もしも萌花と葉奈が龍だったら

 古びた里。枯れた心。周囲の目。

 ……嗚呼、うんざりだ。

 どこかに消えられたらと、周りに気づかれなくなったらと、どれほど願っただろう。


 ――そう、そんな空想に縋り付いていた。

 あの人に出会うまでは。


 ☆ ☆ ☆


 葉奈は、雷の里で暮らしている。

 父親は既に他界し、母親は土の里へ出稼ぎに行っている。


 だが、土の里と雷の里は仲が悪く、なぜ母親がそこへ行こうとしたのかが分からない。

 そのためか、葉奈の家は里ぐるみで疎まれている。


 葉奈や里の人たちは皆龍である。

 その、龍を象徴するエルフのような長い耳を持っていて、しかも、長い龍の尻尾までも付いている。


 そんな彼等だが、龍の姿に戻る事はあまりしなくなっていた。

 何故なら、空を飛ぶ必要がなくなっていたからだ。

 人類と同じような生活をし、人類のように生きることが当然のようになってきていた。


 しかし、龍は下等種族と見なしたものはとことん忌み嫌い、見下す面がある。

 そこは昔から受け継がれているようで、皆その面は変えようとはしなかった。


 その面があるからか、葉奈にとってこの世界は生きづらい世の中であるようだった。

 葉奈は里ぐるみで疎まれているため、悪口を言われたり、家族に嫌な顔をされたり、友達が出来なかったりと散々な目に遭ってきたのだ。


 そんな葉奈は今、里の隅の方に来ている。

 ふらふらとあてもなく放浪しているようだった。


 ――どうせどこに居ても居場所なんかないのだろう。

 死んだ魚のような目をしながら、今にも倒れそうな感じで歩いていた。

 そんな時――


「――ねぇ。ねぇ!」


 ――は? と威圧感を出した顔をして葉奈が振り返ると、ちょうど葉奈と同い年ぐらいの少女が立っていた。


「やっと気づいてくれましたか……」


 ため息混じりにそう零した少女。

 その少女は息を切らして、肩で息をしている。

 どうやら、ずっと葉奈に呼びかけていたようだ。


「……なんか用っすか?」


 不機嫌さを隠す気もなく、葉奈は睨むようにその少女を見た。

 すると、少女は目をまん丸に開け、困ったような顔をする。


「あ……なんだっけ……」


 ガクッと言う音が聞こえそうな空気になった。

 葉奈がジト目で少女を見る。

 すると、少女はその視線に気づいたのか、ハッとして葉奈を見ると、さらに困ったような顔をした。


「えーっと……その……」


 少女はしどろもどろな様子で、言葉を紡ごうと頑張っているように見える。

 しかし――


「用がないならもう行くっすよ」

「ま、待ってくださいっ……!」


 面倒くさそうな匂いを感じ取ったのか、葉奈は最低限関わりたくないと思っているらしい。

 しかし、それでも少女は葉奈に食らいついた。


「私、萌花です。萌花って呼んでください!」


 ☆ ☆ ☆


 萌花は、水の里から来た神様……らしい。

 綺麗な小麦色の髪を持ち、透き通るような橙色の目をしている。

 さすが水の里の神様だというぐらい、水を操る能力に長けているのだとか。


「まあ、こんなもんっすか?」

「……う、うん……そんな感じですけど……」

「で? なんでこっちに来たんすか?」


 雷の里と水の里は、かなり離れた場所にある。

 それゆえ、葉奈は水の里は実際にないのではと疑うほど噂や情報が届いてこないのだ。


 龍の姿になって移動しても、一時間は余裕でかかる距離だ。

 なのに何故、こんなにも離れた土地にやってきたのか、どうしても気になる。


「え、えーっとですね……」


 萌花が口ごもる。

 顔が真っ青になり、さっきまで合わせてた目線も逸らしている。

 相当、何か事情を抱えている様子が見受けられた。

 しかし、萌花が口を開くと――


「ま、迷子……? になった……っぽい……です……」

「………………は?」


 唖然とはこの事を言うのだろうか。

 開いた口が塞がらない。


「え、そんなバカな理由なんすか!? マジで!?」


 一瞬遅れて葉奈が突っ込む。

 ――信じられない。

 余裕で一時間近くかかるとはいえ、そうそう迷うようなものでもないのに。

 葉奈は引いた。本気で引いた。


「バカって何ですか! バカって!」

「バカ以外の何物でもないっすけど!?」


 萌花が涙目で訴える。

 バカと言われたのがそんなに悔しかったのか、大きな声で抗議する。

 葉奈も事実を言ったに過ぎないので、素早く突っ込んだ。


 第三者から見れば微笑ましい光景だが、本人達は全然そんな事はないようだった。


 ☆ ☆ ☆


「葉奈ちゃんは、友達っているんですか?」

「……突然何なんすか……?」


 バカの口論から数時間経った頃だった。

 萌花が傷口を抉ってきたのは。


 萌花は純粋に友達がいるのかどうか聞いただけだろうことはもう分かっているのだが、嫌な気分だということに変わりはない。


「まあ……いないっすけど……」

「えっ! なんでですか!?」

「いや、なんでって言われても……」


 困った。非常に困った。

 正直に打ち明けてもいいが、重い話になる事は避けられないし、下手に隠すと嘘がバレかねないのでその手も取れない。


 ――どうしたものか。

 そう悩んでいたのを見透かしたのか、萌花がおもむろに口を開いた。


「言いたくないことなら……無理に言わなくてもいいですよ?」


 ――ふと、罪悪感が過ぎった。

 萌花が親切心で言ってくれているのは分かる。


 ただ、寂しそうな悲しそうな顔をさせてしまった事に対して、罪悪感が募ってゆく。

 葉奈は正直に話そうと口を開きかけた時だった……


「――ねぇ」


 萌花の方が先に口を開く。

 何故か……妙に威圧感があった。

 罪悪感で俯いていたが、勇気を出して葉奈が顔を上げると、泣きそうな顔で萌花が見ていた。


「私が……全部知ってるって……言った、ら…………どう、します……?」


 ☆ ☆ ☆


「は? 全部知ってるって? どういうことっすか……?」


 葉奈は訳が分からないまま、混乱しながらそう尋ねる。

 出会ったばかりの赤の他人だったはずなのに、全部知ってるとはどういう意味なのだろう。


「ご、めん……なさい。私……その、一応、神様……ですし……ある程度、は……知らされてる……って感じ……で…………」


 ――嗚呼、そういうことか。

 ある程度知っていながら、萌花はわざと聞いたのか。


 葉奈は何とも言えない表情で萌花を見る。

 萌花はとうとう堪えきれずに涙を流した。


 それが葉奈の今までの環境に対する感情なのか、何も知らないという素振りで葉奈に失礼なことを聞いたことに対する感情なのか……

 それを判別することは叶わなかった。


「なぁ、あんたさ……」


 今度は葉奈が口を開く。

 嫌な気分も罪悪感も何とも言えない気持ちも全て捨てた、純粋な一言を放った。


「なんで、謝ってるんすか?」

「……え?」


 嗚咽混じりの声を発し、萌花が顔を上げる。

 当の葉奈は、「ん?」と小首を傾げている。

 葉奈にとっては、かえって萌花が自分を知っている事は良かったのかもしれないと思っているようだ。


「だ、だって……私っ……葉奈ちゃんの、現状を……」

「だからなんだっていうんすか? 神様とやらなら仕方ない事なんすよね?」

「っ……でもっ……!」

「往生際が悪いっす」


 と、葉奈が萌花にデコピンした。

 ビシッという効果音が聞こえ、萌花のおでこが赤くなる。

 萌花は訳が分からないという顔で目を回す。


「まあ……過去を覗き見されたみたいなのは気分悪いっすけど、あんたのせいってわけでもないっすよ。それに、うちもあんたに過去や現状を伝えるのを躊躇っていたっすからね……」


「おあいこっす」と葉奈は口角を上げ、


「だから気にするなっす」


 と笑った。

 萌花は次々に起こる有り得ない出来事に、ついていけずにいた。


 過去に萌花が自分のことについて正直に話したことがあるが、その人は離れていってしまう事がほとんどだったから――

 しかし、萌花も葉奈の笑顔につられたのか、次第に笑顔になっていく。


「葉奈ちゃんの笑った顔……初めて見ました……」


 ポツリと呟くように言う。

 葉奈はそれが聞こえてしまったようで、慌てて顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。

 その様子をじっと見ていた萌花が吹き出す。


「あはは」


 今度は萌花が声を上げて、涙を拭きながら笑った。

 葉奈はますますいたたまれなくなって、くるりと背を向け、萌花と少し距離をとる。

 すると――


「葉奈ちゃん」


 と、萌花が声をかけた。

 その声に、ゆっくりと葉奈が振り返ると……


「ありがとうございます」


 精一杯の笑みを浮かべた萌花がいた。

 その目は赤く腫れているが、幸せそうな雰囲気を感じさせる。


 その様子に葉奈は目を丸くして、「別に」と満更でもない様子で応えた。

 その葉奈の顔をじーっとのぞき込んだ萌花は、驚いた顔で言う。


「今気づいたけど……目の色、すごく素敵だね」


 萌花はまたニコリと笑った。


 葉奈はさらに目を丸くする。

 萌花の言っている意味が分からない。


 明らかに萌花の方が綺麗な色をしているというのに……


「あんた……眼科言った方がいいんじゃないっすか?」

「ひどいです!」


 萌花はショックを受けてシクシク泣いている。

 葉奈はそんな萌花の様子には目もくれず、顔に手を当てている。

 その顔には、動揺の色が見られた。


「う、うそ……っすよね……?」


 ――萌花が放った言葉が忘れられない。

 ――萌花の笑顔が脳裏に焼き付いている。


 葉奈は、もやもやしていた。

 この気持ちは一体……?


 ――自分の変化に気づき始めた葉奈と、どこかスッキリした様子の萌花。


 のちにこの二人が雷の里を滅ぼしてしまう事になるのだが、それはまた……別のお話。

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