第14話 理想のヒーロー像

 東京湾沿いを一人、大股で歩く。

 港に近づくほど街灯が疎らになり、気付けば周囲は深い闇に包まれていた。

 遂に目的の廃倉庫を視界に収め、バトルスーツの上に着ていた上着を脱ぎ捨てる。


 プシューッ。

 鋭く目を細めたサツキが首元のボタンを押すと、襟元から複数のガラス板が飛び出してフルフェイスのヘルメットを形成した。

『プラズマフィールド展開』

 眼前で青白い光の文字が踊ると同時に目に見えない耐衝撃性のシールドがピタリと全身を覆う。


 ドクンドクン。先程から心臓の音がうるさい。

 適合率は12%だ。


(大丈夫。訓練通り適合できてる……)


 何度も深呼吸を繰り返したサツキは、覚悟を決めてゆっくりと足を前に出した。

 そのまま、足音を殺して倉庫の入口に近づく。


 慎重に中を覗き込むと、中は外よりも闇が深く、ただただ真っ暗な空間が広がっていた。


「……暗視スコープオン」

 小さく呟くとバトルスーツのアシスト機能が作動し、一気に視界が明るくなる。

 それと同時に倉庫内の様子が目に飛び込んできた。


 数日前にヒーロー軍と複数の怪人たちが死闘を繰り広げた現場だ。

 しかし、今現在、倉庫内は綺麗に片付けられており血のシミ一つ残っていない。


 高い天井に奥行きのある空間。

 何もない伽藍堂とした空間の真ん中にポツリと手術台が置かれている。

 その上にベルトで縛り付けられた少女の姿を見てハッと息を吸い込んだ。


(ユナ!?)

 素早く辺りを見回すが、怪人の影はない。


「……出掛けてる? 罠かな?」

 何もない倉庫の中心に拐われた筈の少女が一人。

 明らかに異常な状況に一瞬助けに行くか迷うが、やはり心配が勝つ。


 周囲を警戒したサツキが足早に手術台に近づくと、制服姿のユナが無傷のまま意識を失っていた。

 大きな怪我をしていない事に一先ず安堵する。


「ユナ起きて!」

 肩をゆすり、ベルトを取り外しにかかるが、固くてなかなか外れない。

 手元の金属がガチャガチャと音を立てるたびに焦りが募った。

 数分後、苦戦しつつも何とかベルトを外したサツキがユナを抱き起すと、その拍子に彼女がうっすら目を開く。

 そして、震える唇で呟いた。


「サツキ……え……」

 しかし、上手く聞き取れない。


「何?」

 サツキが口元に耳を当てると、ユナが先程よりもはっきりした口調で言った。


「サツキ……うえ……」


(……上?)


 その言葉に釣られてゆっくりを上を向く。

 すると、天井に蜘蛛のように張り付いた怪人の翡翠色の瞳と目が合った。


「あっ」

 サツキが呆けた声を発した瞬間、上から獰猛な怪人が飛びかかってくる。

 霞むほどの速さで、その輪郭をはっきり捉えることすらできない。


 咄嗟にユナを突き飛ばすと、直後に両腕を掴まれて地面に引き倒された。


 脳が揺さぶられ、視界が回る。


「ぐぅぅ!!!」

 歯を食いしばったサツキが目を開けると、大柄な怪人が馬乗りになっていた。


 危険度S級怪人、クマムート。

 丸口をパクパクと動かし、涎を垂らしながら顔を近づけてくる。


「前回せっかく見逃してやったのにわざわざ殺されに来るとは間抜けな奴め」

 目の奥が血走っていて明らかに普通じゃない。


 ミシミシと音を立ててプラズマフィールドが火花を散らした。


(ダメ。持ちこたえられない……)

 急速に頭の芯が冷え切っていく。

 突如間近に感じる死。


(こ、殺される!?)

 そう思った瞬間にスーツとの接続が不安定になった。

 全身から力が抜け、あっという間に適合率が5%まで落ちる。


 舌舐めずりをしたクマムートが大きく右腕を振り上げ、サツキがギュッと目を閉じた瞬間、


ゴン。

鈍い音が倉庫内に響いた。

 気づくと、ユナがクマムートの真後ろに立っている。

 どうやら怪人の後頭部を思い切り引っ叩いたようだ。


「あ゙?」

 上半身だけで振り返った怪人がユナを煩わしげに吹き飛ばす。

 左手一本での腰の入っていない平手打ち。

 しかし、その威力は凄まじく、斜め下から殴られたユナの体が軽々と宙に舞った。

 そのまま、背中から地面に落ちてピクリとも動かなくなる。


「ユナァァァ!!!」

 絶叫するサツキを横目に、


「あらら、死んじゃったかな?」

クマムートが嗜虐的な笑みを浮かべた。


 その言葉を聞いた瞬間、耳の裏の血管がドクリドクリと強く脈打つ。

 直後に急激に狭まる視界。


「あ゙あ゙あ゙!!!」

 全身を荒々しい怒りに支配されたサツキは、激情に任せて馬乗りになっていた怪人を跳ね除けた。

 掴まれていた両腕を振り解き、右足で下から押し除ける。


「うお!?」

 予想外の力に驚いたクマムートがバランスを崩して地面に転がる。


 全身のバネを使って跳ね起きたサツキは、ノロノロと地面から起き上がろうとしていた怪人の顔面を思い切り蹴りつけた。


 再び地面に転がるクマムート。

 その腹に向かって追い討ちの拳を放つが、今度は怪人が転がるようにして回避する。


 ズゴン。

 勢い余った拳が真横のコンクリートにめり込んだ。

 引き抜いて怪人の方に向き直ると、相手も態勢を立て直している。

 既に怪人に対する恐怖はない。


 鋭く目を細めたサツキは、一切の躊躇なく正面から殴りかかった。


「はっ!」

 敵が大振りする左手をくぐり抜け、左頬を張る。


 バチンッ。

 蹌踉めく怪人の左頬にもう一発。


「貴様ぁ!」

 鼻先に皺を寄せた怪人が今度は右腕を振るってきた。

 しかし、軽々と避け、ガラ空きの鳩尾に膝を叩き込む。


「カァ……」

 すると、クマムートが苦しげに膝をついた。


 その眼前にトドメを刺そうと右手を握りしめて近づく。

 すると、途中で腕が上がらないことに気づいた。

 いつの間にかバトルスーツの右腕からバチバチと火花が上がっている。


 一度大きくを息を吐き出したサツキは、

「死ネェェェ!!!」

渾身の力を込めて左腕を振り抜いた。


 しかし、


ズドン。

地面に膝をついたままの怪人が右手でがっしりと受け止める。


(この……!)

 再び腕を引こうとするが、握力が凄くてビクともしない。

 先程はあっさり振り払えたのに。



「嘘!? なんで……」

 顔を引きつらせるサツキを見て、


「いやぁ、お嬢ちゃんが予想以上にやるから少し遊んじゃったよ」

ゆっくりと立ち上がったクマムートがニヤリの笑った。

 直後に怪人の全身から蒸気が上がる。

 みるみる内に干からびていく怪人。

 それと同時に目の奥が真っ赤に輝いた。


「でも、そろそろヒーロー軍の奴らが到着する。ここらで遊びは終わりにしよう」

 怪人が手元に力を込めると共にプラズマフィールドがミシミシと音を立てる。

 次の瞬間、その障壁が突き破られ、左腕が有り得ない方向に曲がった。


「あ゙あ゙あ゙あ゙!!!」

 悶絶したサツキが思い切り怪人の横面を蹴り抜くがビクともしない。


 一発、二発、三発。

 その後も連続して急所を蹴り抜いていく。

 頭、首元、心臓。

 しかし、仁王立ちする怪人は一切傷つかない。

 それどころか、スーツの右足がひしゃげて動かなくなった。


「なんで、なんで動かないの!?」

 必死で右足を動かそうとするサツキを怪人が冷めた目で見つめる。


「そろそろ気が済んだか?」

「ふぅ……ふぅ……」

 肩で息をするサツキの前で怪人が大きく左腕を振り上げた。


「第二変化“死神モード”。このモードになった俺を止めることは誰にもできねぇ。ヒーロー100人が束になっても不可能だ」

 そのまま、真上から一気に振り降ろす。


 ズガン。

 重い音と共にヘルメットがひしゃげた。

 続けざまに何度も何度も同じ場所を殴られる。

 必死に逃れようとするが、左腕を掴まれていて身動きが取れない。

 終いには眼前の電子パネルがブラックアウトし、不調を感知したヘルメットが襟元に引っ込んだ。



「ぐっ……! 許さない……殺してやる……」

 虚ろな目で呟くサツキを怪人が雑に地面に叩きつける。

 そのまま、右の脇腹に思い切り蹴りを叩き込んだ。


「がはっ」

 内臓が破裂し、口元からゴプリと血が溢れる。

 必死に体を動かそうとするが、全く力が入らない。


(なんで、なんで動かないのよぉ……)

 視界の端に地面に伏せったユナの姿が見えた。

 床でもがくサツキの元に怪人がゆっくりと歩み寄ってくる。


「人質にしようと思ったが、俺のこのモードを見たからには生かしておけねぇ……死ね!」

 そう言った怪人が右手を大きく振り上げた。

 その途轍もない殺意に死を覚悟し、目を閉じる。


 しかし、いくら待っても衝撃は来なかった。

 恐る恐る瞼を開くと、全く別方向を見た怪人の姿が目に入る。


(何?)

 その視線を追って首を動かすと、倉庫の入口にバトルスーツを着た人影が立っていた。


「なんだお前? ヒーロー軍の尖兵か? 俺様相手に一人で乗り込んでくるなんてヒーロー軍は馬鹿な奴ばかりだな」

 サツキをチラリと一瞥したクマムートが口元に馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

 直後に漆黒のヒーローが倉庫内に向かって歩き出した。


 それを迎え撃つように怪人が体勢を低くする。

 互いの間の距離が三メートルほどまで狭まったタイミングで、弾かれたように怪人が走り出した。


 そのまま一気に相手との距離をゼロにすると、右のストレートを放つ。

 しかし、漆黒のヒーローが僅かな足運びだけでそれを回避した。

続け様に怪人が拳を繰り出すが、滑らかな足捌きで躱し、一発も当たらない。


 次の瞬間、怪人の大振りの一撃をいなしたヒーローが下から突き上げるようなボディブローを放った。


 ズドン。

 そのあまりの衝撃に怪人が僅かに目を見開く。

 しかし、数瞬後には何事もなかったかのように拳を突き出した。


 それを再びあっさり躱した漆黒のヒーローが怪人の顔面に右のエルボーを入れる。


 サツキの目から見ても分かる超高度な格闘技術。

 怪人の一撃をすんでのところで躱し、的確に急所を突いていく。

 まるで、暴れまわる猛牛の鼻先を黒い蝶が舞っているようだ。


「効かねぇ! 効かねぇよ! そんな軽い攻撃!」

 一方的に殴られる状況に遂に怪人が痺れを切らしたように叫ぶ。

 直後に渾身の力を込めて右足を横一線に振り抜いた。

 漆黒のヒーローが空中に飛び上がることでその一撃を回避する。

 そのままの体勢から高速で体を三回捻ると、お返しとばかりに怪人の顔面に右足を振り抜いた。


 接触の瞬間、右足の踵から凄まじい勢いで白炎が噴き出し、一気に足の動きが加速される。

 これまでとは比べ物にならない程の威力の一撃に怪人が思わず蹌踉めいた。


 その眼前で動きを止めたヒーローが今度は体を空中で逆向きに高速回転させる。

 右肘、左肘、両踵に仕込んだ小型ブースターを同時に起動させると、先程よりも更に強い威力で怪人の左頬を蹴り抜いた。


「ぐをぉぉぉ!!!」

 これには堪らず、怪人も悲鳴をあげる。

 その巨体を空中に浮かせると、派手に後方に吹き飛んだ。


 そのまま床に仰向けで倒れ込む。

 ダメージが大きいのか、すぐに起き上がることはできない。


(何この戦い方? こんな戦い方見たことない……!?)

 言葉を失うサツキの前で漆黒のヒーローが怪人に歩み寄った。

 そのままゆっくりとした動作で腰からブレードを引き抜く。


 花柄の紋様が刻まれた鉄色の剣柄。

 その先端からビーム性の光刃が飛び出した。


「テ、テメェ何者だ!?」

 その質問を無視して漆黒のヒーローがブレードを振り上げる。


「この俺が! この俺がこんな奴に殺られるなんて有りえ……ない……」

 鬼のような形相で喚く怪人の首元に青白い閃光が落ちた。

 ブワン。

 空気が焼ける音と共に頭が斬り離される。

 命令組織を失った怪人の体がピクリとも動かなくなった。


 その最後を見届け、ゆっくりと目を閉じる。

 直後にバタバタと倉庫内に入ってくる足音が聞こえてきた。


 意識を失う直前、最後の力を振り絞って僅かに目を開ける。

 すると、怪人の真横に立っていた筈の漆黒のヒーローの姿が既に跡形もなく無くなっていた。



☆☆☆☆☆



「流石にこの花は派手過ぎたか?」

 その日、花かごを持った俺はサツキのお見舞に近所の病院を訪れていた。


 先日のクマムートとの一戦で両腕、右足、肺を負傷したサツキは、全治三ヶ月の診断を受けて入院していた。

 自己治癒力に優れたハイスペックでこの診断はかなりの大怪我だ。


 黒尽くめのバトルスーツを着た俺が倉庫に駆けつけた時、サツキは既に虫の息だった。


(あいつは昔から無茶ばっかりするからなぁ。ホント手の掛かるじゃじゃ馬娘だよ)

 やれやれと肩を竦めた俺が、


「サツキ、入るぞー」

サツキが入院している部屋にガタガタと音を立てて入ると、


「しぃー。サツキなら今寝てますよ」

相部屋の女の子が口元に手を当てて戯けたように微笑んだ。


 彼女は五木ユナ。サツキの親友で小学校からの幼馴染らしい。

 毎日のように妹のお見舞いに通う俺とはすっかり顔馴染みとなっている。


「いつも煩くして悪いね」

 爽やかにお礼を言った俺は、決め顔を作り、部屋の奥へと向かった。

 ベッドを覗き込むと、サツキが呑気な顔でスヤスヤ寝息を立てている。


(これどうしようかな?)

 着替えが入った紙袋を足元に置いた俺が、花かごの置き場に迷っていると、ベッド脇の机に一枚の作文が置いてあるのが目に入った。


(あっ、ずっと出来ないって言っていた宿題だ。しっかり書いてあるじゃないか)

 その作文の書き出しを読んで眉を潜める。


私はコマのように回転しながら戦うヒーローになりたい――。


「なんじゃこれ……」

 理解し難い内容にドン引きした俺が思わず声を漏らしたその時、


ハラリ。

その下に重ねられていた一枚の用紙が床に落ちた。


『怪人遭遇報告書 対象: 反英雄アンチヒーロー


(ん?これは?)

 素早く拾い上げて目を通すと、反英雄アンチヒーローに関する容姿や能力の説明がサツキの筆跡で事細かに記されている。

 その最後の怪人の印象という欄を見て驚愕した。


ー 実際に会ってみると全くオーラが無かった ー


「……消しとこ」

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