『増血』は神スキルです!〜最弱落ちこぼれの無双譚〜

初柴シュリ

プロローグ

 



「あの、この子の技能スキルは何でしょうか……?」


 俺、ブラッド・アリエスの記憶で一番鮮烈に残されているのはスキル受託の儀の一場面だった。


 この世界では、生まれてから十年ほど経つと全ての人間に一つスキルと呼ばれる特殊な能力が発現する。そして、所有スキルの宣告は主に教会で行われるのが通例であった。


 当時まだ夢しか抱いていなかった純朴な少年であった俺は、子供心にもワクワクしながら正に好々爺と言えるであろう司祭の事を見つめていたものだ。


 スキルは将来の進路や人生にまで大きく影響する。その為か、司祭に恐る恐る聞いていた母の心配も最もであったと言えよう。対照的に慣れている為か、司祭は相も変わらずニコニコしている。


「えーっとですな……うん、ブラッド君のスキルは『増血』だね」


「ぞう……けつ? それってなんなんですか?」


 言葉を聞いただけではよく理解出来ない。俺も母も頭の上に?を浮かべていた。


「うん、増える血と書いて『増血』。まあ簡単に言うと、いくらでも血を増やせるって事。制限とか書いてないから、まあ貧血の心配は無いんじゃない?」


 司祭は見た目の割に、無駄に言葉遣いだけはフランクだった。


「それってつまり……」


「うん、弱いね! 成長性もないし、力もない。端的に言うと雑魚スキルだ!」


 いつか絶対たるこのクソ髭が。幼いながらに、俺はそう誓ったのである。






 ◆◇◆






 ──あれから数年後。


「ぐっ、ああっ!?」


 右腕からドクドクと流れ落ちていく鮮血。迸る熱のような痛みと、生気ごと体から抜けていくような虚脱感に、俺は思わず悲鳴を上げた。


「おいおい、こんなんで悲鳴を上げてもらっちゃ困るよ。これはカストル士官学院における由緒正しいなんだ。そんな反応されちゃあ、まるで僕が虐めているようじゃないか」


 アグナ・カストル。名前からも分かる様に、俺が現在通っているカストル士官学院の一人息子である。


 こいつがとにかくいけ好かないどころか、まるで世の中の屑を煮詰めた風呂に肩まで浸かったんじゃないかと思うくらいに腹黒い。


 例えば聞いた話によると、自分の気に入らない教師を学院から飛ばしたり。休日に街へ繰り出しては、女を引っ掛けてその場で捨てたり。ひどい話では、孕ませた娼婦を殺したとか。


 まあ噂に過ぎない与太話ではあるが、実際にそれが許され、取り巻きまで生まれる環境に彼が身を置いているのは事実である。

 学院での成績はほぼトップ。特に実技は凄まじく、彼のスキルである『魔術生成マジックリボーン』によって生み出される魔法の数々は非常に強力だった。


 それでいて顔面偏差値は非常に高いのだから始末に負えない。最も、性格の悪さで全てを帳消しにして余りあるのだが。


「……はっ、大人数で校舎裏に連行。逃げられないよう囲んでからいたぶるのが訓練ってか? 随分と高尚な趣味をお持ちの様で」


「人聞きの悪いことを言うなよ? 別に反抗を禁止した覚えは無いんだぞ? 僕はただ、余りにも成績の低い同級生の事を思って訓練をつけてやってるだけさ」


 戯言を、と呟く暇も無くアグナの剣が再び俺を襲う。


 この男、俺が『増血』のスキルで失血死だけはしない事を利用して遊んでやがる。


 普通なら死んでもおかしくない程の血量を失っても、重篤な器官を失わない限り俺は死なない。頭を吹き飛ばされたり、心臓を止められたりすれば流石に死ぬだろうが、重傷を負った位ではまだ死なないのである。


 とはいえ痛みはしっかりとある訳で。今の俺は、アグナへの反抗心から涙を見せないように戯ける事が精一杯だった。


 ──キーンコーンカーンコーン……


「おっと、もう五の刻か。僕はこれから剣術教練を受けなければならないのでね。今日の訓練はここで終わりにさせてもらおう。明日も宜しく頼むよ」


 悶える俺を尻目に、アグナは取り巻きを引き連れてさっさと何処かへ去っていく。やはりある程度は外面を気にしているのか、俺をいたぶる所をあまり見せたくは無いのだろう。


「……いってぇ」


 流れ出る血液と、熱を持つ痛み。失血によって死ぬ事はないが、勿論感染症なんかに罹ってしまえば命の保証はない。


 幸いにしてここは士官学院だ。授業に戦闘訓練があるように、医療環境は充実している。


 血液をダラダラと垂れ流しながら慌てて医務室へと駆け込むと、いつも通り白衣を着た教師が控えていた。


「……おー、今日もお前か。相変わらず不幸なこって」


「茶化すのはいいんで早く治療してくれませんかね不良教師さん……!」


 医務室だというのに煙草を吸い、だらしなく白衣を着崩している。まさにお手本のような不良教師である。


「はいはいと……ったく、最近は煙草すらも軽々しく吸える時間がねぇな。俺の憩いの時間だってのによぉ」


 彼が軽く手をかざすと、ふわりと淡い緑の光が輝く。それからしばらくすると、脱力感と共に傷が徐々に修復されていった。


「ふう……毎回すいませんヒラルド先生。いつも助かってます」


「気にするなブラッド……いや、やっぱり気にしろ。そしてその内俺に煙草の一箱でも奢るんだ」


「前から思ってたんですけど、医務官なのに煙草吸い過ぎじゃないですか? 早死にしますよ」


「何のために俺のスキル『修繕』があると思ってるんだ。吸いながらコイツを使えば、害はなくなる上に訓練にもなって一石二鳥なんだよ」


 ヒラルド先生のスキルは『修繕』。何と対象の状態を最高のコンディションに調整出来るという優れものであり、これを使えばどんな怪我でも生きていれば治すことが出来る。俺の屑のようなスキルと比べても、実に羨ましい限りだ。


「……才能の無駄遣いって奴ですかね? これが」


「うるさいぞ。ほれ、治療が終わったなら行った行った。俺は忙しいんだよ……休憩に」


 そういうと吸殻を灰皿に置き、再び煙草を取り出すヒラルド先生。『修繕』を使った時点でニコチン中毒といった症状も修復される筈なのだが……一体なぜ彼は煙草を吸い続けているのだろうか。


 パタパタと手を振って追い出される俺。最早通い過ぎて日常茶飯事となっている故でもあるが、深く傷の事情に踏み込んで来ないその冷たさが有難くもあった。









「ふう……こんな毎日、いつまで続けばいいんだろうな」


 夕暮れに染まる帰路に着きながら、俺は独りごちる。一日の授業とアグナの折檻によって、体は極度の疲労を溜め込んでいた。


 普通ならば士官学院を辞めれば良いのではないか、と思うだろう。だが、残念なことに将来を考えた場合それは出来ない。

 こうして俺が我慢しなければいけないのも、何もかも貧乏が悪いのである。


 俺が将来性皆無であると察してしまったからか、それともただ単に母に飽きたのか。我が家の大黒柱であった父は物心ついた頃に蒸発し、それからは母が女手一つで俺の事を育ててきた。


 しかもとんでもない事に、去り際に奴は妹というとんでもない置き土産を母の腹に残していったのである。

 幸いにして目に入れても痛くない程の可愛さと、奴から遺伝したとはとても思えない才能を妹は手に入れていたが、それでも女一人の稼ぎでは限界がある。


 才能を活用するにも何かと金が必要だ。俺と妹、二人をきちんとした学校に通わせる程の金は我が家に存在しなかった。何もかも貧乏が悪いと恨みを吐くには十分な環境と言えるだろう。


 そこで俺が目をつけたのは、将来的な軍人を育てるための士官学院である。


 士官学院は国が直属で運営しているため、まず授業に費用が掛からない。そしてその上、なんと役人として扱われる為給金まで出ると言うのだ。生活苦の俺たちにとって、ここまで渡りに船な話はそう無い。


 無論、その分入院試験は無駄に難しい。試験直前の一年は当然勉強漬けになり、奇跡のような倍率を突破して何とか滑り込みで入学出来たのだ。次もう一度試験を受けろなどと言われれば、受かる自信は無いと胸を張って言えるだろう。


 そうした事情もあって、俺の貰う給金も家計の一部になっている以上、ここで諦める訳にはいかない。何としてでも卒業して、軍属という安定した地位を手に入れるのが俺の夢なのだから。


 ……だが、正直この毎日が続くようでは身がもたない。アグナに目を付けられたのは最近だが、その粘着度が半端では無いのだ。


 数少なかった友人もアグナの存在によって離れて行き、今では孤独に耐える日々。一人は嫌いでは無いが、こうも弱り目に祟り目が続くとある日ポッキリ心が折れてしまいそうだ。


「あークソッ……何で俺、ここまでツいて無いんだろうなぁ……」


 別に好きで弱いスキルを持った訳じゃ無い。好きで士官学院に行っている訳じゃ無い。選択肢はあったが、常に最善を選び続ける事を余儀なくされたんだ。


 結局、俺はアグナの野郎に刃向かう事も出来ない。いくら体を鍛えようとも力では勝てず、どれだけ努力を積もうとも知識では勝てない。才能、環境、自信。その全てが劣っているからだ。


 ……だが。


 ……ほんの少しでも、夢を見ることができるのなら。


「……勝ちたい、なぁ」


 アグナに。友人に。全員に。


 一度でいいから、勝って見せたかった。


(……まあ、無理だって分かってるけどさ)


 かぶりを振ってその僅かな希望を打ち消そうとした、その時だった。


「よお兄ちゃん、随分辛気臭い顔してるなぁ」


「……?」


 ふと掛けられた気安い声に顔を上げる。


 いつの間にか迷い込んでいたのか、俺は辺りを壁に囲まれた薄暗い路地裏に立っていた。


 そして目の前には、薄汚れた格好をした中年の男。バリエーション豊かな商品をこれまた薄汚れた絨毯の上に並べており、如何にもといった怪しい雰囲気を醸し出している。


「そんな時にはこれなんかどうだい? 何でも東方の国に伝わる、持ってるだけで幸福になれる石だ。今ならお安くしとこう」


「……悪いが与太話なら酒の席にでもしてくれ。今の俺は機嫌が悪くて笑えそうにない」


「おっと、これは中々重症だね。ま、ここで会ったのも何かの縁。少しくらい見てってよ。触ったから買えなんて図々しい事は言わねぇさ」


 普段の俺ならば反応もせずに通り過ぎるところだが、今日は何の気が向いてしまったのか自然と視線が並べられた商品に吸い寄せられてしまった。


 とはいえ、商品の格と店の格は比例する様で、どの品を見ても説明書きが胡散臭いものばかり。

 中でも『聖水』と銘打たれた商品の水面に、小さい虫がプカプカと浮かんでいたのが最も滑稽だった。


 しかし、そんな物の中でも一際異彩を放つものが一つ。


「……店主。こいつは何だ?」


「ん? ああ、その商品か……ま、訳あり品のペンダントってとこかな」


 質素でありながら高級そうな箱の中に、シルクと思しき真っ赤なビロードに包まれたペンダントが飾られていた。

 首回りはシンプルだが、中央の黒い宝石が妖しい輝きを放っており、それだけで十分高級品であると感じられる。これだけの品々の中であれば、まず間違いなく目玉の商品として扱えるだろう。


 だというのに、何故かあまり人目につかない様にしているかの如く、それはカーペットの端に追いやられている。一体何故なのだろうか?


「訳? どう見ても新品にしか見えないが……」


「まああれだな、うん……そうだな、そのペンダント譲ってやってもいいぜ。条件付きだがな」


 と、唐突におかしな提案をする店主。


「……妙な要求には乗らんぞ。興味はあるが、別段特別欲しい訳じゃない」


「まあそう身構えるなって。そんな変な事は言わねぇよ」


 ずい、と箱に入ったままのペンダントを押し出してくる男。その妙な鈍色の輝きに、俺は視線が離せなくなった。


「こいつを首から掛けてみろ。それだけ、たったそれだけがこいつを譲る条件だ」


「……首からかけるだけ? 本当にそんなんでいいのか?」


「ああ勿論! 男に二言はねぇ。お前がしっかりと首からぶら下げるところを見届けたら、このペンダント正真正銘お前のモンだ」


 ……正直無駄に怪しい。一見魅力的に見える提案だが、その裏が全く読めないのが無性に怪しい。


 とはいえ俺も男。こういった謎のアイテムにはそこそこ興味を惹かれる。まあぼったくりにしても、さっさと突き返せば良いか……という甘い考えを胸に、若干のワクワクを抱きながらその提案を受け入れた。


「分かった。じゃあ先っちょだけなら……」


「先っちょも何もあるかいな……ほれ、受け取れ」


 商人が差し出してきた箱から、慎重にペンダントを取り出す。差し込む西日を宝石が反射し、より一層強く、それでいて鈍い輝きを放っていた。


 ごくり、と思わず生唾を飲み込む。実に高そうな宝石だ。これを売れば何ヶ月分の食費が浮くことか……。


 おっと、思わず思考が怪しい方に傾いてしまった。慌ててペンダントを握り直し、首に巻く。


「うーん、似合ってるか……?」


 ジャラリとぶら下がるペンダント。姿見が無い為、果たしてこれが似合っているのかどうかよく分からない。

 何せ俺は生まれてこの方アクセサリー類を付けたことがない男だ。貧乏というのもあったが、何よりそういったオシャレに一切気を使ってこなかったせいである。


 ふと、先程まで饒舌に喋っていた商人の言葉が聞こえなくなっていたことに気付いた。ちらりと振り向いてみると、先程までの陽気な表情は跡形も無くなっている。


「……? ほら、ペンダント付けられたぞ。これで良いんだろ?」


「…………」


「お、おい……?」


 何度か声を掛けると、ようやく気付いたのかハッとした表情を浮かべながら慌てて商売道具を片付け始めた。


「お、おう! 勿論そいつはお前のだ! しっかり使ってやれよ!」


「え? おい、何をそんなに慌ててんだよ? もしかして、これなんかヤバいやつだったのか!?」


「し、知らん知らん! 俺は何にも知らねぇぞ! とにかくそいつはお前のだからな!」


「あ、ちょっと待てコラ!」


 脱兎の如く逃げ出す商人。気付けば彼がいた形跡は跡形もなくなっており、寂しい北風が砂埃を巻き上げるだけだった。


「な、何だったんだよ本当に……」


 チャリ、と下げられたペンダントが音を立てたような気がした。

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