第41話 怪人監獄

 肌が焼けるようなカンカン照り。

 その中を小型のマイクロバスがゆっくりと進んでいく。


 海沿いの道は何処までも真っ直ぐで、進行方向には厚い蜃気楼が立っていた。


「うーん……」

 冷房がガンガンに効いた車内で大きく伸びをする。

 浅い眠りから覚めたサツキが窓の外を眺めると、道路脇の看板が目に止まった。


 20km先『怪人監獄』。

 今日は春休みの二週間前、コマンダー養成プログラムの初日だ。


 手元の予定表によると最初の一週間は対怪人の実戦訓練をするらしい。

 現在向かっている『怪人監獄』は、その名の通り、E級からS級まで多くの怪人を収容した、日本で唯一の怪人専用監獄だ。

 収容の主な目的は怪人の生態解明や怪人社会についての情報収集で、研究者たちが日夜研究を行なっている。


(これから一週間、実際に怪人達と戦うのかぁ。なんか緊張するなぁ)

 ふわりと欠伸をしたサツキが再び寝ようか迷っていると、不意に真横から声を掛けられた。


「ねぇ、三枝さん。あなた、怪人との戦闘経験があるのよね?」

 凛とした静かな声。


 ハッとしたサツキがそちらを振り向くと、隣の席の黒髪女性、西園寺アオイがじっとこちらを見ていた。


「うん。二回だけだけどね。どうして?」

 サツキからの質問にアオイが肩をすくめて答える。


「私は一度もないから、実際に怪人と戦う前に心構えを聞いておこうと思って。いきなり本番じゃ緊張するでしょ?」

 アオイの言葉に意外な気持ちになる。


(へー。西園寺さんでも緊張することあるんだー。何が起こっても動じなそうなのに……)

 顔を強張らせるアオイを見て逆に緊張が解れるのを感じた。


「うーん、そうだなぁ。スーツを壊さないとか?」



☆☆☆☆☆



(ここがこれから一週間泊まる寮? なんか高級ホテルみたい)


 その日の夕方、怪人監獄に到着したサツキ達は、すぐに敷地内の宿舎に案内された。

 監獄と聞き、寂れた建物をイメージしていたが、予想に反してピカピカだ。


 自室に荷物を置くや否や、ロビーに集められる。


 生徒全員を見回して黒服の強面男が呟いた。


「私が看守長の五条クモマルだ。今日から丸一週間、貴様らを直々に指導することになったからよろしく頼む」

 洋画の吹き替えのような渋い声音で五条看守長が挨拶をする。

 直後に腕時計を見て目を細めた。


「ふむ。どうやら夕食まではまだ時間があるようだ。ちょうどいい。現時点での貴様らの実力も把握しておきたいし、簡単な組み手でもして貰おうか」

 看守長の後に続き、地下へと向かう。


 百人以上を悠々と載せられるであろう巨大エレベーターを降りると、目の前に空手道場を思わせる明るい空間が広がっていた。


 看守長の指示で軽くストレッチをし、二人組で組手をすることになる。


「西園寺さん、一緒にやろー」

 ヘッドギアを装着したサツキが笑顔で声を掛けると、髪を結い上げたアオイが物凄く渋い顔で振り向いた。


「……そうね。他に相手をしてくれそうな人もいないし、一緒にやりましょう」

 そして、深々と溜息を吐く。


(うわ、なんかめっちゃ嫌そう……)

 場内を見回すと、他の参加者は既にペアを作り終えていた。


「よし、皆準備ができたようだな。それでは組み手を開始しろ」

 看守長の合図で生徒達が一斉に動き出す。


(うーん。今日の私、結構調子いいかもしれない)

 ピョンピョンとその場で跳ねたサツキが自身のコンディションを確認していると、


「行くわよ?」

肩を回したアオイが静かに呟いた。


 直後に鋭いフットワークで殴りかかってくる。

 基礎戦鬪訓練で習った通りの美しいフォームだ。

 相当の磨き込んでいる事が一目で分かる。


 右、右、左。右と見せかけてもう一度左。


 しかし、それ故に動きが単調で予み易い。

 連続して放たれる拳をスルリスルリと躱したサツキは、直後に繰り出された足払いを大きく飛び跳ねる事で回避し、フワリとアオイの頭頂部に着地した。


 不安定なヘッドギアの上に危なげなく片足で立つ。


「うふふ、今のはちょっと危なかったかなぁ」

 破顔したサツキが機嫌よく言うと、


「……ほんと性格悪い」

逆に酷く不機嫌そうな顔をしたアオイが頭上にアッパーを放ってきた。


 その拳を足場にして軽やかに地面に降りる。

 続けて、正拳突きを放とうしたアオイとの距離を一気に詰め、オデコに軽く人差し指で触れた。


「うっ」

 突然ゼロ距離に現れたサツキにアオイが目を見張る。

 体重を乗せて踏み込もうとした右足が行き場をなくし、空中を彷徨った。


 次の瞬間、バランスを崩して倒れそうになるアオイの片腕をサツキが左手で掴み取る。

 それと同時に右の拳をユラリと放った。


 その余りの鋭さにアオイの前髪が風で揺れる。


 ズバンッ。

 恐ろしい風切り音と共にサツキの拳が眼前で止まった。

 鼻先ギリギリの寸止めだ。


「一本目、私の勝ちでいいでしょ?」

 ニコっと笑ったサツキが小さく首を傾げると、呆然としたアオイがヘナヘナと尻餅をついた。

 しばらくすると、露骨に鼻にシワを寄せて立ち上がる。


「もう……だからあなたの相手をするのは嫌だったのよ。生身のスパーリングだけ意味分かんないくらい強いし。相手すると絶対恥かくし。実はスーツ着ない方が強いんじゃないの?」

 パンパンとズボンの埃を払うと、拗ねたような声音で言った。


「そんなに褒めても何も出ないよ?」

「褒めてない」

 完全にヘソを曲げたアオイを何とか振り向かせようとサツキが四苦八苦していると、道場内を巡回しながら試合を観ていた看守長が感心したように頷いた。


「三枝サツキ。前情報で身体能力が高いとは聞いていたが、これ程とは……」


 そして、思いついたように声を掛ける。


「東浦、猪頭、鴨川、ちょっとこっちに来い」

 召集されたのはチャラついた男子三人組。


「なんすか?」

「ちょうど身体が温まって来たところだってのに」

 せっかくの練習に水を差され、不満気な三人に看守長が指示した。


「お前ら、3対1で三枝と戦ってみろ」


「は? 3対1で三枝と?」 

「なんで俺らが……」

 直後に三人がぶつぶつと文句を言う。


 しかし、

「何だ貴様ら? 俺に文句があるのか?」

看守長に睨まれ、渋々といった様子で三人が目の前に立った。


(雰囲気悪いなぁ……)

 半笑いで唇を噛んだサツキが一つ頷くと、看守長が組手開始の合図を出す。


「始め!」

 ユラリと腰を落としたサツキは、地を這うような低姿勢で一気に三人に突っ込んだ。


☆☆☆☆☆


 キュッ。

 軽快に蛇口を捻り、冷たい水を出す。

 組手を終えたサツキが地下道場の脇にある水道場で顔を洗っていると、不意に背後から話し声が聞こえてきた。


「やっぱり女相手だとやりにくいよな」

「ほんと、下手に触れないしな」

「スーツ着てない時に強くても意味ねーよな」

 明らかにサツキに聞こえるボリュームでわざと話している。

 身を小さくしたサツキが恐る恐る背後の様子を伺うと、こちらに背を向けた東浦キョウスケ達の三人がエレベーターに乗り込むところだった。


(なんか嫌われちゃったなぁ……)

 扉が閉まるのを横目に深々と溜息を吐く。


「大体、看守長が悪いんだよね。そりゃ一対三で勝っちゃったら私が悪者になるよ……」

 唇を尖らせたサツキが力任せに水道の蛇口を閉めたその時、


「あいつらの事は気にしなくていいぞ。誰に対してもあんなだからな」

不意に真横から声がした。


「わっ!?」

 驚いて顔を上げると、いつの間にか至近距離に彫刻のように凛々しい男が立っている。


(お、王岸くん!? いつの間に?)


「……もしかして、今の独り言聞いてた?」

 相手の反応を気にしたサツキが恐る恐る尋ねると、


「まあ、少しだけな」

無表情の王岸が興味なさ気に呟いた。


(うわ、恥ずかし……)

 顔を真っ赤にするサツキを無視して王岸が水道の端に腰掛ける。

 そして、顔を背けたまま訊いてきた。


「三枝。お前、格闘技をどこで習った?」

「……え? 格闘技?」

 質問の意図が分からずサツキが首を傾げると、


「西園寺と戦った時の曲芸みたいな動き。明らかに基礎訓練で習ったものとは別だろう。誰に教わったんだ?」

王岸が改めて尋ねてくる。


「ああ、あれ? あれは本で読んだんだよ。中国の雑技拳法。かっこいいでしょ?」

 パッと顔を輝かせたサツキが身を乗り出して答えると、


「いや、かっこいいどころかサーカスの猿みたいで間抜けだったぞ。ただ、動き自体は攻守共に隙がなく完璧だった。あの動きをされたらどんな猛者でも攻めあぐねるだろう」

一切声音を変えず、王岸が機械のように述べた。


(あれ? 今、貶された? 褒められた?)

 脳の処理が追いつかずキョトンとするサツキに、王岸が背を向ける。


 そして、

「まあ、何にせよ強者は疎まれるものだ。陰口の一つや二つ気にする事はない」

それだけ言い残してさっさと去っていった。


(いや、あの人何しに来たの……?)

 その後ろ姿をジト目で見送る。

 しかし、次の瞬間、ふと自分の心が軽くなっている事に気付いた。

 直後に王岸の真意を悟る。


(あっ、励ましに来てくれたのか)


「ふふ。王岸君って、顔は怖いし、口も悪いけど、意外と優しいのかも」

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