質問に質問で返すのは卑怯と、彼女は言った。
あげもち
待合室の一角で…
…はぁ。
ため息が漏れる。
「外に出たい」
そんな呟きは、広くて冷たい、病院の待合室の一角に消えていった。
外に出たことを考える。病院を出て、公園を突っ切ってバスに乗り、駅の近くのカフェでゆっくりして、買い物して…。
だけどそんなことを想像すればするほど現実が嫌になる。
そして自分の左肩に目を移してから、はぁ…とため息をついた。肩の固定具が妙に居心地悪い。
なんであんな試合に出たんだろ…
無理やり体重落として、フラフラで勝ち目なんてないのに…。
考えれば考えるだけ、あの日の後悔が何処までも伸びるリードのように俺を後ろに引っ張る。
紙コップのココアを1口飲むと、またため息が漏れた。
なんでもいいから、外に出たいな…。
「…そんな所でなにしてんの?」
声がした方向に驚きながら、フッと顔を向ける。
すると目の前の女性はふふっと笑った。
「そんな驚かなくてもいいじゃん」
「いや、急に来たから」
「なにそれ」
俺がそう返すと、また可笑しそうに女性は笑った。
スウェットと半袖姿の女性は、長い茶髪で、顔つきも綺麗に整っていた。耳にピアスの穴が開いているあたり、大学生か、都会の活かしているJKだろう。
女性は息を整えるようにスぅーと息を吸い、俺と目を合わせ、
「隣、いい?」
と、俺が反応する前にソファに腰掛ける。
俺は反射的に距離をとった。
俺、こういう距離が近すぎる女子、苦手なんだよな…。
内面で舌打ちしながらも、暇つぶし程度にはなるからいいか、と足を組み直す。
すると早速。あ、そういえばさ。と女性が口を開く。
自分のことを指さしながら、
「私、神崎ね。下の名前はさくら、呼び方はどっちでもいいよ」
その後に、あんたは?みたいな感じの視線を向けられたので、仕方なく俺も自己紹介をした。
「俺は矢口」
「…え?」
「えっ。てなんだよ」
すると、さくらは小首を傾げた。
「それだけ? 下の名前は?」
ちっ…。と舌打ちを心の中でしながら俺は答える。
めんどくさいやつだな…本当に。
「大和。大きいに平和の和ってかいてやまと」
「へぇー、それじゃ…やっくんだ」
どういうことだよ。思わずツッコミそうになるが危うく踏みとどまる。
何となく。ここでツッコムことによって、彼女のペースに乗せられているような感じがして嫌だった。
「…おう」
「反応うっす!」
そうして、さくらはまた笑う。なんで自分で言ったことに対して笑うのだろう…。
変なやつだな…。
「それでさ、肩どうしたの?」
笑っていたと思ったら、ヒョイッと表情を、変えてそう質問する。
俺も一度肩を見てから、さくらを見た。
すごく綺麗な目をしていた。
「…まぁ、格闘技で」
「へぇー、やっくん格闘技やってるんだ…なに? 空手? 柔道?」
「総合格闘技」
「ほうほう、総合格闘技ですな」
頷きながら、彼女は顎に指を添える。
そして、俺を指さしドヤ顔で、
「那須川天心!」
「それはK1だ」
うっはぁー! と楽しそうにさくらはリアクションをとる。
その、コントのようなやり取りに、不覚にも少しだけ笑ってしまった。
「お、やっと笑った」
さくらの、小馬鹿にしたような言い方に、ハッとして表情を戻す。
「部屋戻るわ」
「え、もう戻っちゃうの?」
「あぁ、そんじゃ」
すっと立ち上がる。左肩がツンと痛んだ。
一歩踏み出す。
そして、その瞬間。
「待って」
後ろから彼女に掴まれる。
Tシャツの裾が背中方向に引っ張られた。
「なんだよ…」
振り返りながら、そこで言葉が止まる。
ウッと息が詰まるような感覚を喉に覚えながら、息を飲んだ。
「ごめん、謝るから、もう少しだけ…」
俺の裾をつかみながら、そう呟く彼女の顔は、ものすごく悲痛な顔をしていた。
さくらが視線を上げる。上目遣いのような目線で口を開く。
「もう少しだけ、
そのまま、じっと見つめる。
徐々に目を合わせるのが辛くなって、俺は目をそらす。
すると、2本の松葉杖が目に入った。年季が入っているせいか、所々ボコボコとへこんでいる。
…はぁ。
わざとらしくため息をついて、ソファーに体を落とす。
さくらの方は見ず、代わりにガラスに反射する自分を見ながら、後頭部を掻いた。
「…分かったよ」
なんて言えばいいのか分からなかったせいか、思わず上から目線になってしまった。
それでも、…まぁ、俺も話し相手欲しかったし? なんて絶対に口からは出なかった。
「ぷっ…ふふふ…」
背中がフワッと軽くなる。その代わり、さくらが吹き出した。
勢いを増したさくらの声が、静かで冷たい空間に反響する。
「次はなんだよ」
さくらは笑いながら横目でこっちを見る。
「だって」と、息を吸う。
「ここまで上手くいくと思わなかったから」
指で目元を擦りながら、
「はぁ〜、笑いすぎて涙出てきちゃった」
と呟いた。
一方、俺は呆気に取られていた。彼女のテンションの差が激しすぎてついていけない。
でも、俺にはあの顔が、作った表情には見えなかった。
「ねぇ、やっくん」
俺の方を見る。
そして、嬉しそうにはにかみながら。
「明日もここで、
その瞬間、ハッとなった。
なんか、上手く言葉に出来ないけど、長い入院生活で凝り固まっていたものがほぐれるような。
そんな、あたたかい感覚が体の奥の方でじんわりと広がる。
そっか…俺だけじゃないんだ。
目を逸らして、松葉杖を見る。
フッと鼻を鳴らしてもう一度さくらの方へ視線を戻した。
「俺も暇だから、明日もここで」
そう言うと、さくらは、
「ありがとやっくん!」
ニコリと、歯を見せながら笑うのだった。
10日後。
退院の日がやってきた。自宅に帰るため持ってきた荷物をボストンバッグに詰め直す。
とうとうこの暇すぎる生活とはおさらばだ。家に帰ったら何をしよう。
そんなワクワク感とは別に、何か忘れ物をしてしまったみたいに、モヤモヤする。
「退院の準備は出来ましたか?」
看護師さんがドアから覗いてそう言う。
俺はそっちの方を向いて。
「はい、いつでも行けます」
と、返事をして荷物の方へと目を戻す。
昨日、しっかりと別れを済ませてきた。
さくらも「良かったじゃん、帰っても頑張れよ」って、笑ってくれた。
それなのに…。
「時間だ…」
荷物を持つ。
ナースステーションの看護師に「お世話になりました」と、頭を下げるとエレベーターに乗り込む。
ふぅ…。息を吐いた。
なんで退院するのが、嫌に思う自分がいるのだろうか。
1階でエレベーターを降りる。
そこは大きなホールになっていて、出入口は真っ直ぐ向いたところにある。
すると、その出入口の横に茶髪の長い髪の女性が立っていた。
俺と目が合うと手を振って、松葉杖をつきながら歩いてくる。
さくらだ。
俺も彼女の元へと足を進めた。
「おはよ、やっくん」
「おはよ」
ニコリと笑うと、さくらは下から上へ視線を向け、へぇー、っと嬉しそうに口角を上げる。
俺の目を見て、
「やっくん、かっこいいね」
「やめろ、照れる」
「全然照れてないじゃん、むしろ真顔じゃん!」
やっぱり変なの、と彼女は笑う。
だけど、よく見るとその目元は少し腫れていて、まるで泣いた後のような瞼をしていた。
「さくらも、可愛いじゃん。その服よく似合ってる」
黒のルーズTシャツに、栗色の八分ロングスカート。足元は黒のアンクルブーツを履いていて、いつもよりも何倍も大人っぽく見える。
するとさくらは、「そうでしょ〜」とドヤ顔を決めた。
「今日はね、やっくんが退院だから気合い入れてみた」
「あぁ、わざわざありがとな。ホントに綺麗だ」
じっと彼女を見つめる。
すると、そのドヤ顔は次第に崩れて行って、「やめて、なんか恥ずかしい…」と目を逸らす。
頬はほんのりと上気して、赤くなっていた。
そんなさくらを見てると、だんだんと可笑しくなって来て、ぷっ、と思わず吹き出す。
俺は口を開いた。
「照れてんの?」
その言葉に対して、まるで的を射抜かれたような、怒っているような顔を向けて「はぁ?」と食いついてくる。
「照れてないし」
「照れてるって、さっきから口元ニヤニヤしてるもん。ほら、素直になれって、可愛いぞ」
「ニヤニヤしてない、可愛くない!」
そう言うと、さくらは前のめりになる。
そして次の瞬間、「きゃっ」と華奢な悲鳴と共にさくらは体勢を崩した。
「おっと」
一歩踏み出して彼女を受け止める。
松葉杖がガシャりとホールに響くと、周りの視線がこちらに向いた。
背中をトントンと叩く。
「さくら、大丈夫?」
だけど、さくらは俺の胸元に顔を埋めたまま、反応はない。
「さくら?」
もう一度名前を呼ぶと、彼女はグリグリと頭を動かし、篭った声を出す。
「やっくん…」
そして、彼女は続けて口を開く。
「行かないで…」
その声を聞いて、ウッと心臓を握られたような苦しさが息を詰まらせた。
彼女の言葉に嗚咽が混ざる。
「まだ、話してたい…一緒にお菓子食べたい…」
「さくら…」
自然と目頭がジーンと熱くなってきて、誤魔化すように、彼女をギュッと抱きしめる。
今朝、感じていた胸苦しさの正体が、分かったような気がした。
「俺だって辛いし寂しいよ。さくらに負けないぐらい」
「嘘だよそんなの…やっくんは外に出られるんだから、絶対にそっちの方が…」
「さくら!」
彼女の言葉を遮るように語尾を強めた。
ビクリと肩を震わすと、ゆっくり顔を上げる。
涙で濡れて、光る彼女の瞳をじっと見つめた。
「大袈裟かもしれないけど、あの夜、さくらは俺を救ってくれた」
独りで寂しくて、病んでたあの夜。さくらは俺に声をかけてくれた。
優しくて華奢な声を、俺はきっと、これから先何十年も忘れない。
「さくらがいたから、入院生活が楽しかった。毎日、夜あの場所で話すのが楽しかった」
胸元で嗚咽が聞こえる。
それでも、俺は続ける。
「もっと色んなこと話したかった。陸上の話しとか、学校の話しとか。でも、いつかは戻らなくちゃいけない…俺もさくらも」
だから…、息を吸う。
そして、
「ありがとう、さくら。本当に会えて良かった」
すると、また胸元でぴくりと肩が動く。
さくらは俺の体に腕を回すと、グリグリ頭を押し付ける。
彼女は声を出しながら泣いた。
嗚咽混じりの苦しそうな呼吸が、俺の涙を誘う。
「ありがとう…ありがとうやっくん…」
「あぁ、だからもう泣くなって」
頭をポンポンと軽く叩く。
シャンプーのいい香りがした。
「やっくんだって…泣いてるじゃん」
そう呟くと、彼女は腕を離し、目元を擦る。
そして、俺を上目遣いで覗くと、
「私も、やっくんがいてくれたから楽しかった」
すん、と鼻を啜る。
彼女は瞼をぱちぱちとすると、しっかり目を合わせた。
「ねぇ、やっくん…」
彼女の頬がほんのりと赤くなる。
「…あと、何週間、何ヶ月後になるか分からないけど、そんな私を…外で待っていてくれますか?」
華奢な声と彼女の心臓の音が、しっとりと耳に絡みつく。
だけど、それがものすごく心地よかった。
俺はニコリと笑う。
「あぁ、待ってる…いや、俺は神崎さくらを迎えに来る。だからその時まで待っててくれますか?」
絡み合う視線。
彼女の吐息。
それを感じるだけで、幸せな気持ちになる。顔が熱くなる。
俺はさくらが好きだ。
「ぷっ…ふふふ」
すると、突然さくらが吹き出した。
彼女は声を上げて笑う。
「やっくん、やっぱり最高! 」
「急になんだよ…ビックリするな」
そして俺も面白くなって笑った。
こんな気持ちで笑うのは久しぶりだった。
さくらは笑いを止めようと、苦しそうに息を吸った。
それをふぅー、と吐き出す。
「私の質問に、質問で返すのホントに卑怯」
すると彼女は両手で俺の体を押した。
さくらの体から腕が離れる。温かい体温がふわりと消えた。
さくらは笑顔を見せる。
「でも嬉しい。ありがとう」
そして、ニッコリと歯を見せながら笑った。
その笑顔に、何も言えずにいると、片足立ちの彼女は出入口を指さして口を開いた。
「さぁ、こんな所をさっさと出ろやっくん! そして、私とのデートプランを考え来なさい!」
「おう、それじゃあな、さくら」
彼女に松葉杖を渡すと、俺はガラス張りの玄関を抜ける。
自動ドアが開いた瞬間、ヒューッと冷たい風が肌を刺した。
長らく外に出てなかったから、すっかり寒い事を忘れてた。
「うう…さむ」
開けていたダウンパーカーのジッパーを閉める。
「行くか」
そう呟くと、俺は歩き出した。
靴の踵が久しぶりにアスファルトと触れる。
門が近づく度に、少しづつ早足になって行った。
その時。
「やっくん、ちょっと待って!」
そんな言葉と共にカツカツと松葉杖が追ってくる。
俺は驚きながら振り向いた。
「どうしたの?」
さくらは、俺の目の前で止まると、「忘れ物」と、言って、俺の頬にキスをした。
…キスをした?
突然のことすぎて、何が起こったのか分からないでいると、
「退院おめでとう。それじゃ、またね〜」
と、楽しそうに笑いながら彼女は病棟の方へと帰っていった。
顔の熱が急上昇してくる。熱すぎて、ヤカンみたいにピューって音がなりそうだ。
キスされた所にそっと触れる。
そして彼女の、楽しそうな笑顔を思い浮かべて、小さく笑た。
「本当に変なやつだな…さくらは」
じゃあな…彼女の背中にそう呟くと、俺は踵を返す。
病院の外は、気の葉が落ち、すっかりと冬の色に染まっていた。
そんな木を見て、来年の春、一緒に桜でも見ながら散歩したいな…。
なんて考えるのであった。
質問に質問で返すのは卑怯と、彼女は言った。 あげもち @saku24919
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