第54話 ヴィランハイ

「ヘー、集中力アップのガムねぇ。胡散クセェ〜」

 頭上にガムの包装紙を掲げた東浦が目を細めるようにして呟いた。


「ええー? 胡散くさくないよ。オリビア先生に貰ったんだから」

「オリビア先生に?そりゃ逆に心配だな。あの人、若干マッドなところあるし。治験体にでもされてるんじゃないか?」

「言われてみれば、変な書類にたくさんサインさせられたかも」

「こっわ」

 顔を引き攣らせた東浦から板ガムを返してもらい、ジャージのポケットに仕舞う。


「というか、東浦くんいつまでついて来るの?ストーカー?」


 時刻は既に夕刻。

 冬場ということもあり、辺りはすっかり暗くなっている。

 体育館での自主訓練を終えたサツキは、何故か同じく訓練終わりの東浦と肩を並べて歩いていた。


「違うわ! 俺も家こっちなんだよ」

 鋭くつっこむ東浦を無視して、鞄からスマホを取り出す。


 すると、

「あれ? めちゃくちゃ不在着信きてる」

画面上におびただしい数の不在通知が表示されていた。


「あ、俺の方もだ」

 隣で東浦も自身のスマホを取り出す。

 どうやら、彼にも同様の通知が入っていたらしい。


(そういえば、訓練に夢中で全然スマホ確認してなかったなぁ)

 指先で素早くロックを解除したサツキが、その内容を確認しようとすると、


ピロリロリン。

ちょうどそのタイミングで着信が入った。



(ん? コメットさんから? そういえば、合宿の時に連絡先交換したかも)

 表示された珍しい名前に、迷わず通話ボタンを押す。

 その瞬間、


『三枝さん! 今すぐにその場を離れてください!』

 スピーカーから切羽詰まったような声が聞こえてきた。

 続けて、口早に捲し立てられる。


『時間がないので詳しい説明は省きますが、現在、マイクロゲート壊滅作戦の参加者が連続で反英雄アンチヒーローに襲われるという事件が発生しています』

「え?」


『三枝さんも狙われる可能性が高いので、安全確保のためヒーロー軍本部へ逃げ込んで下さい。今、どなたかと一緒ですか?』

「は、はい。同期生の東浦くんと……」


『そうですか。それでは、彼も連れて一緒にヒーロー軍本部へ来て下さい。できる限り迅速な移動をお願いします』

「わ、分かりました」

 コメットとの電話を切り、東浦の方を振り返る。


「今の私たちの電話のやりとり聞こえてたよね?」

 しかし、


「あ、ああ。聞こえてたよ。聞こえてたんだけどよ。少し遅かったみたいだ……」

東浦が愕然とした表情で背後の闇を睨みつけていた。


 その只ならぬ様子に、恐る恐る視線の先を確認する。

 すると、先程まで二人が歩いてきた細道のど真ん中に黒い人影が立っていた。


 漆黒のバトルスーツを纏った無手の男。

 だらりと両手を垂らし、こちらを睨んでいる。


 その全身から迸る凶々しいオーラで、ビリビリと空気が震えている気がした。


「……三枝」

「……分かってる」

 ゴクリと喉を鳴らす東浦と素早く視線を交わす。


 次の瞬間、


「「逃げろ!」」

二人同時に身を翻した。

 思い切り地面を蹴り出すと、人通りのない住宅街を一直線に駆け抜ける。


 肩越しに背後を振り返ると、両手に真紅のブレードを握った反英雄アンチヒーローが恐ろしい速度で追って来ていた。


 30メートル以上あった距離が既に半分以上縮まっている。


「やばっ、このままじゃ追いつかれるよ!」

「分かってる! 確かこの先に廃れた工場がある!」

「工場?」

「ああ! 異物混入で操業を停止した食品工場! そこなら隠れる場所がたくさんある筈だ!」

「一先ずそこへ逃げ込もう!」


 目の前に現れた金網のフェンスを跳躍一つで乗り越えると、工場の広い敷地内へ侵入する。

 駐車場を全力で横切るサツキ達の背後で、反英雄アンチヒーローが金網に真っ直ぐ突っ込んだ。


 そのまま、体当たりでフェンスを突き破ってくる。


(うわ、めちゃくちゃだ……)

 それを横目に工場の建物内へ駆け込むと、そこは天井が3メートル以上ある吹き抜け空間だった。


 照明の付いていない工場内では辺りが殆ど見えない。

 入口の扉から差し込む月明かりが唯一の頼りだ。


 暗闇の中を手探りで進んで行くと、鉄の塊のような無骨な巨大マシーンが幾つも並んでいるのが分かった。

 操業停止以来そのまま放置されているのか、どれも高く埃を被っている。


「ちょっと、これ私たちの方が不利じゃない?」

「何がだ?」

「だって、相手はバトルスーツを着てるんでしょ?暗視ゴーグルで丸見えじゃん」


 その内の一つの陰に隠れながら恐る恐る入口の様子を伺う。

 すると、扉の前に立った反英雄アンチヒーローが棒立ちでゆっくりと工場内を見回していた。


 その視界に入る前に慌てて頭を引っ込める。


「どうしよう?下手に動くと逆に見つかりそうだけど……」

「とりあえず、ヒーロー軍に位置情報を共有しておいた。あと十分もすれば援軍が到着するだろう」


「あと十分か……長いね……。いっそ、私たちもバトルスーツを起動して気付かれないように裏口から逃げちゃう?」

「バカか。俺もお前もヘルメット折り畳み式だろ。展開したら音ですぐバレるわ」

「た、たしかに」

 肩を寄せ合ったサツキと東浦がコソコソと会話をしていると、


コツコツ。

不意に入口の方から人が遠ざかっていくような足音が聞こえてきた。

 改めて入口の様子を伺うと、反英雄アンチヒーローの姿がなくなっている。


(諦めて帰った?そんなことある?)


「これ……罠だよね?」

 不安に思ったサツキが尋ねると、


「あったりまえだ。今ノコノコと出て行ったら八つ裂きにされるぞ」

東浦にピシャリと返された。


「だよねー」

 そのまま、二人で押し黙る。

 それから程なくして、


コツコツ。

今度は向こうからこちら側に近づいてくるような足音が聞こえてきた。

 明らかに先程と同じ反英雄アンチヒーローの足音。


 扉の向こう側でピタリと止まる。


(私達が誘き出されないと分かって帰ってきた?やっぱり、さっきの足音は罠だったんだ……)

 自身の判断が正しかった事を確信したサツキがホッと息を吐いたその瞬間、


『聞けぇぇぇぇ! 小生意気なヒーローの卵どもぉぉぉ!』

工場内に反英雄アンチヒーローの野太い声がビリビリと響いた。


『10秒以内に建物から出てこい! さもなければ、この民間人を殺す! 当然、バトルスーツの着用は無しだ!』


 続けて、

『ひぃぃぃ! どうか! どうか命だけはお助け下さい! 私にはまだ幼い娘がいるんです!!!』

民間人の男性と思しきか細い声も聞こえて来る。


あまりにもコテコテな命乞いの台詞。


(これも罠か……?)

 顔を見合わせるサツキ達の耳に肉を打つような音が響く。



『10……』

パァン。


『9……』

パァン。


『8……』

パァン。


『7……』

パァン。


 カウントダウンの度に聞こえる痛々しい音に胸が騒つくのを感じた。

 それと同時に強い怒りを覚える。


 先程から扉の向こうで行われているには多くの違和感があった。


 一つ、こちらに近づいてくる足音が一つしかなかった。

 二つ、強く殴っている割には先程から男の呻き声一つしない。

 そして三つ、民間人の男の話し声が反英雄アンチヒーローと同様にくぐもっている。

 まるで、ヘルメットを被っているみたいに。


 あまりにも杜撰。こんなものでこちらを騙せると本気で思っているのだ。反英雄アンチヒーローは。

 しかし、


(それでも……放って置けない。万に一つでも民間人の男性が本当に殴られてる可能性があるのなら)

静かに覚悟を決め、物陰から立ち上がる。


 すると、全く同じタイミングで東浦も起立した。

 無言のまま視線を交わし、頷き合う。


 わざわざ言葉にする必要はない。

 互いの気持ちは手に取るように分かった。


(ある意味、これが最も効果的なヒーローの誘き出し方かもね……)

 苦笑いを浮かべ、二人で真っ直ぐ入口へ向かう。

 足並みを揃えたサツキ達が扉の前に立つと、人を殴る音がピタリと止んだ。


 それと同時に、青白い月明かりの中で両手を広げる反英雄アンチヒーローの姿が目に飛び込んでくる。

 当然のように一人で、まるで、悪戯が成功した子供のように無邪気に笑っていた。


その得意気な様子を見て、強く、強く思う。


「こいつはここで止めなきゃ……」

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