奇本
僕と西島は家の中を探すことを諦めて外へ出る。辺りはもう真っ暗になっていた。こんな遠くまで連れてきておいて、騙り部に関する資料は一つも見つけられなかった。
「ごめん……」
僕はすぐに謝った。その時はもう落胆の表情と声を隠せなかった。
「気にしないでください。きっと他にも記事のネタになることがあるはずです」
西島はまだあきらめていないようだ。彼女が本当に気にしていないところが逆に辛い。
しかし、おかげで一人落胆している場合ではないと気づいて新たに提案する。
「すぐ家に帰って父親の書斎を探してみよう」
作家古津謙語の書斎は僕と母の間で『魔境』と言われている。あの部屋は足の踏み場がないどころか部屋の戸を開けることすら難しいほど散らかっているからだ。特に〆切直前はずっと部屋にこもって執筆作業に集中しているため、押しても引いても叩いても戸は開かない。それでも食事を一切とらずに作業する父を心配する母がたまに部屋の中に入っていた。幼い頃、どうやって入っているのか気になって尋ねたことがある。すると、なぜか頬を赤らめて答えた。
「謙語さんは明るくて楽しいことが好きだから」
開かずの扉……明るくて楽しいこと……エロ親父……。
いやいや、まさかそんな……。
「あの、帰る前に見ていきたいものがあるのですが、いいですか?」
そう言って西島は旧家の裏側に向かって歩き出す。そちらは庭があるだけだ。けれど黙って彼女の後ろをついていく。
「ありました」
そう思った矢先、西島がそんな声をもらした。まさか家の裏手にまわっただけでもう見つけたのか。驚いてどこにあるのか辺りを見まわすが、それらしきものは一つもない。
あるのは大きなもみじの木だけだ。ずっと昔から古津家、騙り部一門を見守ってくれている。
「見たかったものってこれのこと?」
「はい」
西島はもみじの大木に近づくと両腕を大きく広げて抱きしめる。
「私が大きくなったら両手をまわせると思ったのですが、ダメでした。そうですよね。この木も同じように大きくなっているのですから」
その表情はどこか懐かしそうで、とても愛おしそうだった。それを見ていた僕も懐かしくなり、反対側に立って木を抱きしめる。僕の手と西島の手が当たって自然と握り合った。
「覚えていてくれたのですね、騙り部さん」
木で隠れていて見えないけれど、今の彼女は明るい表情をしていると感じた。
「それなら、この木の下に埋めたものも覚えていますか?」
忘れるわけがない。けれど、言えるはずもない。
なぜなら僕は嘘をついてしまったから。僕が嘘を嫌いになり、騙り部を名乗ることができなくなった本当の理由。それがこの木の下に埋められている。掘り起こされてしまったら……。
「騙り部一門に古くから伝わる家宝……【
西島が埋められたものの名前を告げる。それと共に彼女との記憶が次々に呼び起こされる。
「奇跡を起こす本と書いて【奇本】。文字通り、どんな奇跡でも起こせる本です」
西島がその本が持っている力を告げる。それと共に彼女への罪悪感で胸がいっぱいになる。
「もう忘れてしまったのですか? 本当に覚えていないのですか? 騙り部さん」
いつの間にか僕らの両手は離れ、西島がこちらにやってきて尋ねる。
「……僕が【奇本】のことを忘れるわけがないだろ」
ようやく覚悟を決めて重い口を開く。それでもまだしっかりと前を向けない。
「それから【不死身のふじみ】のことも。今まで一日だって考えない日はなかったよ」
今度は勇気を出して前を向く。
するとそこには、嬉しそうに笑っている女の子が立っていた。
「やはり私にとって騙り部は……あなただけです」
嬉しいことに、その言葉に嘘はなかった。
僕がまだこの家に住んでいた頃、突然西島ふじみとその両親はやってきた。その時のことは今でもよく覚えている。彼女は虚ろな目と沈んだ顔をしていたから。
西島の両親と僕の父が家でなにやら話しているとき、彼女はふらふらと庭にやってきた。そして今日のようにもみじの木に手をまわして遊んでいた。その頃の僕は騙り部という屋号をえらく気に入り、人を驚かせたり笑わせたりするのが大好きだった。
そこで、木の裏側にこっそりまわって同じように両手をまわす。それから西島の両手を思い切りつかんだ。きっと驚いて逃げるだろうと思った。だが彼女は悲鳴もなにもあげずにその場に留まっている。
不思議に思ったので無言で立ちつくす彼女に尋ねた。
「ねぇ、なんで驚かないの? どうして逃げないの? 怖くないの?」
「化物だから」
西島は表情を一切変えずにサラッと言う。不思議な女の子だと思った。
それからひと月に何度か西島とその両親はここに来るようになった。両親は父と話し、彼女は僕といっしょに家の中で遊んだり秋葉山を探検したりした。いつも表情を変えず、ほとんど無言で、おもしろいのか楽しいのかわからない。西島は家で遊ぶより、山を探検するより、もみじの木の下で話すのが好きだということはわかった。もっとも、話すのは僕ばかりだったが。
そんなある日、庭で遊んでいる時に彼女は木の枝で手の指を切ってしまう。傷口が深くて赤い血が流れていく。慌てた僕はすぐに親を呼んでこようとしたが、彼女は冷静に答えた。
「大丈夫。どんなに傷ついても死ねないの。だって私は……不死身の化物だから」
そのうち血は止まり、傷口も少しずつふさがっていき、最終的には元通りに治ってしまった。僕が驚いていると西島がまた口を開いた。
「ねぇ、【かたりべ】ってなあに?」
自分からこんなに話すなんて珍しいと思ったが、僕は祖父や父、親戚から教えてもらった話をおもしろおかしく聞かせてあげた。
西島は特に秋葉山に住んでいた化物との騙し合いの話に興味を示した。そこで、他にもいろいろな化物がいることを教えると少しうらやましそうな顔になった。不思議に思っていると彼女がぽつりと言葉をもらす。
「いいなぁ」
僕の耳にとても感情のこもった声が届く。騙り部になりたいのかと聞くと、首を横に振られた。それならどういう意味か聞いてみると彼女は答えにくそうに話す。
「ずっと昔の化物なのに、今もこうしてお話の中で生き続けているからいいなぁって」
「だけど、君も化物なんでしょ? 不死身の化物ならずっと生き続けられるんじゃない?」
その時の僕は何も考えず、軽い気持ちで言ってしまっていた。
西島はひどく寂しそうな表情を見せながら話す。
「ねぇ、あなたは私のことが怖くないの?」
その問いになんと答えたのか、しっかり覚えている。
それが悲劇の発端になったのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます