようで、今ここからは見えないが、もしかするとこの周囲のどこかに山でもあるのかも知れない。
水は綺麗で、魚が棲んでいる。
これも釣ったり漁をしたりする道具を持ってきていないので、今日は獲らない。
後日の楽しみだが、鍛冶屋をやっていて果たして釣りや漁を楽しむ暇はあるのだろ
うか。
生計は鍛冶屋で立てるのだから、当然本来はそっちが忙しくてそんな暇もないのがいいには決まっている。
まぁ、もしそうなったら定休日を決めて、その日にでも来ればいいか。
ワーカホリックよりスローライフだ。
そうこうしているうちにいい時間になった、と身体が告げてくれているので、もうそろそろ戻るか……と思ったとき、草むらの陰に横たわる何かを見つけた。
一五〇センチくらいあるだろうか。普通の動物だとしたらかなり大きい。俺は慎重にその動物に近づく。
陰でよくわからないのだが、頭には犬か猫のように三角の耳が生えている。全体のシルエットは人間に近い。
その肩らしきところが荒々しく動くのを見て、俺は少し急ぎ気味に近づいていく。確実に俺の足音は聞こえていると思うのだが、その動物はやはり息を荒らげて肩だけが動いている。
手が届かないあたりまで近づくと、全貌がわかった。その動物、いや、動物と言っては失礼かも知れない。
その人物は虎のようにも見える頭と尻尾を生やした、獣人族だったからだ。
最後に戦ったときは使わなかったのだろう、弓を肩からかけており、腰の辺りには矢筒を提げている。
そして、胸の辺りだけを覆うような軽装の革鎧をつけていて、虎のような毛の生えた手足を含めて、あちこちに傷を負い、苦しそうにしている。
うつ伏せに倒れているにもかかわらず、服の脇腹部分が裂けているのが見える。
そして、その周囲は赤黒くなっており、そこから派手に流血しているわけではないが、一番の深手であろうことは〝インストール〞がなくても一目瞭然だ。
「これは今すぐ運ばないとヤバいな」
俺は正面から抱き起こす。
すると、そこには革鎧に覆われてはいるが、思ったよりしっかり張り出した胸がある。
ギョッとしてしまったが、そんなことをしている暇はないので、脇に頭を入れて体全体を肩に担ぎ上げた。前の世界で言うところの〝ファイヤーマンズキャリー〞である。
「女の子ならお姫様抱っこのほうがロマンチックなんだろうが、こっちのほうが早いからな。すまんが我慢してくれ」
見た目よりも遥かに軽い虎の獣人の女の子を肩に担いで、急いで家に戻る。少し奥まで行ったので余分に時間はかかったが、予想通り、湖の一番近いほとりから家まではおおよそ一五分ほどだった。
その間にもどんどん女の子は力を失っていく。
それでもまだ、ぬくもりが失われていく感じはないから、ギリギリで間に合ってくれると信じたい。
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