第14話 虐殺が呼ぶ虐殺

 収容所潜入作戦を終えた俺が輸送車で汐汲坂しおくみざかベースについたとき、外で待っていた若菜が飛びついてきた。


 その勢いのまま、俺は彼女に唇を奪われる。同乗していた兵士たちは一瞬呆気にとられ、すぐに口笛があちこちで聞こえてくる。


「おい、人前だぞ」

 若菜は顔を真っ赤にして俺の胸もとに顔を埋める。

「たったひとりで無茶しすぎるからです」


「バアルやカーミラも大丈夫だって言ってただろ?」

「でも、手足を縛られてどうやって抜け出したんです」

「瞬間移動だよ。初めて会ったとき、一緒に飛んだだろ」

「あ……」


 若菜は俺の胸元に顔を押し当てたまま動けない。


「伊達に異世界で生き残った訳じゃないんだぜ。もう少し俺のこと信じてくれよ」

「ごめんなさい」


 俺は若菜の肩を抱き、ベースの中に入っていく。背中からの熱い視線と、冷やかしの口笛がうるさい。


 ガレージの扉の前で若菜の頭にポンポンと触れると、またすぐに唇を奪われる……が、人の気配がしてふたりで振り向くと、久良岐が所在なさげに咳払いをしている。


「一応、俺、若菜の保護者というか父親代わりなんだけどな」

「あー、これは……」

「じ、人工呼吸ですぅ!」

 若菜がそう叫びながらベースの奥に猛ダッシュで走って行く。


「中西、呼吸大丈夫か」

「ああ、若菜の人工呼吸のお陰で……」

「そうか」


 そう言ってガレージに戻る久良岐の背中を追って、俺もガレージに入る。


「さっきまでの戦闘で小破が二、中破が一、負傷者五名で死者なしだ。劉、里中の訓練のお陰だな」

「敵に戻った海賢は、迷いなくウチのパイロットを殺す気できてたようだが」

「そういう男なんだな。中国人なのに、武士みたいな割り切り方だ。日本に住んでいたからそうなるという訳でもなし。生まれつきの資質とでもいうのか」


「そろそろ手加減が難しいくらいまで強くなってきた。次は殺るか殺られるかになるかもしれない」

「砂羽さんのためには避けたいよな。次からは里中に当たらせるか」

「おいおい、それこそ殺るか殺られるかになるだろ」


「だよな」

 久良岐が修理が始まったばかりのSA-04Bを見上げていう。

「米軍からは、もう一度大規模な補給をする準備があると言われている」

「そうか。かなりの戦力拡大になるな」


「だが、そうなったときにどこまで駒を進めていいのか、北海道との調整も必要になる。活動範囲を広げても、そこには敵が嫌がる放射線はない。完全にウチの戦力だけで守らないといけない。北海道との連携なしでできることじゃない」


「そうか。そうだ な。敵に多正面作戦を強いる必要がある」

 放射性物質による汚染があるからこそ、相手は積極的に横濱パルチザンを攻めることをしない。しかし、汚染していない土地を取り返しても、すぐまた取られてしまうリスクは高い。


「取りあえず、次の補給作戦では北海道と連携しての作戦になるそうだ。そこで連邦軍がどれだけ横浜に重心を移したかを確認して、その上での次の作戦だ」


 久良岐は不安そうな表情を消して、微笑んだ。

「まぁ、まずは、中西の名演が世界中に広がるのを見ながら、先の作戦の成功パーティーだ」



 ◆◇◆◇◆



 海賢は連邦軍極東大戦区だいせんく日本派遣軍司令部に呼集され、極東大戦区総司令・孫記雄そんきゆう・スンジーション、日本駐留最高全権顧問・朱陸らとネットに拡散された動画を確認していた。


 孫総司令は陸軍出身らしい堂々たる体躯で引き締まっており、威厳を失うことなくその映像を見ている。


「おや、まだ死んでいませんでしたか。まぁ、ゴキブリがしぶといのは古来からの常識ですからね」

 モニターから響く数人の笑い声。


 孫総司令とは対照的に、真っ青になり震えているのはモニターにもその姿が映っている朱陸全権顧問だ。


 動画にはその後、朱陸全権顧問の指示で虐待を受ける捕虜の姿と、どうとでも偽情報を流せると豪語する朱陸全権顧問の姿が映し出されている。


「朱陸同志、なかなか興味深い映像ではないか。なにか言いたいことはあるかね」

「こ、これは……。捏造です。こ、小賢しいテロリスト共が」


「捏造? そんなのは当たり前だ。特別自治区に派遣された最高全権顧問がジュネーブ条約の遵守ができないなんてことは、絶対にあり得ない。だろう?」

「はっ、仰る通りです……」


「それから、連邦外務省が努力に努力を重ねてようやくこぎ着けた異世界の人間種国家による軍事支援のことだがな。それを荒唐無稽なおとぎ話だと思うか」


「と、とんでもない。是非ともお力を借りたいです」


「よろしい。社会党中枢に誤ったメッセージを二度と届けることのないよう、厳に気をつけて対応するように」

「はっ、党に忠誠を!」


 孫総司令は、その鋭い眼光を海賢に向ける。


「劉海賢同志。君は確か、横浜中華街出身で、命懸けで北京に来て志願兵になった。それが公報の特集に載ってたんだよな」

「はっ、大変名誉なことでした」

「それから僅か二年でSAのエースパイロットか。素晴らしいことだ」

「はっ、光栄です、閣下」


「さて、君の覚悟を問いたいのだが……」

 孫総司令の眼光が海賢に向けられる。それは、常人が人に問うときの目ではなく、冷酷を厳しさと威圧感で上書きした絶対的権力者の目だった。



 ◆◇◆◇◆



 祝勝会から二日、俺は訓練の隙間時間に部屋で休憩をしていた。


 祝勝会は大変盛り上がった。久良岐はあちこちで酒を飲まされながらも、人懐こい笑顔とリーダーらしい貫禄を備えて皆との絆を深めていた。


 俺は若菜と隣り合せで席を割り当てられた。皆が入れ替わり立ち替わり来ては、俺と若菜の仲を冷やかしながら酒を飲ませようとして、里中に怒られるのだった。


 若く見える里中も、実は三十代前半のいい大人だった。いつの間にやら、教え子であるパイロット連中始め、メカニックや基地部隊の皆に一目置かれる存在になっていた。


 戦争になる前は陸上自衛隊高等工科学校の教官だったらしい。

 戦争になって、北京語をマスターしていることを買われ潜入作戦に加わったが、次々に仲間が捕まり本部との連絡が繋がらなくなっていたところで、例の爆破事件を起こしたらしい。


 異世界では好きでも強くもない酒に散々に困らされたことを思い出すと、里中の存在はありがたかった。


 自室のソファで考え事をしているうちに、予定が空いていればコーヒーを飲む時間になっていたらしい。若菜が部屋の扉をノックする。


「どうぞ」

 扉を開けて入ってきた若菜は、最近増えた笑顔を俺に見せながら、いそいそとコーヒーを淹れ始める。


 周囲から通い妻だと冷やかされながらも、俺の身の回りの世話が任務だと主張して譲らないのだ。


 異世界から帰って、もう少しで2カ月になる。まだ半そでシャツでいられた気温だったのが、少しずつ外の空気が冷たくなってきている。


 寒さは好きでないバアルが、暖房の前から動かなくなってきている。食いしん坊のバアルのことだから、蜂蜜や花畑を用意する条件を出せば魔法で身体を温めては頑張ってくれる。しかし、地球の生き物でいえば昆虫に近いあいつは、一応変温動物なのだ。


 先ほどからいい香りを漂わせていたコーヒーが、俺の前に差し出される。若菜は自分のコーヒーもテーブルに置き、俺のとなりにちょこんと座り、じっと俺を見ている。


「ありがとう」

 俺の言い終わりに合わせて、柔らかい唇が俺の唇を塞ぐ。


 肉体年齢的には非難される要素のない二人の関係ではあるが、俺の精神年齢が実は三十五歳だという見方もできる。


 だから、キス以上に進まないことを二人で取り決めている。それだけに、キスだけは我慢したくないというのが、若菜の要望だった。


 唇を離すと、互いに同じタイミングでカップをとり、熱いコーヒーをすする。


 肩を寄せ合い、コーヒーで温められながら、静かに休憩時間が過ぎていく。


 若菜の髪からは、投下される物資に入っていたホテル用のシャンプーの香りがする。始めは自己主張の強いものに感じられたが、今はその香りで落ち着くようになった。


 暫くして立ち上がろうとすると、ドアがノックされた。

 珍しいタイミングでの来訪者に、俺と若菜は顔を合わせて不思議がる。返事をすると入ってきたのは里中だった。


「中西さん、緊急事態です。一緒に司令室に来るようにと、久良岐さんが」


「わかった。急ごう」


 半ば小走りになっている里中の後ろを、早足で着いていく。


 里中はよく慣れた手つきでノックをして、扉を開けて俺を通してくれる。


「中西。緊急事態だ。次の作戦を準備していたアメリカの空母打撃群が、壊滅した」

「なに?」

「タイコンデロガ級イージス巡洋艦と三隻の駆逐艦、二隻の揚陸母艦が撃沈、原子力空母二隻が無力化された」


「なんだよ、それ。敵にやられたとでも?」

「ああ。多分、異世界のロボットに」


 俺はここで、想定していた中で最も厳しい状況がついに訪れたことを知った。

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