Set list 3-1
僕は今、とても困っている。ストーカー被害に悩まされているからだ。いや、本当はストーカーなんて思っちゃいないけれど。でも、今日も今日とて、平然と彼は訪ねてくる。
「鈴谷くーん! あっそびっましょ」
カズさんが毎日、まるで小学生のように門の前で遊ぼうと声をかけてくるのだ。酷い時は、陽くんまで付いてくる始末。さすがに順さんは来たことないけれど。
カズさんの声は無駄に通るので、二階の自室にいても聞こえてくる。だから僕は、布団をかぶっていなくなるのを待った。
「あんなこと言わなきゃ良かった」
僕は布団の中で呟く。
そもそも、どうしてこんなことになったかというと、すべてはあのライブが原因だ。なぜかクライズシンドロームに入って欲しいと誘われた。けれど、あのライブだけで精一杯だったし、ファンの人達も、こんなコミュ障の根暗な奴がメンバーになったら嫌だろう。
だから、僕は断った。
けれど、諦めずに順さんや陽くんまで連絡してくるようになったのだ。あまりにしつこいので「ライブに行ったら、もう電話しないって言いましたよね」と言ってしまった。これが非常にまずかった。カズさんいわく「電話出来ないから、会いに来ている」という屁理屈で、お宅訪問攻撃が始まってしまったのだから。
ちなみに、ライブ後に体調不良を引き起こした僕は、カズさんに家まで送ってもらった。あの時は、素直に送ってもらった感謝の気持ちでいっぱいだった。けれど、そのおかげで家バレしているのだから、もう感謝する気も失せるってものだ。
今日は母が在宅しているため、カズさんはすぐに追い払われたようだ。
──コンコン
自室のドアをノックされた。その音にビクリと全身が強張る。母が在宅の時は早くカズさんが帰ってくれるけど、その分、母からドア越しに嫌みを言われるのだ。
『陸、また来たわよ』
布団の中で耳を塞ぐ。
『いい加減にしてくれないかしら。ご近所さんにも心配されるし、恥ずかしいわ』
僕は沈黙を選ぶ。
『毎日毎日、バカみたいに家まで来て。あんな非常識な人と、いつ知り合ったの?』
母の声が、布団の中にいても突き刺さってくる。布団じゃ防御壁には物足りない。
『ねぇ、変なことに巻き込まれてるんだったら言ってちょうだい』
やはり、沈黙するしかなかった。
変なことに巻き込まれているのは確かだ。でも、バンドの勧誘で困ってるとか言ったら、ベースを取り上げられるかもしれない。そんなことになったら、僕の拠り所がなくなってしまう。
『陸が外に出るのは良いことだと思う。でも、変な知り合いを作るくらいなら、大人しく家にいてくれたほうがましよ』
母の静かな喋り方が逆に恐ろしい。
『まさか、いじめられ……いや、脅されてたりするの? 見た目もチャラチャラしてて、いかにも遊んでそうだし。危ないことにも手を染めてそうだわ』
カズさんはそんな人じゃない。カッと体温が上がり、布団の中が蒸される。
『ここまで話しても……陸はだんまりなのね』
母の言葉に、諦めのようなため息が交じった。とりあえず今日の小言は終わりかなと思った瞬間、爆弾発言が投げ込まれた。
『次来たら、警察呼ぶから』
噓だろ? 布団から飛び起きる。
「待ってよ、母さん!」
僕はドアにへばり付いて続けた。
「警察なんて呼ばないで。カズさんはちょっと強引なとこあるけど、良い人なんだ」
『家の前で大声出してる人の、どこが良い人なの? かばうだなんて、もしかして……いや、でも、そんなことあるわけないわ。きっとあれはお隣さんの冗談よ』
母の声が震えている。お隣さん? よく分かんないけど、とにかく、もう正直に言おう。
「バンドに、誘われてるんだよ」
『……バンドに?』
めちゃくちゃ疑ってそうな口調だ。
「本当に本当だから」
しばしの沈黙の後、母が少しドアから離れた気配がした。
『バンド……ね。なんにせよ、あんな非常識な人に近づかないで。これ以上、私に恥ずかしい思いをさせないでちょうだい』
胸がツキンと痛んだ。でも僕は、その痛みを見て見ぬ振りをする。
「……バンドに入るつもりはないから」
『ならいいけれど。でも、私は本気だから』
「本気って?」
『次来たら警察を呼ぶってこと。呼ばれたくないなら、あなたがちゃんと断りなさい』
母はそこまで言うと、ドアの前からいなくなった。
もっともな正論だ。僕がちゃんと断りきれないから、母が恥ずかしい思いをしてる。なおかつ、カズさんが警察にお世話になる寸前の状態だ。でも、僕は無理だと伝えたのに、これ以上どうすればいいのだろうか。
解決案も浮かばないまま、気がつくと夕方になっていた。薄暗い部屋の中で、パソコンのモニターだけが、ぼうっと光っている。そこには、じいちゃんを想って作った曲が表示されていた。無性にじいちゃんに会いたくなった僕は、こっそり家を出る。
墓地の入り口に辿り着くと、騒音対策のヘッドフォンを外した。ここまで来れば、不快な騒音はしない。墓地はいつでも、心地よい静けさに包まれている。
薄暗いため足元はよく見えないが、何度も通っているだけに、迷いなく砂利道を進む。けれど、じいちゃんの墓が見えた途端、僕は立ち止まった。しばし逡巡したのち、じいちゃんの導きのような気もして再び歩みだす。
「あ、あの……お久しぶり、です、順さん」
順さんは、じいちゃんの墓に向かって手を合わせていた。
「久しぶり。ここをカズに聞いてね、ご挨拶させてもらったよ」
順さんはこちらを向くと、爽やかに笑みを浮かべる。その笑みに、僕はなんだかほっとした。
「ここには、じいちゃんが眠ってるんです。僕に……音楽をくれた人です」
僕は順さんの隣に並ぶ。
「だから、ここでベースを弾いてたんだね」
順さんが小さく笑った。そりゃ墓場でベース弾いてれば、そんな反応されるよなぁ。
「ねぇ、鈴谷くんに音楽をくれたお祖父さんって、どんな人だったの?」
順さんの問いかけに、僕は目を見開いた。まだ亡くなって一年しか経っていないというのに、血の繫がった父でさえ、長年一緒に暮らしてきた母でさえ、じいちゃんのことなど忘れたように生活している。じいちゃんのことを話してもいいんだと思うと、鼻がツンとしてきた。
「……じ、じいちゃんは、すごくカッコいいんです。洋楽が好きで、ギターも上手くて、明るくて、大雑把で、器の大きな人で……なんとなくカズさんに似てるかも。僕は学校に馴染めなかったから、いつもじいちゃんと一緒にいました」
つかえそうになる声を、必死に絞り出した。
「そっか。大好きなんだね」
順さんが、穏やかな声で相槌を打ってくれる。
両親はじいちゃんと折り合いが悪くて、いつもじいちゃんのことを自分勝手な人だと呆れていた。じいちゃんが僕に音楽を教え、楽器を買い与えたり、一緒にセッションすることに対し、良い顔をしなかった。両親は否定しかしない。それは僕に対してもだ。
音に敏感な僕のことを、両親とも困惑していたし、治そうとしていた。でもこれは病気じゃない。生まれつきの感覚だから、治すとか無理なのだ。その結論に辿り着くと、次は普通であることを強要してきた。ひたすら他者と同じようにしろ、変な行動は恥ずかしいからするなと言われた。でも、音は聞こえてしまうし、不快に感じてしまうのだから、どうしようもない。
この感覚のせいで親にも見放されたのだ。けれど、じいちゃんだけはそのまま受け入れてくれた。辛いばかりの日常に、楽しいこともあるよって、音楽を教えてくれた。音に敏感なら、それこそ楽しいものを聴けば良いって。そして、自由に表現できる翼をくれた。だから、僕はこの翼で風を拾い、空を飛ぶ。逃げでもいい、僕は殺伐とした地上から離れることができた。
「……バンドのことなんですが」
僕は切り出した。けれど、これ以上の言葉が出てこない。
逡巡したのち、再び口を開いた。
「もう家には来ないでください。次、母に見つかると警察を呼ばれてしまいます。僕は……警察沙汰になって欲しくない。あなた達に、これ以上、僕のせいで迷惑をかけたくないんです」
縁が切れてしまうことが惜しいって、実はほんの少しだけ思ってる。だから、バンドに入る気はないから家にも来るなって言えない。ここで真剣に言えば、きっと順さんなら暴走するカズさんや陽くんを止めるだろうから。そんな計算をしてしまう僕は、卑怯者の臆病者だ。
「鈴谷くんって、本当にお人好しだよね。迷惑をかけてるのは俺らの方でしょ? 断られてるのに、しつこくバンドに勧誘してさ」
僕はうなだれたまま、首を横に振る。
「どうして僕、なんでしょうか。僕みたいな変な奴じゃなくて、もっと普通に行動出来て、もっと上手くて、もっと見た目もいい人が沢山いる……と、思います」
「うーん、鈴谷くんは、その、普通よりは弱々しいと思うよ? だけど、それは変とかじゃなくてさ、俺は個性だと思う」
弱々しいのが個性だとして、そんな役立たずの個性を持つ奴をなぜ勧誘するのだ。
「そんな怪訝そうな顔しないでよ」
順さんはため息をつくと、砂利の上に胡座をかいて座った。そして、砂利の上をぽんぽんと叩く。どうやら僕も座れということみたいなので、素直に座った。
「鈴谷くんて、プロの演奏しか聴いたことないでしょ」
問いかけの要点が分からず、曖昧に僕は頷く。
「プロの凄いベーシストと比べたら、そりゃ誰だって下手だってこと。俺から見て、鈴谷くんはかなり上手いと思うよ。ずっと引きこもってたのなら、自分の力量が分からないのは仕方ないことだけど。うちの元ベースに、引けを取らないと俺は思ってるし、カズも陽もそう思っているから君に固執してる」
「そんな訳ない、です。あの人は天才だ」
冗談だろう? 驚きすぎて口が開いてしまう。喉がカラカラだ。
「俺の周りってさ、才能ある奴ばっかりなんだ。元ベースもだけど、カズだって感性で音楽やってるような奴だし。弟もさ、音楽なんて縁がなかったのに、ドラムやってみたらリズム感めちゃいいし。ぶっちゃけ俺だけ凡人なわけ」
順さんはため息をつくと、頭をガシガシと搔いた。
そうだろうか。あのバンドは順さんがいなければ成り立たないと思う。あのバンドに必要不可欠というだけで、既に凡人とは言えないのではないだろうか。カズさんと陽くんという大きな子供の面倒をみるといった意味合いもあるけれど、それ以上に、音の重なりとして必要だ。
動画で見た『ヘブンリー』は、カズさんもギターを弾いてて、いわゆるツインギターだった。華やかに鳴るカズさんのギターを支えていたのは、間違いなく順さんの堅実なギターだ。
「鈴谷くんは、自分でどう思っていようと上手いよ。でもさ、それだけじゃなくて、もし仮に鈴谷くんより上手い奴がいたとしても、俺らは鈴谷くんが欲しい」
どうしてそこまで言ってくれるのか、僕には分からない。分からないから、怖い。怖いから、逃げたくなる。体が自然と後ずさりを始めていた。
「ほら逃げないで、話はちゃんと最後まで聞くもんでしょ?」
順さんに腕を摑まれ、元の位置に戻された。砂利のせいで、簡単に引きずられてしまう。
「カズの言葉を借りるなら、フィーリングかな。音を合わせた時の響きが、すごく心地よかったんだ。サポートメンバーだと、カズのボーカルが不安定になるときがあるんだけどさ、鈴谷くんの音が入って、カズは安定してたっていうか、むしろいつもより伸びがあった。だから、鈴谷くんがクライズシンドロームでベースを弾いてくれたら、すごく嬉しい。ここまで聞いても、鈴谷くんの心は少しも動かない?」
順さんはずるい。カズさんみたいに勢いで来るのではなく、理詰めな上、感情にも訴えてくるとは。黙り込んだ僕を見て、順さんは構わず続けた。
「あとは何だっけ……もっと見た目もいい奴か。それなんだけどさ、鈴谷くん結構整ってると思うけど? なんていうか、中性的って感じでさ。気になるならライブの時はV系みたいに、厚塗り化粧でもすれば大丈夫!」
能天気な提案に、ガクリと肩を落とす。僕の見た目が整ってるだなんて信じられるものか。さっきまでちょっと心が揺れてたけど、一気に目がさめた。簡単に取り込まれてはダメだ。
「そんなこと、一度たりとも言われたことありませんから」
「えー、それはさぁ……鈴谷くん滅多に顔上げないからだよ」
さすが順さん。理詰めで来るだけあって、心をえぐる重い一言を繰り出してきた。確かに人の目を見て話すなんてこと、ほとんどしたことがない。
立ち上がり、じいちゃんの墓に向かって手を合わせた後、順さんを見た。
「僕、帰ります。カズさんと陽くんに、次来たら警察だって伝えておいてください」
順さんのおかげで決心がついた。
「あれ? 帰るの? 待って、ごめんて、機嫌なおして」
縋ろうとする順さんを残し、僕は歩き出す。
別に拗ねたとか、機嫌を悪くしたとかじゃない。順さんが指摘したように、まともに顔も上げられない人間が、人前に出るだなんて無理な話なのだ。
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