もしも紫乃が追い詰められていたら

 ――カチャ。

 屋上のドアを開ける。


 ――キィィ……パタン。

 そう音を立てながら、ドアが閉まる。


 ふと顔を上げると、柵の外に立っている人物が見えた。

 ――先客か。

 そう思っただけだ。

 別にあの子が何をしようが、自分には関係ない。


 ――だけど。


 葉奈は少女のちょうど後ろに立つように移動した。

 その子は深呼吸して、「よし」と小声で呟いてから、覚悟を決めたようで。

 少し斜めって、今にも落ちそうな感じになる。

 このまま何もしなければ少女は落ちてしまうだろう。


「やあ、こんにちはっす」

「!?」


 葉奈が声を掛けた事で我に返ったように、斜めっていた体勢から普通の体勢に戻る。

 そして、後ろを振り向いて葉奈の姿を見ると驚いた顔をして……いや、どこか怯えたような目つきをして立っていた。


「いやー、すみませんっす。邪魔しちゃったっすか?」


 葉奈はわざと惚けて、まじまじと少女を見る。

 体格は葉奈とは違って細身、青色の髪の毛は肩まで伸びていてとても綺麗だ。

 顔立ちも整っているが、どこか変な痩せ方をしている。

 そんな葉奈の態度と言動に、少女は訝しげな表情で窺っている。


「えっと……何しに来たの〜?」

「そうっすね。一人になりたかったからっすかね?」


 何をしに来たのか、自分ですら分かんないのだから、葉奈は無意識に疑問形になった。


 ……それにしても、綺麗な声しているな。

 繊細って感じの綺麗さで、同性の葉奈でも少し惚れかけた。

 ……だったら、相当モテるだろうな。


 葉奈はそんな嫉妬と羨ましさでいっぱいだった。


「だったら今すぐー人にしてあげるよ〜」


 そう言って、またここから飛び降りようとしていた。

 そっちの意味じゃない!


「――へっ!? あ、いや、そうじゃないっす……!」

「じゃあ何……?」

「うーん……自殺はあんまオススメしないっすよ……?」


 葉奈がそう言うと、少女は「やっぱり止めに来たんですね」と言った。

 別にそんなつもりじゃなかったけど。


 何故かそう言った後の少女の表情が、膨れっ面をしている様に見えて、不思議と少し可愛いなと思ってしまった。


「止めに来たわけじゃないっすよ。ただ……飛び降りした後って……その、野次馬とか大変そうじゃないっすか」


 だが、葉奈は平静を装いながら言う。


「だから、うちはオススメしないって言ったんすけど。だって、別にあんたが死のうがうちには関係ないし、自殺を止めたって言う世間の賞賛も要らないっす。それに……」


 ――自分だって、本当は……


 そんなこと、少女の前では言えない。

 その子は不思議そうにしてたが、察してくれたのか、その後の言葉を追求しに来ることはなかった。


「……分かったよ〜。でも、だったらどうすれば良いの? 僕は……死にたいぐらい悩んでるのに!」


 涙目で、柵を拳で叩く。

 ゴンと鈍い音が響いたが、本人は気にしていないようだった。

 痛々しい音が響いたせい……いや、そのお陰で葉奈は目を覚ました。


 過去の嫌なことを考えていた脳を、一気に現実に引き戻してくれたのだ。

 声を掛けずらい……けど、声を掛けなきゃいけない気がした。


「何かあったんすか? えっと……あ、名前聞いてなかったっすね!?」


 葉奈が思い出したようにそう言うと、少女は一瞬驚いた顔をしていたが、やがてフッと微笑んだ。

 それはまるで、枯れていた花が水を与えられて復活したような、そんな感じがする。


「僕は……紫乃」


 葉奈は、紫乃に何回惚れさせられただろうか。

 笑顔の破壊力が半端ない。


「えっと……あなたは〜?」

「うちは……葉奈っす。よろしく」


 すぐにでも死にそうな感じだったのに、よろしくと言うのは変だろうか。

 だけど……


「うん、よろしくね〜」


 ニッコリと微笑んで、「よろしく」と返してくれた紫乃に見惚れて、葉奈は思考が停止した。

 ……可愛いすぎやしないだろうか。

 はっきり言って尊い。


 ……っと、こんな事を語っている場合ではなかった。


「ところで、悩みってなんなんすか?」


 葉奈がそう聞くと、ハッとした様子で困った顔をした。

 言おうかどうか迷ってる感じだ。


 葉奈は、何も言わずに待っていた。

 気になってはいたが、別に急いで追求しようとは思わないから。


「えっと……僕、友達に裏切られたの……ずっと友達だったのに、急に『友達じゃない』って言われて……無視するようになったり、時々僕の方を見て嗤ってるような気がして……僕、耐えられなくて……何もしてないのに……」

「それだけっすか?」


 そう聞いた瞬間、紫乃はビクッとして顔を上げたが、すぐに目を逸らした。

 葉奈は一通り話を聞いたが、理由がそれだけとは思えない。


 まあ、メンタルが思ったより弱ければそれだけなのだろうけど。

 紫乃にはそんな感じがしない。

 ――ただのカンだが。


「ぼ、僕……家にも居場所が無くって……親の絵のスキルが凄くて、僕に過度な期待をしているようで……それも原因って言うか〜……」


 ――もしかして、紫乃は……


「もしかして、絵が上手いって評判の!?」


 『評判』と言うフレーズに驚いたのだろうか。

 紫乃は目を見開き、顔を赤くしてコクッと頷いた。


「えー! 凄いっすね! 尊敬するっす!」

「えっ……と、ありがと〜……」

「容姿も良くて頭もいいとか最強じゃんっす! いいなー……!」


 葉奈のその言葉に何かを感じたのか。

 紫乃は「そっか、そういう事か……」と、独り言を呟いている。

 その様子をニヤニヤしながら眺めていると、紫乃はそれに気づき、一瞬にして顔が赤く染まる。


「これで分かったっすか?」

「うん……つまり、僕にとっては嫌なことでも、他人から見たら羨ましいって事だよね〜?」

「そういう事っす! だから、友達も嫉妬してたんじゃないっすか? それと、親も紫乃ちゃんが絵上手いから期待してるんだと思うっす! だって、絵が上手くなかったら期待なんかしないっすもん」


 葉奈はニコッと笑った。

 さきほどまでのような、気味の悪い笑みじゃない。

 それに釣られて、紫乃も笑う。

 人の心を奪うような笑顔で。


「じゃあ、なんか食べに行こうっす」

「うん!」


 自分に出来ることがあればなんでもしよう。

 そう、心に決めて歩き出した。

 傷を舐め合うだけでも、かなり居心地が良いから。


 曇っていた空から光が差した。

 「明日は晴れるかな……」と、葉奈が小声で呟く。

 「晴れるといいよね〜」と、紫乃も小声で呟いた。


 これからの人生――二人で乗り越えよう。


 二人はそんなことを同時に思った。

 雲の厚みも薄れ、太陽の光が強くなる。

 それは、二人の今後を表しているようだった。

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