ひとりは皆のために
進学して一月がたった頃だ。
新しい環境にも慣れ、クラスメイトの顔を覚え、それぞれのポジションが何となく固定した頃それは始まった。きっかけはもう少し前に遡る。けれど具体的な何かがあったわけじゃない。強いて言えば、彼に関わってしまったこと。それ自体が発端だった。
「人間もさあ、ケツに尻尾が生えたらいいのになあ」
入学初日、彼はひとつ後ろの席からそんなことを言ってきた。
「どうして?」
戸惑いながらそう返すと、彼は僕のお腰のあたりを見つめ、
「だってよ、そいつの機嫌が一発で分かんじゃん」
と屈託なく笑った。
彼は
佐前くんは社交的な男の子で、一週間も経たないうちにクラスの中心に……少なくとも、そう振る舞って許される位置に落ち着いていた。何かと大袈裟なリアクションを取るものだから女子に鬱陶しがられているのを頻繁に見かけたけれど、それはどうやら表面的なもので、基本的には男女とも良好な関係を築いているみたいだった。先生にも気に入られていた彼は、多少無礼なことを口にしても冗談で済まされていた。
僕とはまるでタイプが違うことは早い段階で気が付いていた。彼は一軍に属する人間だった。中学でも三軍を甘んじていた僕とは棲む階層が違っていた。本来であれば自然と疎遠になっていたと思う。でも一度話をする間柄になったこと、何より座席の位置が、彼と僕が離れることを許さなかった。彼は、いつまでも僕を仲間として扱った。
「おい、狩尾。お前もやってみろよ」
ある日の昼休み、佐前くんはそう言って僕の肩に腕を回してきた
その頃になると、彼は、別の男子二人とも仲良くなっていた。彼が本来つるむべきような相手で、僕よりもずっと気安く話をしていた。
そんな彼らの会話のなかで一つの位置を占めていたものがある。物真似だ。芸能人であるとか。先生であるとか。隣のクラスの誰それであるとか。喋り方や仕草を誇張して滑稽に演じて見せる……まあ、どこでも見かけるあれだ。勿論、熱心に練習に励んでいたわけではなく単なる笑いの種でしかなかった。だから僕にネタを振ってきたのも会話のなかの自然な思い付きで特殊な要求をしているつもりはなかったんだと思う。でも、そういう振る舞いに慣れていなかった僕は、大いに戸惑ってしまった。
「おっと? これは大爆笑のネタが来るんじゃないですかあ?」
佐前くんは僕の羞恥を的確に見抜き冷やかしてきた。その声がまた大きいものだからクラス全員の注目が集まった。少なくとも僕にはそう思えた。顔がヤカンみたいに熱くなった。佐前くんたちは益々面白がって早くしろだの一丁頼むだのと囃し立ててくる。
ここで何もしなければ皆をがっかりさせることになる。
仕方なく僕は、朝たまたまテレビで見かけたお笑い芸人のネタを口にしてみた。とても物真似と呼べるものじゃない。声は小さくて我ながら虫が鳴いたみたいだった。
でも彼らはそれが大変愉快だったらしい。「似てねえ」だの「何つったの?」だのと大はしゃぎだった。周囲からは忍び笑いが漏れ聞こえてくる。僕は机の中に入り込むように俯いていた。昼休みが終わるまで、ずっと。
佐前くんが僕に色々と要求してくるようになったのはそれからだ。休み時間になるたびにまた何かやれだの、面白いことをしろだのと絡んでくる。それは僕が恥ずかしがるのを見越したうえのことで、茶化し、無理にやらせ、その滑稽な仕草を笑うまでが一セットだった。彼らは「お前サイコーだわ」と肩を叩いてきたけれど、ちっとも嬉しくなんかなかった。
特に嫌だったのは『独り演劇部』だ。佐前くんから離れ、息を潜めて小説を読んでいたところ今度はそれに目を付けられた。彼は僕から本を取り上げると、いかにも興味なさそうにページを捲ったあと、こともなげにこう言ってきた。
「狩尾さあ、ちょっとここ読んでみて? 声に出して」
そこは物語のクライマックスだった。とても詩的でロマンティックではあるけれど朗読するには、いささか恥ずかしい場面だった。つまり主人公がヒロインに想いを伝えるとか、そういうシーンだ。それをクラスメイトの前で読み上げろという。たまったものではなかった。でも佐前くんたちはいつものやり方でみんなの注目を集めると「早くしろよ」と催促した。僕は、渋々……もごもごと口を動かした。彼らは「狩尾かっこいい~」「いやあ、ホント」「マジでキモイ」と机を叩いていた。
この『独り演劇部』は、彼らのなかでしばらく流行り、色々な……性的な描写まで声に出して朗読させられた。それも女の子たちのいる前で。佐前くんは、朗読する僕の姿を動画で撮影し嬉しそうに見せびらかしてきた。恥ずかしくて死にそうだった。
でも、僕は、調子を合わせて一緒に笑った。必要以上に波風を立てたくはなかったし何より……自分は惨めなんだと認めたくなかった。
動画は、その日のうちに学年の大半で共有されたらしかった。
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