もしも葉奈が獣耳だらけの国の住人だったら2

 ある朝。

 葉奈がいつものように雑巾がけをしていると。


「大変だよ〜! 美久里って人、巷じゃ有名な悪の組織『肉食獣』ってやつのリーダーらしいよ〜!」


 先輩花魁の――美久里の相手をしたあの人が、甲高い声を出しながら走ってきた。


「え……どうしたんすか、先輩。息、きれてるっすよ?」


 葉奈がそう嘯くと。


「聞こえてたよね〜!? も〜!」


 と、意外といじりがいがある先輩で、何処と無く葉奈は好意を持っている。


「で、悪の組織? ……美久里? がどうしたんすか?」

「やっぱり聞こえてた〜! ……そうみたいなの。それで、尋ねてきた人は美久里の右腕だったらしいよ〜」


 ギャグな空気が、一変してシリアスな空気になる。

 先輩は短い猫耳を掻き、青色のサラサラな髪を整えながら説明してくれた。

 どうやらその者達は、只者ではないらしいのだ。


「ふふふ、よく分かったね! あの時は充分楽しませてもらったよ! あなたたちはもう用済み。私たちの秘密を知ってしまったのだから!」


 ――え、えっとー…………

 弄ると面白そうなキャラをしているが、葉奈は仲良くなれないタイプの人だ。

 とりあえず引いておこう。そうしよう。

 辺りにはシーンとした空気が流れる。


「なんか言ってよ!!」


 そんな空気を破ったのは、美久里自身だった。

 ――いや、テメーが悪いんだろ!

 と、全員がツッコんだ気がした。


「すみません。ボスはこんな奴なんです」

「酷い! 私の右腕!」


 毒舌な彼女(?)と、それを悲しむ彼女(?)にしか見えない。

 そんな表現が適切だと思う。


「――で、何しに来たんだ?」


 それを見兼ねた朔良が口を開く。

 訝しげな表情で、その二人を睨みつけるように見ていた。


「あはは……怖いねぇ……」


 美久里が尻込みするように、朔良と距離を取った。

 その美久里を庇うようにして、狼族の人が朔良と美久里の間に立つ。


「へぇ。うちのボスを怖がらせるとは、ちょっとはやりますね。でも……」


 狼族の人はひとしきり笑うと、目を細めて唸った。


「――私たちと張り合おうっていうんですか?」


 そう言うと、狼族の人は前に葉奈が見た――あの戦闘態勢を取る。

 目が充血したように赤く紅く緋く染まり、あの時は変わらなかった黒髪がピンク色に染まる。

 あれが本気で変わった姿では無かったと言うことか。


 葉奈もすぐさま戦闘態勢を取る。

 白髪が赤髪に、赤目が赤褐色になる。

 そして、葉奈の後ろから突如風が吹いた。

 葉奈の使える自然現象が風だから、それは当然だ。


 しかし、相手からも風が吹いている。

 そこから考えられることは……ただ一つ。

 ――相手も、葉奈と同じ風使い。

 ギリ……と歯ぎしりをする。歯が折れるぐらいに。


「ぐるるるる……」


 低い唸り声が聞こえる。

 どっちからだろう。あるいは両方かも知れない。

 それが分からないほど、葉奈は意識が朦朧としていた。

 まだ力のコントロールが出来ていないのだ。


 ――大丈夫。敵味方の区別はつく。

 区別が付けば、暴れても味方の周辺に被害が及ばないように制御する事が出来るから。


「――暴風ストーム!」

「――台風ハリケーン!」


 それぞれがそれぞれの攻撃の名前を、機械的に口にする。

 ――その瞬間、空間が消し飛んだ。


 その中には二つの影しか無かった。

 一つは、長いピンク色の髪に赤色の眼を持った13歳ぐらいの少女。

 その顔には余裕がある。


 もう一つは、短い赤色の髪に赤褐色の目をした16歳の少女。

 その顔に余裕は――ない。


 葉奈は短いながらも忙しなく靡く髪を、邪魔そうに片手で押える。

 もう一方の手で相手の攻撃を受け止め、反撃をする。

 だが、いくら迎撃やら反撃やらしても、あの余裕のある表情を崩す事は出来なかった。


「なん……で……っ!」

「あはは! あなたは私に勝つことなんか出来ないんです!」

「っ……!!」


 ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく……!!


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」

「な――っ!?」


 渾身の咆哮と共に、葉奈は袖口から煙管を取り出す。

 それがどういう意味を持つのか、相手はわかっていないようだった。


「――今から禁忌を犯すっす。どうか許して下さいっす」


 そう宣言すると、葉奈は煙管を口に咥え、煙管越しに息を吐く。

 空間が消し飛び、何もかもが無くなりつつある――宇宙に等しき世界。

 宙に放り出され、ある程度身体の自由が利かない場所。


 その世界に風が吹く。竜巻だ。

 短い髪が、パタパタと激しくはためく。

 ぷはぁと、煙管に唾液を付けながら口を離す。


「なっ、何なの!?」

「ぐああ……は、なれ…………」


 こうなったらもう手が付けられない。

 葉奈は自分でも何をしているのか、何をやりたいのか分からなくなってきていた。

 相手は凄く困惑した表情で、葉奈を見ている。


 ダメだ。身体が、言うこと聞かない。

 そう諦めかけていた時、ふと誰かが声をかけてくれた。


「葉奈ちゃん。あなたはもう頑張らなくていいんですよ」


 ――だ、れ……? もう声も出せなくなっていた。

 だけど、どこか懐かしい。

 葉奈はこの声を聞いたことがある。


 もう、一回だけ……声を…………

 ――聞きたい。


 そう思ったが、意識がだんだんと遠ざかっていく。

 目を開けることもままならず、聴覚もほとんどその役割を果たしていない。

 だけど……


「もう、休んでいいですよ。葉奈ちゃん」


 その声だけは、ハッキリと聞こえた。

 安心したら……いつの間にか葉奈は、眠りについていた。


「――な。は……な、葉奈!」


 はっと目を覚ます。

 そこには、朔良と美久里と……狼族の人がいる。


 朔良は心配そうに見ていて、美久里は微妙な顔をしていて、狼族の人は……葉奈と目を合わせないようにして俯いていた。


「良かった……もう目を覚まさないかと……」

「三日も眠ってたからね……」

「三日……も、っすか?」


 そんなに意識を失っていたとは……

 一日中寝ていた事はあったが、二日も伸びるとは……


 それはごく自然に起こる現象なのだが、その時の葉奈には知る由もなかった。

 それよりも……


「悪の……組織の人、達が……なんでここに……いるん……すか? それ、に……泣いてる……っす、その……人……」


 ガラガラ声ではあったが、葉奈はなんとか声を絞り出し、思ったことを伝える。

 指さした相手は狼族の人。

 さされた時、一瞬驚いた顔をしていたが、すぐに申し訳なさそうな顔になる。


「だって……あなた、あの時『離れろ』って言おうとしてたでしょう? だから……その……」

「感謝とお詫びがしたいんだろう? 正直に言ったらどうだ?」


 朔良と狼族の人は、いつの間にか仲良くなっていたようだ。

 朔良が狼族の人に肘をぶつけて、言葉を促す。


「ご、ゴホン……えっと、ありがとうございます……気にかけてくれて。それと……本気出した私が馬鹿らしくなってきました」


 本当に悪の組織なのか……?

 葉奈はどうして良いか分からずに、気がつけば泣いていた。


「葉奈! どうしたんだ!?」


 朔良が心配そうに聞く。

 お姉さんのような……お母さんのようなその温かさに、葉奈は堪えきれずに嗚咽を漏らした。


「ううっ……あり、がとう……ござい、まっす……朔良」


 朔良は驚いた様子で葉奈を見ていた。

 だが、それは一瞬の事で、すぐに微笑んだ。


「んで、どうしたんだ? 何かあったのか?」

「あの狼族……さん、の……感謝……は、凄く心が……こもってるな……って思って……」


 その続きは、これ以上口に出す事が出来なかった。

 葉奈は疲れ果てて、再び眠りに落ちてしまったから。

 母にも優しさや温かさは感じられたが、朔良や狼族の人の比ではない。

 葉奈は不思議と……口角を上げながら眠った。


 ☆ ☆ ☆


 その晩、葉奈は夢を見た。

 とても懐かしいような、悲しいような……

 ここは、どこだろう。


 闇に染まっているこの空間に、一匹の動物? のようなシルエットが浮かび上がる。


 ここは暗闇のはずなのに、やけにその動物の周りだけくっきりと見える。

 ウサギのような長く立った耳に、キツネのような二つの大きな尻尾が生えている。

 顔や身体や尻尾には、所々縞模様が入っている。


「こんにちは、葉奈ちゃん。やっと会えましたね」

「あんたは……誰なんすか?」


 そう問うと、その子はばつが悪そうにしかめっ面をした。

 数秒後。腹を括ったのか、覚悟を決めたような表情でこちらを見る。


「私は……萌花」

「萌花…………」


 聞いたことがある気がする。

 それに、声も何処と無く懐かしい。


「あなたの、使い魔です。訳あって現実世界では姿を見せられない決まりになっていて……でも、この世界――夢……って言うのかな? ここでは姿を見せれる事が分かったんです!」


 にこやかに微笑む。

 その笑顔を葉奈は知っているような気がした。

 聞くべきか悩んだが……やはり聞いておきたい。


「あのさ、あんたとうち――どこかで会ったことある……っすよね?」


 そう言うと、萌花は俯いてしまった。

 それだけは答えられないんです……と、独り言のように呟く。


「でも! ちゃんと……いつか、話しますから……」


 ――待っててください。


 ☆ ☆ ☆


 翌朝。

 目を覚ますと、そこに萌花の姿は無かった。


 記憶があると言うことは、萌花は葉奈から記憶を奪わなかったと言うことだろう。

 それがどういう意味か分からない程、葉奈は馬鹿ではない。


「夢の中で、たくさんお話しようっす……」


 その様子を、扉の前で見ていた影が立ち去る。

 その影は、「また後で」と呟いた。

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