人間か化物か

 嘘か本当か聞き分けなくても本気で尋ねているとわかる。

 だから半端な気持ちで答えてはいけない。

 ふと0番街の謎の化物とのやりとりを思い出す。

 あの時と似た状況に置かれている。

「ねぇ答えてよ。私って綺麗?」

 僕が黙っていると再び男が問いかけてくる。

 その間も化粧はさらに崩れていく。血の色よりも赤い口紅がだらりと雨粒とともにしたたり落ちる。

 この人は僕よりもずっと背が高いから見上げる形になる。するとどういうわけか、長い髪とその化粧もあいまって口が大きく裂けた女性の化物にも見えてくる。けれど僕の目には人間の男性にしか見えない。人間の男性が化粧して女性の服を着ているようにしか見えない。

「それは……その……」

 綺麗か、綺麗でないか。その答えはすでに出ている。

 だがそれを答えると、この人は怒るかもしれない。落ち込むかもしれない。

 なぜなら彼が求める答えは一つしかなくて僕が出した答えはもう一つの方だから。

 女性の化物に見えていたらまた違う答えが出ていた可能性もあるけれど、それは難しい。

 人間は人間だし、化物は化物だ。

「ねぇ、私って綺麗?」

 人間の男が再度尋ねてくる。僕はまた答えに詰まった。

「ねぇ、言ってよ……」

 それでも僕は沈黙を続ける。だがそれはすでに答えているようなものだろう。

「嘘でもいいから……綺麗って……言ってよ……お願いだから」

 それこそ無理だ。僕は嘘が嫌いだから。

 嘘でも冗談でもお世辞でも人の容姿を褒められない。

「誰か……誰でもいいから……一言でいいから……綺麗だって……それだけで私は……」










「綺麗です」

 男が驚いた。僕も驚いた。

 なぜならそれは、僕が言ったわけではないから。

「あなたは綺麗ですよ」

 男がその大きな体を横にずらして振り返る。彼の背後にはビニール傘をさした女の子が立っていた。

 小柄で細身で長い黒髪が似合う女の子。自分のことを『化物』と言うのは玉にきずだが、それでも僕にとっては大切な人だ。その子の名前は……。

「西島さん……?」

 状況を理解できない僕は間の抜けた言葉を発してしまう。

「騙り部さん。雨が降ってきたのでお迎えにあがりました」

 西島は真面目に事実だけを告げる。

「ねぇ、あなた……私が綺麗だと思うの? 本当にそう言っているの?」

 突然の来訪者とその答えに驚いた男が聞き返す。

「はい。あなたは綺麗ですよ」

 西島はもう一度同じ言葉を伝える。

「やめてよ。さっきのは冗談よ。そんなこと無理に言わないでいいわ……」

 男はその言葉を受け入れられないのか、それとも信じられないのか、頭を大きく横に振る。

 けれど西島が言っていることは事実だ。嘘でも冗談でもなく本音を言っている。

「あなたは綺麗ですよ」

 降り続ける雨に消されないほどしっかりと通る声でなおも告げる。もちろん、それにも嘘の要素は一切ない。これだけ何度も真剣に伝えられたら信じるだろう。

「あなたは嘘でも冗談でもお世辞でもなく本当にあたしのことを綺麗だと言ってくれるのね。ねぇ、あなたの目には私がどう映っているの? 教えてくれるかしら?」

 男性は先ほどよりも落ち着いた表情と声になっている。

 その姿はとても紳士的と言った方がいいのか。それとも淑女しゅくじょのようだと言えばいいのか。

「私の目には人間の女性に見えます。その長い髪は毎日きちんと手入れなさっているのでしょう。お化粧も今は崩れてしまっていますが、ムラなく丁寧にされていたのがわかります。このさわやかな香水もあなたにピッタリの香りだと思います。とても素敵な女性ですね」

 人間の女性。たしかに西島はそう言った。

 僕の目と彼女の目で見えるものは違っているらしい。

「ああ……ああ……ああ……ああああ……!」

 突然、ロングスカートの男がうめき声をあげる。そのまま大きな体を揺らしながら西島の方へ進んでいく。

 なにかするつもりかと思ってすぐに先回りする。男と彼女の間に入って両手を広げて立ちふさがる。0番街では守れなかったが、今度はあんな過ちを犯さない。

「失礼ね。なにもしないわよ、なにも。ちょっとその子と話をするだけよ」

 彼は野太く低い男の声で話す。それでも僕は態勢を変えない。

「あなたはさつき野めい子さんですか?」

 背後にいる西島が尋ねる。

「私のことをそう呼ぶ奴がいることは知っているわ。まったく、失礼な話よね」

 落ち着いた表情と声で話をしているが、怒りの感情がこもっているのは明らかだ。

「私のことを何だと思っているのかしら。化物? 怪物? 不審者? 変質者? 本当に好き勝手言ってくれちゃってもう……ふざけんなよ!」

 大声で男が叫んだ。腹の底で煮えくり返っていた怒りを口から一気に放出したような叫び声だ。一切の嘘偽りもない憤りが僕の耳に飛び込んでくる。

「私は私よ! 決めるな! 勝手に決めつけるな! さつき野めい子さん? 誰だよそれ! 知らねぇよ! お前らが決めるな! 私は私なんだよ! 人間よ! 私は人間の女よ!」

「女……?」

 つい疑問に感じたことをもらしてしまった。

 僕の目や耳、その他五感の全てを使ってもこの人が人間の男性だとわかる。

 どんなに上手く化粧しても、どんなに上手く振舞っても、性別を偽ることはできない。

「女よ。こんな見た目でこんな声でも私は女よ。男の顔で化粧をしていると笑ってもいいわ。男の体でスカートを履いていると笑ってもいいわ。だけどね、誰がなんと言おうと私は女よ!」

 僕は勘違いしていたのかもしれない。目に見えるもの、耳で聞こえるもの、それが全てだと思っていた。けれど人間はそんなに単純ではないのだ。

 0番街で化物に言われたことを思い出す。『半人前の騙り部』。

 まったくその通りだ。僕には嘘も真実も見えていなかった。

「先ほどは申し訳ありませんでした」

 きっちりと姿勢を正してから頭を深々と下げる。そしてはっきりと謝罪の言葉を述べる。

「それはなんで謝っているの?」

「あなたはずぶ濡れになった僕を心配して傘に入れてくれた。それなのに、ご厚意を無下むげにしたこと、それからあなたのことを男だと思っていたことです。申し訳ありませんでした」

 頭を下げたまま相手の反応を待つ。ロングスカートの彼、いや彼女は口を開いてくれた。

「へぇ。最近の若いのもちゃんとした謝り方を知っているのね……なんて、ジジ臭いかしら」

「そこはババ臭いでは?」

「あら、言うじゃないの。生意気なガキは嫌いだけど、そういうセリフは嫌いじゃないわよ」

 本音で話してくれているのはわかる。だが化粧の崩れた顔でウィンクされると驚く。というか正直怖い。背筋が凍りつくかと思うほど恐ろしい。

「まあ、でもね、本当は私もわかっているのよ」

 怒りの感情のみで話していた彼女の声に悲しみの感情が加わったことに気づく。

「たとえ心が女でも、男の体をした私がこんな格好で外を出て歩いていたらゾッとするわよね。化物、怪物、変質者、不審者呼ばわりされるのも無理ないわ。やっぱり私は化物なのよ」

 その言葉を否定することが僕にはできない。つい先ほどまで僕も人間の女だと認めず、人間の男だと決めつけていたのだから。そんな僕に彼女の言葉を否定する権利はない。

 それに、ここで僕が発言しても嘘っぽく聞こえるだけだろう。心のこもっていない上辺だけの言葉は嘘よりも人を傷つけることになる。僕は嘘が嫌いだし、騙り部は人を傷つける嘘を言わない。

 すぐ近くで踏切の閉まる音が聞こえてきた。その直後、電車が走っていく音がはっきりと聞こえる。それがさつき野駅に止まるとまた地面に振り続ける雨の音だけが耳に入ってくる。

「いいえ。あなたは人間です」

 西島が一歩前に進み出てはっきりと告げる。

「あなたの体は人間です。あなたの心は人間です。だからあなたは人間なのです」

 さつき野駅に止まっていた電車がまた走り出す音が聞こえる。

「ありがとう……。ありがとうね……」

 感謝の言葉を述べながらロングスカートの女性がその場にしゃがみこむ。それから右手を差し出してくる。その手は西島ではなく僕に向かって伸びている。

 なにかと思って手を出すと、小さくて硬いものが手の平に載せられた。顔に近づけて見ると鮮やか朱色のもみじのバッジ。秋功学園の校章バッジだ。

「それ、あなたのでしょう」

 女性はしゃがみこんだまま話しかけてくる。

「あ、はい。そうです。僕のです。ありがとうございます。でも、どうしてわかったんですか?」

 僕が尋ねると彼女は立ち上がって指だけを使って両目にたまった涙をぬぐった。

「昨日、その子といっしょに歩いているところを見てたからよ。大事なものなんだから、なくしたらダメでしょう。今でも校門前でやっているのかしら。朝と放課後の服装チェック」

「……朝はやっています。放課後はやっていません」

「あらそうなの。いっそのこと、朝のチェックも廃止すればいいのに。ねぇ?」

 その人は懐かしそうに話している。もしかして秋功学園の卒業生なのか。

「さてと、渡すものは渡せたから。そろそろ帰るわね」

 黒い傘と大きな体をくるりと一回転させて、その女性はゆったりとした歩調で歩き始める。

「あの、すみません。最後に一つだけいいですか」

 その背中を西島が呼び止める。

「あら。まだなにかご用かしらん?」

 女性がゆっくりとこちらに戻ってきてくれた。

「どうして黒い傘をさしているのですか?」

「は?」

「え?」

 その質問に僕も女性も間の抜けた声が出た。

「どうしてって……おかしいことを聞くわね、あなた」

「すみません……」

「別に謝らなくてもいいわ。こんな格好で歩いていたら嫌でも目立つでしょ。だから私は雨の日だけさつき野駅周辺を歩いているの。そして黒い傘で顔が見えないようにしているのよ」

 なるほど。そういう理由だったのか。

 先ほどは顔が見えず、ロングスカートしか見えなかったから女性だと僕は判断した。だがその口ぶりは、空模様と同じくらい明るくない。きっとそうするまでに悲しいことや辛いことがあったのは想像に難(かた)くない。

「失礼かもしれませんが……」

「なにかしら?」

「あなたにはもっと明るい色の傘が似合うと思います。そうすればもっと綺麗に見えます」

 西島は思ったことをそのまま正直に言葉にする。そこには一切の嘘がない。

「それから晴れの日にも出かけてみませんか? 日光にあたるのはとても気持ちいいですよ。秋葉駅に足をのばすのもいいと思います。あ、蒸気亭(じょうきてい)を知っていますか? そこは……」

「知っているわ。秋功学園の生徒なら知らない人はいないんじゃないかしら。あそこのほうじ茶と蒸気パンがとってもおいしいのよね。もうずっと食べていないわぁ」

 蒸気亭とは、秋葉駅の東口から歩いて数分のところにある喫茶店だ。ずっと昔から秋葉市民に愛される店で近隣の高校生もコンビニやファストフード店よりも利用することが多い人気店だ。もちもちとした食感と黒砂糖の素朴な甘みの蒸気パンというお菓子が名物だが、その製造方法は不明である。

「ぜひ行ってみてください。いえ、もしよろしければごいっしょしますよ」

 空模様とは正反対に明るい声で話している。表情は硬いのに、こんなに楽しそうな西島の姿は珍しい。なにが彼女をそうさせているのだろうか。

「あなたっておもしろい子ね」

「そうでしょうか」

「ええ。私が言えたことではないけど、あなたは変わっているわ」

「それは……ありがとうございます」

「ほらまた。普通の人ならそこでお礼なんて言わないわよ」

 女性は楽しそうに微笑んだ。その表情はとても明るい。

「でも、そうね。たまには晴れている日に歩いてみたり、遠くまで出かけたりするのも悪くないわね。それから傘は、もっと明るいものに変えるわ」

 またこちらにウィンクして見せた。彼女には申し訳ないが、その姿は僕の背筋を凍らせる。そして去り際に耳元でささやいた。

「あなたがもう少し早く生まれていたら良かったのに……」

 それを聞いた僕は慌てて西島の傘に避難させてもらう。

 その動きを見て、ロングスカートの女性は笑って歩いて行く。その足取りはとても軽やかだ。

「さつき野めい子さんは……いなかったのですね……」

 女性の姿が見えなくなってから西島は残念そうにため息をつく。

 0番街の怪人がいないとわかった時も残念そうにしていた。彼女はそれほど真剣に探し求めていたということだろう。

「体は男でも心は女……か」

 僕は西島の傘に入れてもらったままぽつりと言葉をもらす。

「たとえ体が男でも、戸籍が男でも、誰もが男だと言っても、私だけは女だと言いたいです。なぜならあの方は誰よりも女性らしく綺麗であろうと努力しているのですから。でもこれは……傲慢な考え方でしょうか」

 彼女がこちらに問いかけてくる。僕はその問いに対して正直に答える。

「いいんじゃないかな。とても人間らしい考え方だと思うよ」

 それを聞いた西島は、ほんの少しだけ間を空けてから諦めたような声で話す。





「いいえ。私は化物です」





 悲しいことに、その言葉に嘘はなかった。

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