出会ってまもない頃の話


 白い、ウエディングドレス姿。

 赤色のアネモネをあしらっているその姿は、この世の何よりも美しいと……、戦う彼女を初めて見た時、そう、思った。


 ***


 本の匂いが漂う独特な空間。時の流れをゆっくりにしたような、そんな場所。


 夜ノ森澄羅よのもりきよらは、初陣を終えたステラバトルと、その時に自分が変化するステラドレスについてぼんやりとしたことが記されている本を、この学園の図書館で読んでいた。どう探しても深い内容のものはなく、ぼんやりとしたことしかわからない。

 しかし1つ、しっかりわかったことはある。

 澄羅はその文章を指でなぞりながら再度読み、溜息ながら机に肘をついた。


『……、ステラドレスはシースがブリンガーにものとされている』


 それじゃあ、私は彼女に着てほしいのか…?

 あの、『ウェディングドレス』を?


 ガラリ、と図書館の扉が開かれる。

 銀糸の髪を揺らしながら部屋に入っていく人影を見て、澄羅は本を閉じた。

 ゆっくりだった時が進んでいく。


 ***


 澄羅がこの世界に来てから、1週間になる。

 この世界はほかの世界からの迷い人や逃走者…それらはひとくくりに、隣人ネイバーと呼ばれるが……隣人ネイバーへの対応が迅速だった。

 あっという間に教員として学園に所属することになり、そして・ブリンガーである、フェリシアと共に生活をすることになったのだ。

 この日も変わらず、フェリシアと澄羅は向かい合って夕食を食べていた。

 ふと、フェリシアが口を開く。

「ねえ、先生。図書館で何読んでたの?」

 その問いに対しては、なんの嘘もなく答えた。

「…うん。私と君がどんなことに巻き込まれてるのか知りたくてね」

 ふーん、とフェリシアは呟いた。

「探してみたけれど、わからないことの方が多かったよ。この世界の女神っていうのは隠し事が多いのかもしれないね」

 澄羅は箸を置いて、目を伏せる。

 願いを叶える戦い……参加するのは、そういうものらしい。けれど、具体的にどう叶えるのか、どのくらい戦えば叶うのか、そういったことは見つけられなかった。

 どのくらい長く戦わなくてはならないのか。それが、まったくわからない。


 人間の命とは、短くはかない。そんな大切でいとおしむべき存在に、終わりのみえない戦いを強いていいのか。

 

 ふと視線をフェリシアに移す澄羅。彼女は、心配そうに見つめてきていた。が、目が合うとふっとそらされる。

「…神様のことなんて、わからないことのほうが多くて当然だよ」

「そうなのかい?こっちの世界はそうなんだなあ…」

 それ以降、どちらともなく黙り込み、無言の食卓になってしまった。


 ***


 烏天狗。極東の国の隠世かくりよに存在する妖の一種。それが澄羅。

 人間。たびたび隠世に迷い込み、妖を翻弄する存在。餌にも愛玩対象にもなる。

 澄羅は一度、人間に恋をした。その人間とは、妖からしたら本当に一瞬の逢瀬だった。

 アリーチェ。銀糸の髪を持つ少女。その少女は、澄羅と婚姻の契りを交わして、間もなく命を落とした。

 澄羅が最期に彼女をみたのは、夕日を背に振り返り、微笑む姿だった。

『ちょっと出かけてくるね、すぐ戻るから』


 あの時止めていれば。明日でいいと言っていれば。

「いか、ないで…くれ…」


 ***


 澄羅の目覚めは最悪だった。

 起きてみれば涙が流れていたし、泣いたせいなのかなんとなく頭痛に苛まれ、朝日さえ疎ましく思っていた。

 そもそも一般的な妖はこのような早朝に活動しないのだが。

 ずきずきと痛む頭を抱えながら、朝食を作る。


 こちらの世界には洋食のほうがなじみがあるようで、フェリシアはそちらを好んで食べているような。…ような。気がする。

「……わからないな」

 好きなものも、何も、まだよく知らないのだからわからなくて当然だ。


 卵をフライパンに落とし、ぼーっと眺める。

 油がぱちぱちとはじける音。どんどんと温まる油に、焼かれていく卵。

 とんとんと、軽快な足音。

「あ。先生。起きてたんだ。おはようございます」

 はっとして声のほうを向く。そこには、もう身支度を整えているフェリシアが微笑みかけていた。

「…お、おはよう。朝ごはん、たべるだろう?」

 頷いたフェリシアは、勝手知ったるといったように机にコップやらフォークやら並べていく。

 

 アリーは、私の料理が好きだと言っていたけれど。あの子は見た目からして極東の子ではなかったように思う。もしかしたら、地元の味を恋しいと思っていたかもしれない……。


「……い、…先生!」

「!」

 また物思いに更けていたようで、気付いたら体を揺さぶられていた。

「卵!こげるよ!」

「え、あ…ああ、危ない。…すまないね、ありがとう」

「………」

 フライパンに水を加えて、蒸していく。

 フェリシアが何か言いたそうにしていたが、澄羅はその様子に気付くことはなかった。卵を焦がさないように、気を張っていたから。


 ***


 朝食を食べて、学園に行こうとした澄羅にフェリシアが何してるの?と声をかけた。

「今日は土曜日。学校は休みだよ」

 あまり働いていない頭でカレンダーを見てみれば、確かに。休みの日で間違いはなかった。

 ずきずきと頭が痛む。立っていられなくなり、椅子に座りこんだ。

「だ、大丈夫…?先生?」

「ああ……、いっ、…」

 痛みは増していくばかりで。そういえば随分前も、こんなことがあったような……。


 ***


 あれは確か。アリーチェを拾ってからすぐの事だったか…

 こうやって、頭痛がひどい時があった。あの時はどうしたんだったか……。

 確か、冷たくて何かを感じていた気がする。


 額に何かが触れる感触に、澄羅は目を開いた。

 揺れる銀糸の髪。矢張り極東では珍しい夜明け間の空のような瞳。

「アリー…」

「……」

 額には手が触れられていたようで、すこしひんやりとした手が、澄羅の頭痛を少し弱めた。

 その手が気持ちよくて、自然と頭を預けた。


 ***


 椅子に伏してねてしまった澄羅を、フェリシアは見下ろした。

 辛そうで、熱でもあるのかと思って額に触れれば、呟かれたのは『アリー』という一言。

 感謝の言葉ではない、確実に違う。

 と自分を重ねている……。


 フェリシアは胸をぎゅっと握りしめた。

「先生、……私は、『フェリシア』だよ」


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