もしも葉奈が獣耳だらけの国の住人だったら

 葉奈の母親は、だいたい泣いていた。


「ごめんね、葉奈。ほんとにごめんなさい」


 母親はいつもそれしか言わなかった。


「……大丈夫っす。ほんとに」


 このやり取りを何度繰り返した事か……いい加減飽きてくる。

 母親は悲しそうな顔をしながら、葉奈の頭を黙って撫で続けるだけ。


「家が貧乏でお金が無い……だからうちを売るしかなかった……そうっすよね?」


 長く伸びた緑色の兎耳を揺らしながら、少々拙い言葉で、冷静に伝える。

 今、葉奈は齢16。

 もう立派な大人の部類に入れるレベルだ。


「そう……それもそうなんだけどね……」

「どうしたんすか……?」

「ううん、何でもないの。忘れてちょうだい」

「ん……分かったっす……」


 葉奈は渋々了承した。

 母親との会話はいつもこんな感じでつまらないらしいから、葉奈から話を切る事が多いのだとか。


 それから暫くして、優しそうな狐耳の女の人がこちらに向かって歩いてきた。


「迎えに来たぞ、葉奈……だっけ?」


 低くて、聞いていて心地の良い声。

 その声の主が葉奈に手を出すと、艶やかな赤茶色の髪が揺れる。

 そして、茶色の双眸が優しく葉奈を包み込む。


「はい、葉奈っす! よろしくお願いしまっす!」


 葉奈がそう答えると、その人はニコッと微笑む。

 綺麗でかっこよくて羨ましい……

 葉奈も釣られて微笑むが、この人よりも確実に劣っているだろう事は一目瞭然だ。

 だから葉奈は、いつものような笑顔は作れなかった。


「そうか。あたしは朔良。こちらこそよろしく頼む」


(め、めちゃくちゃカッコイイ……カッコよくて可愛くて、おまけに綺麗で声も素敵とか完璧すぎる……)


 葉奈がそんな事を思っていると、もうこの家とさよならをしなくてはいけない時間になってしまったようだ。

 少し寂しい気もするが、逆に楽しみな気持ちもある。

 この人……朔良と一緒なら、何があっても大丈夫そうだから。


 そうこうしているうちに、馬車が走り出し、家がどんどん遠くなっていく。

 そしてしばらく揺られていると、不意に馬車が止まった。


「さて……着いたぞ。ここが遊郭――『松本屋』だ」

「ここが……遊郭……」


 遊郭――女性が男性を悦ばせる場所。

 だけど、男性がいないこの世界では、女性が女性を悦ばせる場所である。

 『松本屋』というのは、この遊郭の名前であろう。


「早速で申し訳ないんだが、仕事を与えようと思う。まあ、お前はまだ新入りだから夜の仕事はなしだ。代わりに昼の仕事をしてもらう」

「昼の仕事……っすか……」


 夜の仕事……まあ、言うまでもないアレである。

 だが、昼の仕事とは一体……?


「そうだ。まあ、仕事と言っても雑用ばかりだがな。出来るか?」


 雑用……掃除やら洗濯やらだろう。


「はい! できるっす!」


 葉奈が返事をすると、朔良は嬉しそうに微笑んだ。

 こういう人が自分の相手をしてくれたとしたら、大半の人は嬉しく思うだろう。


「では、頼んだぞ」


 そう微笑むと、朔良は奥にある部屋に消えていった。

 そう言えば、朔良はどういう仕事をしているのだろうか。

 夜の仕事をしているようには見えない。

 穢れのない瞳で、葉奈を見てくれているのだから。


 ☆ ☆ ☆


 翌朝。

 朔良の作ってくれた朝食を食べ、葉奈は早速仕事に取り掛かる。

 やってみて、葉奈は気づく。

 自分は物覚えがいいみたいで、言われた通りにスラスラと仕事を進める事が出来るということに。


「次は何をすれば良いっすか……?」

「もう出来たの!? 早いねぇ」


 用務員のお姉さんに教えてもらった通りにやったら、褒められた。


(悪くないかも……)


 凄く嬉しくて、葉奈はニヤニヤを抑えられずに笑ってしまう。


「うふふ、可愛いねぇ」


 お姉さんはそう言い、葉奈の頭を撫でる。

 葉奈は撫でられるのが好きみたいだ。

 少々感じてしまうが、撫でてもらう事が癖になりそうだ。


 ☆ ☆ ☆


 それから数ヶ月。

 葉奈は一通り仕事が出来るようになっていき、何気ない平穏な日々を過ごしていた。


 ――それがある時一変する。


 いつものように玄関の掃除を終え、戻ろうとした時。

 ふと振り向くと、そこには紫髪紫目の狼耳を持った人が立っていた。


(狼族……? 珍しい……)


 狼族は、数がとても少ないから凄く珍しい。

 それにしても、一体何をしに来たのだろうか。


「ボス……いや、美久里という者を見ませんでした?」

「美久里……っすか……」


 そんなことを考えていると、葉奈は声をかけられた。

 美久里……そんな名前の人が来ていただろうか。

 事務の仕事はあまりした事が無いため、葉奈にはわからない。


「――ちょっと調べてみまっす!」


 そう言うと葉奈は、事務の人に確認を取りに行った。

 だが、何かおかしい。

 何が……とも言えないが、何となく葉奈の野生の勘がそう警告している。

 急いで振り返ると、狼族の人の髪は変わらなかったが、目の色が赤色になっていた。


「もしかして、戦闘個体……!?」


 戦闘個体――戦闘に特化した、あらゆる自然現象の一つを操る事が出来る人。

 数が非常に少なく、滅多に見られるものではない。


 葉奈はそう聞いていたが、この人がその戦闘個体なのだろうか。

 葉奈は驚くばかりだった。


 耳を澄ませ、目を閉じて音を聞く。

 ――やはりこの人は戦闘個体だ。

 呼吸音も荒いし、血流も速いし、心拍数も高い……

 人探しだから、多少はそうなるだろう。


 だが、葉奈には違いがハッキリと分かる。

 なんせ葉奈は耳がとても良い。

 良いというレベルではない、もはや人知を超えている。


 音を調べ終わった後、葉奈はハッと我に返る。

 こんな事をしている場合ではなかった。

 葉奈はすぐさま確認を取りに行き、話を聞くと、その人がいた場所へと戻る。


「昨日来てたみたいっす……」

「本当ですか!!」

「はい、お相手を……した方? が来て証言してくれましたっす」


 そうなのだ。

 葉奈が事務の人に話を聞いていたら、ちょうどその人が通りかかって、話してくれた。

 なんでも珍しいお客さんだったようで……


『なんかねー、髪の毛が凄く短くて、ほとんど無かったよ〜? あー……それに、翼が生えてたね〜』

『つ、翼っすか……!?』

『そう。それに、耳が無かったんだ〜。不思議だよね〜』


 ……というやり取りをした後に、あの狼族の人に報告をしたのだが、なんと不思議な人なのだろう。

 耳が無く……翼が生えている……

 考えても答えが出るわけではないのは分かっているのだが……どうしても気になってしまう。

 そこで、狼族の人に聞こうと思っていたのだが……


「そうなんだ。来ていたのか……すれ違っちゃったのかな……」


 そう言うと、ものすごいスピードで帰ってしまった。


(この中、探さなくても良いのかな)


 お相手をするのがどうしても夜になってしまうので、その後疲れ果ててお泊まりをする人が大半なのだ。


(まあ、あの人がそれで良いなら良いけど)


 冷たく聞こえるかも知れないが、葉奈にはどうしようも出来ないから仕方が無い。

 あの人が自力で美久里とやらを探してくれるなら、それはそれで葉奈も楽だから。


 人探し――その程度だったはずの出来事が、まさかあんな事になるなんて……

 この時の葉奈は、知る由もなかった。

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