軽口トカゲもお出ましだよ

「ハイ! 相変わらず不機嫌だな。ちょっとは見れる顔になったのにさ」

 あたしは上から下までシャワーと音波洗浄と消毒処理を三回もやった。

 でもまだ痛い。

 汚れてる感じが抜けない。

「しみてんのよ。わかるでしょ。冷たいものくらい持ってきなさいよ」

 番記者のジャック・<ラプトル>・アノールが短い足でとことこと歩きながらやってくる。

 全身をくるむのは枯葉色のおしゃれなブランド物のロングトレンチ。

 裾から鮮やかな緑色の尾が伸びてホテルの廊下を掃き掃除してた。

「接待は禁止なもので」

 キザな調子でお辞儀してみせたジャックの事を無視しながらあたしは控室に向かってずんずん歩く。

 身長五十センチの緑のトカゲ野郎こと軽口ジャックは、あたしの歩幅について来ようと全力疾走している。

 ああ、けなげけなげ、あたしあくびが出ちゃうな。


「で、どうだった」

「どうって何がよ」

 現在あたしの顔はパンパンにはれており、すれ違うホテルの従業員が軒並みお化けを見るようなリアクションで壁にはりつく。歩き易くていいこった。

 あのくそゴリラ。

「久々のスパーリングはどうだったかって話。どっちが勝った?」

 トカゲがあたしの指先サイズのノートにちまちまと文字を書きつけてる。

 ずっと見てると頭が痛くなりそうよ、こいつの動き。

「この顔に聞く?」

「勝者の勲章かもしれないじゃないか」

「このくそトカゲ、アーサーを取材に行け」

「嫌だなあ。そんなことしたら背骨が無くなるだろ」

「すこしは芯の入ったトカゲになるかもしれないよ」

「手厳しいね。こっちは君の事を一番に考えてるってのに」

 あのくそゴリラ、次に会ったら脳天カチ割ってやる。

 アドレナリン過多で死にそう。

 無敵のボクシングチャンピオン、アーサー・ヘルファイアのことを知らないやつは何処にもいない。あたしのボクサー時代を知らないやつは山ほどいるが、アーサーは世界チャンピオンなんだから。

 防衛三回。しかもゴリラだけのトーナメントじゃない、全種族集めてのチャンピオンベルト。ボクサーの卵が全員憧れてるような男。

 その反面、アーサーはヒーローとして高潔なわけじゃない。

 スパーリングでも容赦しないのが有名で、練習相手は誰であろうと将来ごとへし折られるのが常だった。

 その名前通り地獄のようなスパーリングで唯一、KOできなかったのがこのあたしだ。

 アーサーはいつか大舞台であたしに恥をかかせてやろうと思っていたに違いない。

 それもあって、やつがそれを実行する前にあたしはリングを去ったのさ。

 現状を見るにそれは適切な判断だったと思える。


「KO?」

「されてない。打ち負けた」

「三十分打ち合ったんだって? 二本足で立ってれば立派だと思うよ、オレは」

 ジャックの尻尾が大理石の廊下をピシッと打った。

「そりゃどうも。今度会ったらただじゃおかない。あのくそオス」

「おっ、お、明日の見出しに良いな。歌姫、ボクシングチャンピオンに宣戦布告!」

 あたしはジャックに蹴りを入れた。

 まあ爪先だけね。

 本気でやると死ぬから。

 こいつ殺しても死ななさそうだけど。

 緑のトカゲは空中で二回転してから、廊下にキスした。


「ジャック、あたしのことを一番に考えてるってんならタクシー呼んどいて」

 あたしは今朝乗った下層タクシー会社の運転手カードを、ぺしゃんこになったトカゲに向かってひらりと落とす。

 ジャックは四つん這いになってから素早く立ち上がり、カードをキャッチした。

「ええ、キバタンのホセ・マルティン? けったいな顔。こいつは君のお気に入り?」

「今日たまたま乗ったのよ」

「運転が上手いわけか」

「それだけじゃない」


 あたしは左右を見渡し、誰もいないのを確認してからジャックに今朝の事を説明した。

 上層の金持ち連中が樹根を切って落とし、下層のタクシードライバーを押しつぶして遊んでいること。

 化け物みたいなボディーガードが背後についていたこと。

 それが日常茶飯事であるだろうこと。

「あたしは調べるべきだと思ってる」

 足の爪でジャックは廊下を叩いた。

 気に食わないという様子。

「だからもう一度このひとの話を聞きたい」

「やめとけよアリス。悪いこと言わないから」

「ジャック、このケツの穴の小さいイグアナ。何か知ってるわね。顔に書いてある」


 緑のトカゲはすたすたと歩き出した。

 あたしは大股な一歩でそれに追いつく。

 ぷいと顔をそむけるジャック。

「樹根を傷つけることは違法でしょ。それは上層のボクちゃんであろうが一緒のはず」

「理想はな」

「現実にしなきゃいけないの。そうしないとあたしの周りで死体が増える」

「<神のみこころ伐採教会>」

「何?」

「そういうカルト団体があるのさ」


 ジャックはペンをくるりと回して、コートに突っ込んだ。

 いちいち芝居がかったやつ。

「ここからはオフレコだよアリス」

「あんたね、何を気取ってんの」

「なあ。オレは君を危険にさらしたくないんだ」

 あたしはむっとした。

 危険にさらしたくない、だあ?

「下層住まいに良く言えたわね。樹上の暮らしをしておいて」

「や、まてまてアリス。そういう意味じゃない」

 ジャックはかさこそと動いて、あたしの目線の高さにある照明に這い上がった。

 そうすると超小型のドラゴンみたいな面持ちで、ほんのかすか、アメーバよりはましなくらいの勇ましさが見て取れる。

「<神のみこころ伐採教会>はまずいんだよ。麻薬組織なんだ。敵として大きすぎる。君が大逆転オーディションシンデレラ優勝の世界的歌姫の卵だからってね、まだ手を出しちゃいけない」

「このくそったれイグアナ。マッシュポテトにするわよ」

「ああもう、君は頭が固いなあ」

 ばりばりとかきむしった後頭部から緑の粉雪が降る。

 

 そういえば外は吹雪いてんのかな。

 タクシーが飛ばなくなる前に戻らないと。

「お願いだよアリス。時が来れば俺も手助けをするよ。でも今は」

 ジャックが哀れっぽく言い募るので、あたしはげんなりした。

 アドレナリンもどっかに行っちゃったみたい。

「わかったわよ、わかった。でもタクシーは呼んで。帰れなくなるでしょ。あと、次に会ったときには、そのなんとかかんとかっていう団体の詳細を聞かせてもらうから」

「アリス」

「そこから下りて。落ち着かない」

 あたしは手を差しだした。

 その上をしゅるりとジャックが走り、ちゃっかりと肩に乗る。

「君の事は全世界が注目してるんだ。軽々しく敵を作らないでくれよ」

「はいはい。そんな根性無しのラップを誰が聴くの」

 

 ジャックはため息を吐き、コートのポケットからあたしの爪くらいのサイズのデータパッドを取り出した。片手の運転手カードと見比べているところから察するに、ちゃんとホセを呼ぶつもりはあるらしい。

「おや」

 データパッドと運転手カードを交互に見ながら、ジャックが首を傾げた。

「通信障害でも出てんの」

「何だこりゃ。この運転手は退職/殉職しています、だって?」

「ついに気が狂ったんじゃない」

「いいや。オレは正常だよ」

 世界の異常さに比べれば確かにこの軽口トカゲはまだ正常かもしれなかった。

 あたしもそれだけは、認めてもいい。

 耳元でコール音。

「ハイ! <テンダネス・タクシー>?」

 

 ジャックの口臭を嗅ぐと、あたしはトカゲの丸焼きの事を考える。

 生でもいいけど焼いても美味しい――ああもちろん、人間じゃないトカゲの話よ。

「配車をお願いしたいんだけど。そうそう。で、運転手の指名をしたいんだ」

 トカゲは自分の頭よりも大きいカードを持ち直しながら言った。

 コートの裾がばたばた音を立てる。

「No.137890、ホセってやつだよ。キバタン。……え、死んだってのかい。おおジーザス! いい奴だったのになあ。教えてくれよ何があったのか。構わないだろ」

 

 切れ切れの会話は、あたしに悲しみを与えてくれた。

 ホセ・マルティン。

 彼は欧州紛争の優秀な戦闘機乗りだった。

 敗戦後に心的外傷後ストレス障害PTSDで退役、ニューヨークへ来て、ドラッグに手を出して下層に落ち、何とか立ち直ってタクシー運転手になり……結婚はしてない子供もいない……良くシンデレラ・アリスの歌をかけていた、午後の放送になると一緒に歌うのが常で……そうだよ『Sing Like Bird』が好きだったんだ……正義感が強かったんだよホセのやつは……最近、そうなんだ、根っこの上でバカ騒ぎするのがいてね、どうも注意しに行ったみたいで……。

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