第2話 謎の力?
「ふっ……! ふぅ……! よ、ようやく着いた……!」
学院の門の前で、息を切らしながら苦悶の声を漏らす一人の男がいた。言わずもがな、俺の事である。
家を出た時間からして遅刻は確定。さりとて諦めて歩く気にもならず、全力でいつもの通学路を風となって(当社比)走り抜けたのだが、果たして意味はあったのだろうか。これは無駄な努力と言われても仕方がない。
……しかし、我が校の正門は九時十分になった途端時間ぴったりに閉まる筈だが、今日は何故か閉じていない。ラッキーではあるが何かあったのだろうか?
「おい、そこの二年生。もう門を閉める時間だぞ。さっさと教室に行け」
「あ、はい! すいません」
門の担当をしている教師に叱責され、慌てて校内に入る。校舎に向かって走りながらも、巨大な時計塔を仰ぎ見た。
(まだ九時八分……?)
時計の針が示していたのは、本来あり得るはずのない時間だった。
これが事実であれば、普段三十分は掛かる筈の道を八分で走り抜けたということになる。勿論急いでいたのは事実だが、ここまで大きく変わるものなのだろうか?
時計塔が間違っているという可能性も無くはないが、何にせよ俺にとってはラッキーである。幸いにして残り二分以内に辿り着ければ遅刻にはカウントされない。教室までは後少しだ。
◆◆◆
──とまあ、授業には無事間に合いましためでたしめでたし、で事が済めば良かったのだが。
「おいおいどうしたんだブラッド君? 遅刻スレスレなんて君らしくないじゃあないか。真面目さだけが取り柄だっていうのに、不真面目になっちゃいよいよ学院にも居られなくなるぞ?」
(やっぱりこうなるのかよ……)
何かと日頃から難癖を付けては校舎裏へと引き込んでくるアグナとその取り巻き達。表向きの理由はともかく、それを悪用して過剰なまでに責め立ててくるのだからタチが悪い。
現実として俺は遅刻していないが、遅刻ギリギリの時間に滑り込んで来た。悪ではないが推奨はされない行為という、白でも黒でもないライン。そこを嬉々として突いてくる彼らには『不良を矯正する』という大義名分が与えられ、俺には声高に無罪を主張出来ないという違和感だけが残る。
これまで幾度もやられた手口ではあるが、やはり今回もそれを活用してきた。授業が終わった後、昼休憩の時間に無理くり引っ張られて校舎裏である。こいつら、一体どれだけ暇なんだ。
「これは一度、しっかりと教育して正しい道に戻してあげないと……ねっ!」
「ぐっ!?」
腹部に拳を一発。後々痣の跡が目立たないように、服で隠れた場所を殴る姑息な手段だ。それでいてこちらにはダメージが大きいのだからタチが悪い。
──と、思っていたのだが。
(……痛みが少ない?)
いつもなら立っていられない程の苦痛に襲われるのだが、今日は何故か少し痛い程度で収まっている。それどころか、たちどころに痛みが引いていくのである。
しかし、俺がこうして不思議に思っている間も奴らは攻撃を仕掛けてくる。
「おらよっ!」
取り巻きの一人が大きく振りかぶって右ストレート。しかし、今の俺には何故かひどくスローモーションのように見えた。
ひょいと首だけ傾けてやると、その遥か真横を拳が風を切って通り過ぎていく。
「……は? 何避けてんだお前?」
(何避けてんだって……バカにされているのか?)
欠伸が出る程度の速度で殴りかかられては、誰であっても避けるだろう。こちとらサンドバッグになったつもりは無いのだから。
それとも新手の嫌がらせとでもいうのだろうか? これを避けたことを口実に、さらに暴行を加えるとか……ここまで露骨だと無理があるとは思うが、無いとは言い切れない。
「おら、もう一発!」
先程よりも素早い──とはいっても雀の涙ほどだが──拳が迫り来る。避けるのは難しくないが、あまり避けすぎて下手にヒートアップされるのも鬱陶しい。嫌々ながらも仕方なく頬を差し出して──
『──全く、いつまで無駄な遊びをしておるのだ戯けめ。このような馬鹿どもにいいようにされるなど、間抜けにも程があるぞ』
ふと、頭の中に声が響いた気がした。
次の瞬間俺の体は、自分の意思とは関係無く拳を防ぐ。
「は……?」
間抜けな声を上げる取り巻きその一だったが、俺の内情もほとんど似たようなものだ。何故体が動いたのか、一ミリも理解出来ない。
だが、そんな俺たちの動揺を他所に俺の体は動き続ける。
掴んだ拳を引くと、相手の体勢が崩れる。前のめりになった相手の鳩尾に──強烈な膝蹴り。
「ごっ……!?」
重苦しい息を吐き、取り巻きその一は倒れる。この調子ではおそらく行動不能に陥った事だろう。だが、そんなことをすれば他の取り巻きたちも黙っていない訳で。
「こ、この野郎!」
「やっちまえ!」
三流の悪党としてはお手本のような台詞を言いながら、一斉に掛かってくる取り巻き達。だが、それすらも今の俺にはまるで子供のままごとにしか見えない。
掴みかかろうとする腕をいなし、捻りあげる。もう片方から飛んでくる蹴りには、掴み上げた相手を盾としてプレゼントしてやった。
いなし、ぶつける。単純な行為の繰り返しで、アグナの取り巻きは次々と数を減らす。数回も繰り返せば、まさに死屍累々といった様が転がっていた。
「……や、やってくれるじゃないかブラッド君?」
『ハハハハハ! 此奴、こめかみがピクピクと震えておるぞ! 滑稽さに腹が捩れる!』
まただ。また声が聞こえた。それも今度はハッキリと。しかしこの声どこかで聞いたことがあるような……。
『なんだ、まだ気づいていなかったのか? 朝にわざわざ妾が高らかに名乗りを上げたというのに……』
妾。わらわ。わらわら。その一言で、ようやく今朝の出来事がフラッシュバックする。
(ま、まさか今朝布団の中にいた!?)
『ようやく思い出したか戯けめ。全く、妾が言わなければペンダントのことも永遠に気づかなかったのであろうな』
そういえば、彼女が自己紹介している最中に封じられし人格だかなんだか言っていたような……いかん、あまりのショックにあまり朝の出来事を覚えていない。
『まあその辺りの説明は後々でも良いだろう。それよりもほれ、奴はまだ何か言いたげのようだが?』
促されるままに前を見ると、苛立ちから顔を歪めたアグナがこちらを睨みつけている。流石に普段から帯刀している訳ではないが、もしも手に武器を持っていればそのまま斬り掛かってくるのでは無いかと思える程だった。
「……もういいか? 他に用事もないだろ」
「そうはいかないよ。此方も顔に泥を塗られたんだ……ただで済むとは思わないほうがいい」
あえて強気に出てみたが、やはりダメみたいだ。完全にアグナの逆鱗に触れている。
「この始末は是非とも『試合』で付けようか。正々堂々、生徒達の見守る前でね」
『試合』。それは士官学院において定められた、生徒同士の力を比べるために設けられた制度だ。
より強い者を育てるという理念の下、全ての士官学院は生徒間の切磋琢磨を奨励し、その序列を明確に作成している。その序列をつけるための最も明確な基準となるのが試合なのだが、これは実質的に生徒間での合法的な決闘として扱われているのが現状である。
基本的に教師が立ち会いとして付く為流石に死ぬことはないが、それでも大怪我を負うことだって十分にあり得る。ましてや俺とアグナのように隔絶した実力差がある両者が行うとなれば、それは公開処刑に等しい。
「……嫌だと言ったら?」
「来なくても構わんぞ? その場合、貴様の学院からの評価がどうなるかは保証しないがな」
ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべるアグナ。俺の家庭環境を把握した上で言っているのが丸わかりだ。
「……わかった。受けるよその話」
「中々懸命な判断じゃないか。では本日の放課後、練武場で待つとしよう。精々僕を楽しませてくれよ?」
いくら決闘と呼ばれていようと、命までは取られ無い。何、少しばかり痛みに耐えればすぐさま終わるだろう。そんな決意を固めて、俺は高笑いするカストルを見送った。
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