第1話 謎のペンダント

 



 ──チュンチュン、と。朝の訪れを伝える小鳥達のさえずりが聞こえる。


「……う、うむむ……」


 重い。咄嗟に浮かんだ言葉がそれだった。


 基本的に俺は、朝は弱い派の人間である。大体寝起きの気分は最悪であり、こんな気分になる事はそう珍しくない。


 それでも学校には行かねばならぬと、眠い目をこすりながら体を起こそうとする。


「……ん?」


 異変に気付いたのはその時だった。


 体が重い。いや、重いには重いのだが、気分ではなく物理的に重いのである。まるで何かが体の上に乗っているかのように。


 まあ寝ている間に妹でもこっそりと忍び込んできたのだろうか、全く甘えん坊さんめなどと呑気なことを考えながら掛け布団をこっそりとめくり上げた。


 そして次の瞬間、寝惚けていた俺の意識は完全に覚醒することになる。


「おーい、兄さんは起きたから早く離してく……れ……?」


「……くぅ……」


 直後、俺の言葉は固まる。なぜなら布団の中に入り込んでいた人物は、俺の全く知らない少女であったからだ。


 金髪をツインテールに纏めた、見目麗しい幼女。当然ながら昨日彼女を連れ込んだ覚えもなければ、家族以外の誰かと寝た記憶もない。


 では母親あたりの親戚か、とも思い浮かんだがあいにく彼女のような親戚を母から紹介された事は無い。大穴で妹の友人という可能性もあるにはあるが、であれば俺の布団で寝ているのもおかしな話だ。


 そもそも、家族が誰かを連れ込んでいたとして、我が家は狭いのだからそれに気付かない訳がない。では彼女は一体何者なのか?


「んぅ……」


 布団を開けた事で差し込んだ光に反応したのか、可憐な呻きを上げながら少女が身じろぎする。只でさえ至近にいた彼女の体は、最早俺と密着してしまっていると言っても過言ではない。


 幼女も意外と柔らかいんだな、と思わず浮かんでしまった邪な考えを必死に振り払う。大体、俺の好みは大人っぽいグラマラスなお姉さんなのだ。こんな少女は守備範囲外である。


「……くぁ〜ぁ……ん? もう朝か……?」


 そして、眠気からか半目になった瞼を擦りながら、少女が覚醒する。


 さて、こうなった上は腹を括るしか無いだろう。一体どれだけ土下座をすれば幼女誘拐ではない、冤罪だと理解してもらえるだろうか。因みに初手で彼女に叫ばれてしまった場合、一も二もなく人生終了である。ガッデム。


「……む、なんだお主も起きておったのか。まあ良い……わらわはまだ眠たいから、しばし湯たんぽ代わりになっておれ……」


 が、しかし。彼女から飛び出てきたのは悲鳴でも嬌声でもなく、何を当たり前のことをとでも言うような平然とした声だった。


「え、あのちょっと? お眠になられるのは宜しいんですが、私めに自己紹介くらいしていただけはしませんかね?」


 寝起きで頭が回らない。咄嗟に出てきた似非敬語で話しかけながら彼女の肩を揺らすと、唸りを上げながら再び起き上がった。


「なんじゃ全く騒々しい……。久方ぶりの目覚めで気分が良いのだから大人しく寝かせるのじゃ」


「いや、そもそも君だれ? 俺には皆目見当が付かないんでせうが……」


「何を言うかと思えば……妾を目覚めさせたお主ではないか。しかも何を使ったか、大量の鮮血を捧げてまで」


「血液……?」


「おお。それも上質の、出来立ての血液ばかり。妾、ついつい腹が膨れるほど呑んでしまったのじゃが、それでも尽きぬ量とは驚いたぞ。これ程に満足したのは久方ぶりじゃ」


 はて何のことか、血液などという物騒なものは我が家に無かった筈だがと考えてみると、一つだけ心当たりがある。


 自分のスキルである『増血』。これがあれば確かに無尽蔵の血液が得られるだろう。だが、それと彼女の発言に何の関連があるというのだろうか?


「まあうん分かった、いや血液の意味はあんまよく分からなかったけど……ひとまず名前だけ教えてくれない? あとついでに親御さんも」


「ふ、早速名前を求めるなど気安い奴よの。じゃが妾は今、久々の血で満足しておる。特別に答えてやろう」


 少女が立ち上がり、朝日に照らされながら仁王立ちする。その瞬間、掛けられていた毛布が全てはだけ、彼女の全容が露わになった。


 輝く白肌。影の少ないつるりとした扁平体型。そして──


「は、は、はだ──」


「妾の名はエリー! 依り代たる『グリーディー・グラス』に封じられし人格であり、最強の存在──」


「裸じゃねーか!!!」


 少女──エリーが偉そうに語っていた所へ、思い切り側にあった制服を投げつける。わぶっ、と可愛らしい声を上げて、エリーは再びベッドへ倒れ込んだ。


「もむむ──ぷはぁ! な、何をする貴様ー! 妾に向かって、しかも名乗りの最中に狼藉を働くとは!」


「いや裸の方がおかしいだろ! グリーディーだか何だか知らんけど、そんな中二病拗らせる暇があったら服くらい着ろ!」


「服じゃと? なんじゃ貴様、妾の至高たる玉体に興奮しておるのか? まあ無理もない事じゃが、少しは節操というものをな……」


「いやそんな嗜好ないから! とりあえずそれだけ早く羽織れ!」


 全く朝から騒がしいのぅ、とブツブツ不平を言いながらもなんとか上着は羽織ってくれた。


 ……しかし、朝からこんなに騒いでいるというのに、何故母親も妹も起きてこないのだろうか。助かるには助かるが、何かおかしい。


「……まさか」


 恐る恐ると備え付けの時計を見ると、短針がちょうど9の数字を指していた。


「やっ……べぇ!! 完全に遅刻だ!!」


 朝礼が始まるのが九時十分であり、尚且つこの家から学校まで三十分はかかる事を考えると、完全に遅刻と言ってもいい時間である。


 勿論というべきか、士官学校である我が校は軍人の卵らしく時間には厳しい。なんせ一分でも遅刻した者には厳しい罰則と反省文という課題が与えられるのである。

 俺は今のところ皆勤賞であるが、ここで一つでも遅刻してしまえば成績はどうなってしまうのか、考えたくもない。ただでさえ現状最も退学に近い立場だというのに。


 慌てて制服を少女から引ったくり、なるべく見ないようにしながら代わりの服を与える。本来なら気を使うべきなのだろうが、最早一刻の猶予もない為許してほしい。


「おおそうじゃ、一つだけ主に言い忘れておった」


「え、俺時間ないんだけど……後にして貰っても」


「そうせっかちになるでない。常に余裕を持つのが優雅というものじゃぞ」


「優雅より出席の方が俺には大事なんだが」


 俺の不平を無視し、ベッドから飛び降りる少女エリー。視界の端から下半身が見えそうになり、慌てて視線を上に逸らした。


「そのペンダント、決して外すでないぞ。大事な大事なアイテムじゃからな」


「は? ペンダントって……」


「お主鈍いのぅ……ほれ、今も首から提げておるじゃろうに」


 言われて目線を下げると、確かにそこには真っ赤な宝石があしらわれたペンダントがぶら下がっている。同時に、昨日商人から譲り受けた事をようやく思い出した。


(……あれ? このペンダントってこんな色だったか?)


「ってやべ、時間時間……!」


 ふと小さな違和感を覚えたが、その疑問はすぐさま時間の波に押し流される。


「行ってらっしゃいじゃぞー……さて、妾は二度寝でもするかのぅ」


 何故この幼女は人の家、人のベッドでこうも傍若無人に振る舞えるのだろうか。それだけが疑問である。



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