もしも萌花が龍神だったら

 萌花は、水の里で神様をやっている。

 腰まで伸びた狐色の髪に、純粋な橙色の瞳を持っている。


 そんな萌花は今、雷の里に来ている。

 雷の里は水の里から少し遠いのだが、そこにはある事情があって来ていた。

 それは――


「おはようございます! 葉奈ちゃん!」

「萌花ちゃんっすか……って、なんて格好してるんすか!?」

「え、何って……」


 萌花的には普通の格好をしているつもりだったのだが、葉奈にとっては普通ではないようだ。

 葉奈は顔を真っ赤にして、その赤い顔を手で覆っている。

 極力こちらを見ないようにしているのが伝わってくる。


「――裸ですけど?」

「それを訊いてるんじゃないんすよ! なんでかって訊いてるんす!」

「えー……だって服嫌いなんですもん……動きづらいですし」

「もう、なんでもいいから服を着てくれっす! 目のやり場に困るっす!」


 萌花は服嫌いなのだが……葉奈は萌花の気持ちなんてどうでもいいみたいだ。

 仕方なくいつもの服に着替えることにした。


「これでいいですか?」

「え? あ、あぁ…………」


 葉奈はやっと落ち着きを取り戻したみたいで、木製の椅子に座り直した。

 葉奈の眼は、萌花と対照的なエメラルドグリーン。

 髪の色は森の深々とした緑を連想させる。

 しばらく見つめていると、そのエメラルドグリーンの瞳が萌花を捉える。


「で、何の用っすか?」

「あ、そうです! 今、水の里でお祭り開いてるらしいんですけど、一緒に行きませんか??」


 萌花は犬のように、はちきれんばかりに尻尾を振って、目を輝かせながら言った。

 しかし――


「はぁ!? なんでうちが水の里まで行かなきゃいけないんすか……」

「だって、すごく楽しそうなんですよ!? ねぇ〜、一緒に行きましょうよ〜」


 葉奈は面倒くさがって最初は断っていたのだが、だんだん萌花のしつこさに嫌気がさしたのか、最終的に一緒に行くことになった。


「そんじゃ、しっかり掴まれっす」

「おー! 掴まりましたよ!」

「じゃあ行くっす〜」


 言い忘れていたが、萌花たちは龍だ。

 普段は人型で過ごしているが、遠くへ移動する時などはこうやって龍の姿に戻ることになる。


 風に靡く髪や服は鬱陶しかったが、久々に上空からの景色を眺めることができて、萌花は感極まって叫び出しそうになった。


 ☆ ☆ ☆


「へー、すごいっすね……」

「ですね! 結構人いっぱいです!」


 萌花たちが見回しているのは、祭りが行われている神社。

 いつもは人気の少ない神社だが、今日はたくさんの人――龍で賑わっていた。


「あ、金魚すくいがありますよ! やりませんか?」

「はぁ? 金魚なんてすぐ死ぬっすよ? それとも食用っすか?」


 ――わかってる。

 自分たちが人間ではないことを。金魚の命は人間と同じぐらい短く、儚いものだ。


 萌花たち龍は、本当に長生きで……膨大な時間を持て余している。

 龍神である萌花は、通常の龍よりも多大な時間を過ごさなければならない。


「……ごめんっす。ちょっと言いすぎたかもっす。でも……萌花ちゃんの傷ついた顔、見たくないんすよ……」

「わかってますよ。ありがとうございます、葉奈ちゃん。じゃあ、わたあめ買いたいです!」

「わたあめっすか? 子供っぽいっすね……」

「いいじゃないですか! わたあめ美味しいんですもん!」


 萌花は葉奈の悲しそうな顔を置き去りに、精一杯の笑みを浮かべ、わたあめの屋台まで逃げるように走った。

 一粒の水滴を――隠しながら。


 ☆ ☆ ☆


 ――ドンッ!


 大きい音が鳴り響いたかと思いきや、次の瞬間には空に光が上がる。

 それはとても煌びやかで、とても胸を打った。

 夜空に浮かぶ、淡い火で構成された花が次から次へと所狭しと湧き上がる。


 夜闇を明るく照らし出そうと、光と音のオンパレードが繰り広げられる。

 淡く、それでも力強い光は、いつまででも見ていたいと思わせるに足りた。


「ねぇ、葉奈ちゃん! 花火ってすごいですね……って、あれ? 葉奈ちゃん?」


 そばにいたはずの人影が見当たらない。

 花火に夢中になりすぎてはぐれたことに気づけなかったようだ。


 萌花の顔色がすぐに焦燥に染まる。

 思わず駆け出した。

 葉奈が行きそうな場所、行きそうな屋台……様々な場所を探し回ったが、一向に見つからない。


 焦りだけが募る。

 嫌な予感しかしない。

 汗が頬を伝う。

 だが、それに構っていられない。


「葉奈ちゃーん!!」


 いつの間にか叫び出していた。

 葉奈の耳に届くように、大きく。


 しかし、静寂だけが返ってくる。

 もう、葉奈に会えないのか。

 萌花の心が本格的に絶望に染まりかけた時、ふと顔を見上げると、神社の本殿が映った。


「ここなら――葉奈ちゃんを見つけられるかも!」


 そう呟き、一目散に駆け出した。

 葉奈を少しでもはやく見つけ出すために――


 全力疾走したおかげか、数秒でたどり着くことが出来た。

 時間帯が時間帯だけに、本殿に妙な空気が漂っているように見える。

 萌花は息を呑むと、恐る恐る本殿の中へと吸い込まれるように入っていった。


「……よし、ここなら――」


 覚悟を決め、震える拳に力を込め――告げる。


「ここの主さん、ごめんなさい。力をお借りします」


 そう告げると、萌花の周りに風が巻き起こる。

 萌花の髪と服を靡かせながら巻き起こる風は、「どうぞ、存分にお使いください」とでも言っているようで――


「あははっ。そういうことなら遠慮なく」


 思わず笑ってしまう。

 こんな一大事に笑える余裕があるとは自分でも思わなかった。


 そして目を閉じ、“力”に集中する。

 ――膨大な力。

 龍神である萌花でさえ扱いきれない量な力が溢れているのを感じる。


 こんなにも調子がいいのは初めてだ。

 そうやって萌花は不敵に笑った。

 そして――


「千里眼!」


 そう言葉を紡ぐと、この世界の隅々まで見透せるほど視力が上がった。

 透視能力もあるのか、建物をないものとして、人々しか映し出さない。

 キョロキョロと辺りを見渡すと、本殿の裏にずっと探し求めていた姿が映る。


「葉奈ちゃん!」


 思わず叫び出し、すぐさま千里眼を解く。

 そして、葉奈の元へ駆けつける。

 しかし、そこにいたのは――


「萌花ちゃん!? 来ちゃダメっす!」

「え……?」


 葉奈の制止の声が聞こえ、思わずたじろぐ。

 そして葉奈のそばにいた人影に目を剥いた。


 そう、よく見知った顔。

 葉奈にとっても、萌花にとってもトラウマなその、人物たちは――


「雷の里の……生き残り……そして、葉奈ちゃんに嫌がらせをしていた――悪逆非道な龍たち……」


 萌花は震えた。

 なぜ、こいつらがここにいる?

 なぜ、また葉奈に絡む?

 困惑に満ちた脳内に、悪逆非道な龍たちのどす黒い声が響く。


「悪逆非道とは……随分言ってくれるじゃないか」

「そうだなぁ。でもまあ、悪いことしてる自覚はあるけどね?」


 萌花は怒りが頂天に達した。

 腸が煮えくり返る。

 先程からの震えは怒りによるものだ。


 この顔面も内面も醜い悪鬼たちを見逃す輩がどこにいる?

 このどす黒い声を封じる術があるのなら、それを使わずして何を使う?


 萌花には――“神力”という力が備わっているのだから。


 そう考えて、萌花は不敵な笑みを浮かべた。


「ふふっ。自覚はあるんですね。なら分かりますよね? 悪は裁かれるものだって」

「裁かれる? 誰にだ? 裁く者がいないと成り立たないだろ」


 それに呼応するように、心底不愉快な笑みを浮かべ、嘲笑うように言う。

 ――萌花はそれをさらに嘲笑ってやった。


「ふぅん。そうですね。だけど――裁く者はここにいますよ?」

「――…………は?」


 萌花の言葉に、間抜けな声と顔が応える。

 ――刹那、大量の水が萌花を囲む。

 そして翼を形作り、左肩の翡翠の烙印が紅玉色に変わる。


「は――…………なっ……」


 葉奈を貶めた龍たちが、萌花の変化を見て言葉を失った。

 笑っていた顔は徐々に引き攣り、面白い顔をしている。


「あははっ。すごい……あなたたちそんなに面白かったんですね!」


 その顔を見ていると、笑いが止まらない。

 ひとしきり笑うと、手を翳し、虚空から水を出現させる。

 その水はふわふわと漂い、無重力状態のように丸まっている。


「水龍の怒り――デルジェ!」


 そう言葉を紡ぐと、手のひらの周りに漂っていた水の量が増し、悪龍たちを呑み込む。

 悪龍たちの身の丈の倍はあろう水が一気に押し寄せ、悪龍たちを襲う。

 萌花は顔を顰め、左肩の烙印から来る痛みに耐えながら大量の水を操る。


「ぐっ……」

「も、萌花ちゃん! もうやめろっす!」

「え……葉奈ちゃん?」


 ずっと萌花と悪龍のやり取りを眺めていただけの葉奈が口を出す。

 葉奈も心の痛みに耐えながら、なんとか声を絞り出しているように見えた。


「ダメっす、萌花ちゃん! またあの時の過ちを繰り返すんすか!?」


 萌花と葉奈の悲惨な思い出。

 それをなぜ今引っ張り出してくる――?


「な、なんでですか……? なんで葉奈ちゃんが止めるんですか!? 葉奈ちゃんだっていなくなってほしいでしょう!?」


 萌花は葉奈に止められようとしているこの状況に耐えられなくなって、叫び散らした。

 よりによって、こうすることで喜んでもらえると思っていた相手に、制止の声をかけられたのだ。

 だが、そんな思いはすぐに消え去った。


「萌花ちゃん。確かにうちはこいつらを許す気もないし、死んでほしいと思ってるっすよ」


 そう言って、悪龍たちを睨みつける。

 しかし――


「それ以上に、萌花ちゃんにこれ以上手を汚してほしくないんすよ」


 目を瞑って、優しく宥めるように言った葉奈に。

 萌花はもう――怒りも悲しみもなかった。


「つーわけで、うちに手ぇ出すと萌花ちゃんが黙ってないっすから――今すぐ消え失せろっす」


 踊るようにキラキラした笑顔から一転。

 氷点下の眼差しを向けられた悪龍たちは、もう反抗することはなく、慌ただしくこの場から消え去っていく。


 後に残ったのは、力を出し切り疲弊した萌花と――やり切った感を出して意識を手放した葉奈だけだった。


 ☆ ☆ ☆


 後日。


「ちょっと葉奈ちゃん! わたあめ萎びてます!!」

「あんたまだ食べてなかったんすか!?」


 今日も元気に――二頭の龍は叫び散らしていた。

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