妖の友 ─ フェリシアと別れてから四年
神聖なる山に居ることが多いが、郷に下りる者もいる。澄羅もまた、郷におりたものの一人だった。
郷、といえど澄羅が生まれた世界ではなく、異世界の郷だ。
その異世界にも、澄羅と同じ世界から訪れたものが居た。
彼は妖狐。名を
澄羅は、ふらりと街中で買い物をしていた時に彼と出会った。そうして出会った頃から、繕は澄羅の呑み友達になった。
梅雨の季節が訪れ、湿度の高い日々が続く。そんな中、訪れた月夜。
繕と澄羅は、いつ建てられたのかよく知らないが、極東世界にあったものとよく似た神社のような建物に集まり、杯を交わしていた。
とぷとぷと杯に注がれた酒に映りこむ月は、二人の色味の違う金の瞳を照らしていた。
「……ねえ、鴉天狗。今日は、僕を…なんで、呼んだの?」
「うん、そうだね。少し聞いてほしいことがあってね」
澄羅はふ、と笑い、杯に映る月を飲み込んだ。ことんと首をかしげるものの、繕もまた、杯を傾ける。
「狐のは、私より永く生きているか、同じくらいだろう?」
「うん。神様に仕えていたから、時間はよくわからないけど……たぶん、そう」
繕が頷けば、頭につけられている面の鈴がちりりといい音を奏でる。
社のそばの森から聞こえる葉音と、夜風と鈴の音。これがもとの世界であれば、風流だと言えただろうが、今は異世界。
「神に仕えていたのであれば、人の子に関しては狐ののほうが詳しいね」
「そんなこと…ない。神様、あんまり…力、つよくなくて。人、来てくれなくなって。どちらかというと、僕は……妖のほう、詳しい」
「そうなのかい?そうか……」
何?と言いたげな瞳を澄羅に向ける繕。しかし、澄羅とその視線が交わることはなかった。
澄羅は、かわらず杯の月を眺めていた。その表情は、苦虫を噛み潰したような顔だったのを、繕は知っている。
肴にと持ってきた稲荷ずしをつまみながら、澄羅が口を開くのを気長に待っていた繕であるが、口を開かない澄羅にしびれを切らした。
繕は杯を、床が抜けるのではないかという勢いで置き、目を開く。
「言いたいことがあるなら早く言わないか。時間は有限なんだが。聞いているのか鴉天狗」
キッ、と音を立てるような勢いで、淡く光る金眼で澄羅をにらみつける繕。澄羅は繕が二重人格気味なことを知っているが、やはり何度遭遇しても、この状態の繕には、畏怖の念を感じざるを得ないものだなとひしに感じた。
「いや……すまない」
「聞いてほしいことがあるというのに、鴉天狗が話さなければなんのために私は呼ばれたんだ。さっさと話してしまえ。まあ今の私には、主様にお伝えすることもできないが」
「神に聞かせるほどのものじゃあないよ」
じゃあ、と口をひらきかけた繕の口に、稲荷ずしが咥えられる。むぐむぐと口を噤まれた繕は、静かになる。
「……狐のは、人間を好いたことはあるかな」
「人間?……うーん、好きだけど」
「愛したことは?」
「……僕は神様しか」
そうか、とつぶやく澄羅は、空いた繕の杯に酒を注いだ。
「私は、人間を愛してしまったんだ」
「ああ…例の、あの子………。でも、鴉天狗、四年前に去られたって言ってた」
「彼女を想えば、それが最善だと思ったんだよ。私達と人間は、時間の違いがあるから」
澄羅もまた、杯に酒を注ぐ。ゆらゆらと揺らぐ水面に、月も踊っていた。
「幸せにおなり……そう言って、送り出したのは私なのにね。どう考えても、私のそばではないところで幸せにしている彼女を見たくない自分もいるんだ」
「ふうん。……でも、今傍にいないなら見ないはず、じゃない?」
ふ、と澄羅は鼻で笑い、杯をあおる。
「夢で、見てしまってね。人の子は移ろい易い。もうきっと私のことは忘れて幸せに生きている……かもしれない。そんな、あの子が家族を持ち、子を成して、育てていてもおかしくない年月がもう、経ってしまった」
「人間の四年って、早い…よね」
「全く、本当に」
澄羅はぽつりとそう呟き、空を見上げた。
今、あの子はどこにいるのだろうか。
この空を見ているのか。
見ているのだとしたら、誰とみているのだろう。
「鴉天狗、さみしいんだね。泣かないで」
ぺた、と澄羅の頬に小さな手が当てられる。それにより、自分の頬が濡れているのに気づく。
「……さみしい、何て。そんな気持ち、抱くことはわかっていたんだ」
「うん」
「だから、好いても、また置いていかれるのだと」
「…うん」
「せめて、置いていかれるのならば、あの子の命が尽きるまで、そばに居たかった……」
澄羅のか細い声を、繕は一つ一つゆっくり聞いた。
押しつぶされていた感情が噴出したように、澄羅はぽつりぽつりと吐き出した。
けれど、わめくことはなく。ただただ静かに語った。
月が真上に登り、すこし傾く頃。澄羅はつぶやくのをやめ、繕を見た。
「鴉天狗は、どうしたいの」
「どうもこうも……」
澄羅はいつものようにまた、少し笑んで答えた。
「別れてしまったのだから、今更なにもできやしないよ」
「でも、……四年だよ。たった四年。探せば、きっと会える」
「もう四年だ。あの子に家族が居れば、私は邪魔になるからね」
力なく笑んだ澄羅を、繕は眉間にしわを全力で寄せて睨みつけた。澄羅のその背中に生える羽根の付け根を思いっきりたたくというオプション付きで。
「人の子の間でそういうの何て言うか僕知ってる。この、ヘタレ!……居るかもわからない
澄羅は全くだなと自嘲した。
たたかれた背中の痛みと、胸の痛みに少し違和感を感じながらも、繕とその日は呑み明かした。
さみしさを、かき消すように。
「私は、さみしいのには慣れているから。……安心して、幸せにおなり、フェリ」
再会まで、あと七百と三十少し。
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