ひとつの命がビートになる

 雪はニューヨークの上層界をますます美しく染めていた。

 白い宝石が世界のすべてになったみたい。

 あたしはエンパイアステート・インの窓から汚れひとつ無い街を眺めてた。

 月明かりが喜界樹の梢から洩れ、虹色の光を雪の上に落とす。

 メリークリスマス、ホワイトクリスマス。

 今頃夜空にはドラゴンだのグリフォンだのサンダーバードだのが飛んで、いい子にプレゼントを配って回ってるんだろう。

 

 大雪は交通機関を麻痺させ、エアロプレインはすべて運休。

 帰れなくなったあたしは慣れないスイートの広さに慄いて寝付かれず、やっと眠りが訪れたと思ったら身長十メートルくらいのアーサーがにかにかとあたしに笑いかける夢を見た。

 そいつは指先であたしをつまみ上げ、宙づりにしてふりまわした。

 赤い霧の中で世界が回る。

 にやついたアーサーの口には長い長い牙が生えていて、それがばかっと開いて赤い舌の上にあたしを……。

 悲鳴を上げながら飛び起きて、窓の外を見てやっと落ち着いた。

 あのくそゴリラ。夢の中にまで出やがって。

 おかげでやるべき事はわかった。


 あたしは立派なデスクをベッドの横から窓の横まで持ち上げて運び、そこに白い紙を広げて文字を書き連ねた。

 まだ勉強したてだからぐっちゃぐっちゃの悪筆だけど、構うもんか。

 伝わればいいんだ。

 この思いが、くそったれ。

 体の中にリズムが溢れてくる。

 心臓の一打ちがあたしのビート。

 血液の回るその音があたしのターンテーブル。

 遺伝子があたしに語り掛ける。

 このジャングルでどう生きるかって?

 決まってるじゃないか、強くあれと、優しくあれと。

 叩きのめせ、力を見せろ。

 左手の指が自然に机をタップする。

 あたしの喉でリリックが芽吹く。

 右手は衝動を自動筆記する。

 あたしはそのために生きているんだ。

 ひとつの命がひとつの音楽になった。


 あたしはフロントをコールして、アルマジロ監督がホテルに滞在しているか尋ねる。

 個人情報が、と言っていたデスクはあたしの名前を聞くと手のひらを返して、今後の滞在予定まで全部教えてくれた。あたしはアルマジロ監督を呼び出してもらい、ついでにジャックを呼び出す(このトカゲもちゃっかりエンパイアステートに泊ってた。帰れよ)。

 ホテルの近くにあたしのお気に入りのバーがあって、昼まで開いてるのを知ってたから、あたしはそこで落ち合うことにした。

 昨日着てきた服はぜーんぶ捨てられてて、どうしてって臭いからってさ、上層界の立派なスカジャンが届いてたから、あたしは仕方なくそれを着て外に出る。

 雪は深々と積もってた。

 あたしは雪は苦手だけど、でも少し歩くだけなら好き。

 下層界には雪なんて降らないの。樹根の熱が溶かしちゃうから、汚い雨が降るだけで。

 いつかみんなをここに連れてきたい。まっとうな食べ物、まっとうな服、まっとうな部屋、まっとうな職業、まっとうな市民権をオプションにつけて。

 そのためにはあたしが稼がなきゃならない。

 あたしが世間にひびを入れなきゃいけない。

 下層界を知らない正義なんか、死んでしまえばいい。

 エンパイアステート・インの幹の半周下にあるバー<オモンディ=アモンディ>はシックアフリカンな内装の店で、いい感じのケニア・フュージョン料理とバーボンを出す。

 あたしがドアを開けると先客はおらず、オランウータンのマスターが静かにグラスを磨いていた。

「いらっしゃい」

「少し借りたいの、オディアンボ。いいかな」

「いいとも。そこの貸し切りの札を戸に下げておくと良い」

「いつもありがと」

 オランウータンの手の中で、きゅっ、とグラスが良い音を立てた。笑うとこの上品な老紳士のふさふさの眉毛が下がるところ、あたしのお気に入りポイントのひとつなの。

 ボクサー時代から<オモンディ=アモンディ>は行きつけで、貧乏だったけど、ファイトマネーが入った夜だけはここに来てお酒を飲むのがあたしの楽しみだった。

 あたしはマスターに朝食を注文し、ディアボラ・ケニア風ステーキニャマ・チョマとサラダを出してもらう。

 エンパイアステート・インのお上品なビュッフェに並ぶ気は起こんなかったからさ。

 アーサーのアホ面を見ることになるかもしれないし。

 あたしは頭を振って、その残像を振り払う。

 アホ面だけど、ゴリラ基準でいけばイケメンなんだよね、あれ。

 デザートのアイスクリームをちょこっとずつ舐めては至福を味わっていると、アルマジロ監督とジャックが連れ立って現れた。


「おはようアリス。オレを低体温で殺す気だったな?」

「あら死ななかったの。残念無念」

「こっちは爬虫類なんだからさ」

 ぶつぶつ言うジャックの顔色が――わかるんだよこれが、悪いのに気づいて、あたしはちょっとだけ罪悪感を覚える。

 オランウータンのオディアンボがカウンターから出て、ジャックのコートを預かると代わりに毛布を手渡してやった。

 アフリカっぽい色鮮やかな毛布を。

「そうやってると、少しは様になるわねトカゲでも」

「おいおい種族差別だぞそりゃあ。でも、この毛布は確かにセンスがいい」

「ケンテ」

 アルマジロ監督が自分の毛布を鼻でふがふがやりながら言った。

「ガーナの伝統衣装だよ」

 おっとりとオディアンボは頷く。

「私はアフリカ美術も好きでしてね。ここは良い店だ」


 アルマジロ監督はそう言うと、あたしの横の切り株椅子に腰かけた。

「監督はなに食? 草食っぽい顔だけど」

「雑食。いや、でもいい。寝付かれなくて早めに朝食を取ったから。光栄です、歌姫」

「オレも雑食だよ。気が合うな監督さん」

「会話に入ってくんなトカゲ」

「おいおい呼んだんだろ、アリス」

「置物係よあんたは」

「かーっ! いつもこの調子なんだシンデレラは。気位が高くていらっしゃる」

 ジャックは、ぺちん、と額に手をやった。


 オレンジ色の毛がふさふさ生えたオディアンボの腕が静かに伸びて、コーヒーをサーブする。

 完璧な静寂、密やかな禅、そんな感じ。

 あたしに無いものだ。

「ところで?」

 アルマジロ監督はコーヒーに息を吹きかけてから、上目遣いにあたしを促す。

「新曲を書いたの。誰にも言ってない。あなたにMVを撮ってもらいたい」

 監督の長い爪がコーヒーに浸かったけど、そんなことには全然気が回ってないみたい。

 良い兆候。

「あたしの条件はひとつだけ。撮影場所を指定する。でも独創的な場所よ」

「ど、どこ」

「上層でお上品に撮るんじゃない。樹根の上で歌う」


 ぱか、と上あごを開けて固まったアルマジロ監督の手からコーヒーカップが滑り落ちた。

 がしゃんと音を立て、黒い染みが床に広がる。

 あーあー勿体ねえと言いながらジャックとオディアンボがそれを拭きとりにかかった。

「う、うう、歌ってくれないかなアリス。そうしないと決定できない」

 あたしは机をコンコンと叩いて拍子をつけると歌い出した。

 アルマジロ監督に噛みつくように。店のすべてがビートを発して、全員をくぎ付けにするように。

 ワンコーラス歌い終わったころには、アルマジロ監督はノートパッドに契約書を表示させていた。あたしはサインを書き入れた。

 ジャックはこの契約をネットニュースにして速報する。

「いいのか流して。野次馬が増えるぜ」

「増えればいいの」

「ちょっとまて分かったぞ」

「そうよ。遊び場を没収してやる。ホセはあたしに歌ってってリクエストしたの」

 ジャックは数センチだけある肩をすくめたみたいだった。

 毛布がちょこっとだけ上がって下がったから。

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