第12話 スペシャル

「なんで私が残業しなきゃいけないのよぉ……」

 日付けが変わる直前、国家ヒーロー軍が運営する怪人専用の死体解剖室に怪人クマムートの死体が運び込まれた。

 それを見て三十過ぎの金髪女性が嘆き声を上げる。

 彼女は今日の当直医、花川ユカリだ。


 今正に全ての仕事を終えて帰宅しようというところに新しい死体が運び込まれた。

 仕方なく手術衣に着替え、解剖の準備をする。

 完全に身支度を整えたユカリが解剖室に踏み込むと、その中央の解剖台に岩のようにずんぐりとした怪人の死体が横たえられていた。


「これがクマムート……テレビで見たまんまね」

 ぱっと見、確かに致命傷と思しき傷はない。あるのはどれも擦り傷レベルのものばかりだ。


 とりあえず、最初は死亡確認から入る。


(心肺機能、脳機能の停止を確認っと……)

 聴診器とペンライトを脇に置いたユカリは規則に則ってカルテに記入した。


 彼女は決して仕事に誇りを持っているタイプではない。

 解剖医になったのは父が解剖医だったから。ヒーローの解剖室で働いているのは元同僚に誘われたから。

 お金への執着はなく、どちらかと言えば自由な時間が欲しい。


「本当なら今頃家で缶ビール片手にテレビを観てる筈だったのになぁ。何でこうなるかなぁ」

 ブツブツと文句を言いつつも両手にゴム手袋をはめる。

 深々と溜息を吐いたユカリが背後を振り返り、メスを取ろうとしたその時、不意に上から影が落ちた。


「え?」

 ドクリと跳ね上がる心臓。

 驚いて背後を振り返るが、そこには誰もいない。


(き、気のせい……?)

 眩しいほどに明るい室内に何も乗っていない解剖台。


「それはそうよね。この部屋には私以外誰もいないんだから……」

 自らを安心させるように呟いたユカリだったが、すぐに一つの違和感に気づく。


(あれ? 何も乗っていない解剖台? ……なんで……)

 直後に真後ろから視界を遮られる。

 いつの間にか鬼のような手に頭を鷲掴みにされていた。


 物凄い力で宙吊りにされる体。

 僅かに動かせる首と目を使って何とか背後を振り返ると、白目を剥いたままの巨大怪人の姿が目に入った。


「嘘……確実に死んでたのに……なんで……」


 なんでなんでなんでなんで……。

 それ以外の言葉が出てこない。


 パッと目の前で真っ赤に染まる解剖室。


「ああ……」

 最後に小さな呻き声を漏らした花川ユカリは、頭を握り潰されて絶命した。



☆☆☆☆☆



「もうすっかり夜だね」

「うん。久しぶりの訓練で少し張り切り過ぎちゃったかなぁ」

 隣を歩くユナの言葉に頷き、満点の星空を見上げる。

 その日、放課後の自主訓練を終えたサツキは、親友のユナと共に帰路についていた。

 今日はいつもより帰りが遅くなってしまった為、担任の雨木ダイゴ先生が家まで送ってくれている。


 ヒーロー志望とは言え、二人はまだ女子高生だ。

 こんな時間に二人だけで返すわけにはいかないという事だろう。


 昨日、隣国から流れ込んだ極悪怪人“クマムート”が遂に退治されたという事で世間は今安心ムードに包まれている。


 3日ほど前から休校となっていた国家ヒーロー軍高等工科学校の授業も再開され、サツキ達は久しぶりにバトルスーツの訓練を行うことができた。


「でも、雨木先生が妻子持ちだなんて意外だね」

「うん、やっぱりサツキもそう思う? ぱっと見全然モテなそうなのにね」


「ちょっ、サツキちゃんもユナちゃんも酷いなぁ。これでも学生時代は結構モテたんだよ?」

 困り顔の雨木先生を見てクスクスと笑うサツキ達が人通りの少ない細路地に差し掛かったその時、


「……二人とも止まって」

それまで緩い雰囲気で話していた雨木先生が突然鋭い声を出した。


「先生、どうしたの?」

 その声音に尋常ならざる緊張を感じ取り、道の先に目を凝らす。

 すると、薄暗い闇の中に複数の死体が転がっているのが見えた。


(なにこれ……?)

 腰元から真っ二つにされた主婦やサラリーマン。

 血で真っ赤に染まった路地を見て思わず吐き気を催す。

 その中央にこちらに背を向けた状態で一体の大柄な怪人が立っていた。


「嘘? なんでこいつが……ニュースで死んだって言ってたのに……」

 ゆっくりこちらを振り向いた怪人の姿にユナが怯えたように一歩下がる。


 ヒルを思わせる牙の生えた丸口に陥没した両目。

 岩のようにゴワついた2メートル超えの体躯は連日テレビのニュースで目にしていた怪人の姿そのものだ。


「クマムートぉぉぉ……」

 押し殺すような声で呟いた雨木先生がバトルスーツの上に着ていたコートを脱ぎ捨てる。

 直後に胸元のポケットから一枚のカードを取り出と、その中央に付いた赤いボタンを押した。

 次の瞬間、膨らむようにしてカードがフルフェイスのヘルメットに姿を変える。


「サツキちゃん、ユナちゃん、今すぐこの場を離れるんだ。僕がこいつをここに足止めするから二人は急いで応援を呼んできてくれ」

 そう言った雨木先生がヘルメットを装着した瞬間、


「ウゴォォォ!!! 死ネェェェェ!!! ヒーローぉぉぉ!!!」

 体を振り子のように左右に振ったクマムートが地を這うような低姿勢でこちらに突っ込んできた。


 その口元からはおびただしい量のヨダレが溢れ、一目で正気でないことが分かる。


「くそっ!」

 見るからに焦った様子の雨木先生が悪態をつき、二人の前に踊り出た。

 そのまま両腕を構えて臨戦態勢を取るが、


「ガードが甘ぇェェェ!!!」

地を抉るような角度で突き出されたクマムートの拳を止めきれず、モロに腹に喰らってしまう。


「ゴホッ」

 血を吐きながら一瞬宙に浮かび上がった雨木先生。

 くの字に折れ曲がったその体を、クマムートが丸太のように太い脚で横から蹴り飛ばす。


 ドゴン。

 人の骨が折れる鈍い音がすると同時に雨木先生が近くの煉瓦塀に突っ込んだ。

 そのまま、ガラガラと派手な音を立てて崩れるレンガブロックの下敷きになり、ピクリとも動かなくなる。


「雨木先生ー!!!」

 顔を真っ青にするサツキの横で、ユナが悲痛の叫びを上げた。

 その声に反応してクマムートがギロリとこちらを睨む。


(来る!!!)

 サツキがそう思った瞬間、既に目の前に薄茶色の怪人が立っていた。


「え?」

 驚くサツキに向かってクマムートが一歩踏み出す。

 それだけで眼前の世界がひっくり返ったような気がした。

 そのあまりの迫力に思わず腰を抜かして地面に座り込む。


 そんなサツキの様子をしばらく眺めていたクマムートだったが、やがて興味をなくしたように目を逸らした。

 代わりに隣でヘルメットを被ろうとしているユナを肩に担ぎ上げ、走り去っていく。


「サツキ、助けてー!!!」

 怪人の肩越しにユナが大声で助けを求めるが、震えたサツキはその背中を荒い息で見送ることしかできなかった。

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