Set list 2-2

 ようしやなく、開演の時間だ。

 ステージ袖に移動した僕は、ちらりとフロアを覗いた。昼間はがらんとしていたフロアに、これでもかと人が詰まっている。始まる前から熱気がすごく、押しつぶされそうだ。

 おそろしくなり、自然とつばを飲み込んだ。

「鈴谷くん。これからあいつらといつしよに、最高のライブをするんだ。ライブは観客がいてこそ。だから、あいつらは敵じゃない。仲間なんだ」

 僕の緊張をほぐすように、カズさんが背中をさすってきた。

「まぁ俺にとっては、みんな俺のこいびとだけどな」

 カズさんがニシシと笑う。

「カズ、ろうもいるけどいいのか?」

 順さんがあきれた顔でちやす。

「分かってないなー。愛に男女の区別なんてないの。俺らの音に恋してくれるやつらは、みんな恋人なの!」

 カズさんは子供のようにほおふくらませている。けれど、ステージを再び見た瞬間、まるで何かにひようされたみたいに目つきが変わった。僕はぞくりとする。

「じゃあ、先に行って待ってるから」

 カズさんは、視線はステージに注いだまま言った。僕は何も返せない。けれど、カズさんはそのままステージへと出て行ってしまった。順さんも、僕のかたをポンとたたくだけだ。

 二人が出て行くと凄いかんせいに包まれた。そして、準備を終えたカズさんと順さんが視線を合わせる。それが始まりの合図だ。

 シンプルな、けれど軽快なギターの音。それがあっという間にライブハウスに満ちる。リハーサルでは、自分の音さえまともに聞こえていなかった。だから、順さんのギターをちゃんとくのは初めてだ。順さんのひとがらがにじみ出るような、温かな音の風が通りける。

 そこに、カズさんの歌声が入った。たんに、風の勢いが増す。カズさんの声は、ギターと同じく華やかだ。れいびる声。そして、そこに混じる少しのざらつき。その引っかりがくせになる。気になってもっと聴きたくなる。

 あつとう的に音が少ないはずなのに、ギターと歌声が、相乗効果で盛り上がっていく。どんどん観客が引き込まれていくのが分かる。

 ライブ映像を見たときも、すごい人達だと思った。けれど、生の音を聴いてしまうと、その実力にこしが抜けてしまう。ライトに照らされたステージが、まぶしすぎて直視できない。

 逃げる勇気がなくて逃げられなかったけれど、今、その勇気が出た。こんな凄い人達と同じステージに立てるわけがない。どろるだけだ。

 僕はつんいのまま、後ろに下がり始める。すると、暗いせいか何かに当たってしまった。障害物をかくにんするためり返ると、見知らぬ人間だった。思わず出そうになった悲鳴を、必死で飲み込む。

「こんちは。ベース抱えてステージ袖にいるってことは、鈴谷くんっすか?」

 制服姿の男子高校生が、かがんで覗き込んできた。僕はおどろきすぎて、無言のまま小刻みにうなずく。

「良かった、来てくれたんすね。俺も何とかセーフってところかなぁ」

 言いながら男子高校生はステージに向かって手を振った。ステージ上の二人も気付き、早くしろとジェスチャーを送っている。

「順兄、かなりおこってんなぁ。ところで、どうして後ずさりしてたんすか。もしかして……ここまできて逃げようとか?」

 図星を指され、僕はうつむくしかない。

「どうして? あんなすごい人達と音楽出来るなんて、めつにないっすよ?」

 確かに僕がライブに出るなんて、もう二度とないだろう。ライブ参加をりようしようしたのも、一生に一度の機会だと無意識に思っていたからかも。でも、違うんだ。この人達はすごすぎる。

「……僕には、出来る気がしない」

 むなしい言い訳を、僕はきだす。

「だから、逃げるんすか? 俺はどっちでもいいけど────あんた、二度と音楽出来なくなるっすよ」

 かたい声に、僕は目を見開いた。

「ここであんたが逃げるってことは、このライブはめちゃくちゃになる。クライズシンドロームもただじゃ済まない。それだけのことをして、あんたは今後、楽しくベースが弾けるんすか? むしろ、ベースを見るたびに罪悪感におそわれるんじゃないすか?」

 暗くて表情はよく見えない。けれど、発する声がさるように痛い。

 何も言い返せなかった。こわいものは怖い。でも、冷静に考えれば、その通りなのだ。

『みんな、今日は来てくれてありがとう。初っぱなからアコギばんそうで歌うってのは驚いた? これにはいろいろ事情があるんだけど、たまには変わった始まり方もおもしろいっしょ。てことで、今日はクライズシンドロームの新しい面が見れるから、めいっぱい楽しんでってよ』

 カズさんが観客に向けて楽しそうにしやべっている。僕がげると、これがこわれるのだ。

 こんな時なのに、中学のころのことが頭をよぎる。僕は教室から逃げ出し、そしてもどることが出来なくなった。一度逃げ出したら、つうに行く以上のパワーが必要になる。でも、僕にはそのパワーは出せなかったから、引きこもりになった。

 ここで逃げたら、今度は教室なんかではなく、音楽に戻れなくなる。そう思うと、ぞっとした。ライブに出る怖さよりも、じいちゃんがあたえてくれた居場所が無くなる方が百万倍も怖い。

 僕はベースを抱え直すと、ふるえる足で立ち上がった。

「お、やる気になったみたいっすね。じゃあ俺もさっさと用意しなきゃ」

 途端に、するどかった声がやわらいだ。

 男子高校生も立ち上がると、制服のブレザーをぎ捨てる。並ぶと頭一つ分くらい彼の方が背が高い。彼はワイシャツを勢いよく脱ぐと、袖の黄色いバンドTシャツを着始めた。あまりに急いで着ようとするものだから、頭やうでに引っかかってもがいている。無残に伸びるTシャツがびんで、僕がTシャツの首を引っ張ってやると、スポンと茶色い頭が飛び出てきた。

「ありがと! 俺は松田陽でっす。順兄の弟だよ。今日は一緒にがんろう!」

 彼はひとなつっこいがおで、手を差し出してくる。

 これはあくしゆを求められているのだろうか。違ったらずかしいな、などと思っていると、ごういんに手を摑まれてブンブンと上下に振られた。

 そのまま陽くんに手を引かれて、一歩み出す。さっきは眩しすぎて目をそらしたステージだ。でも、その光の先に、カズさんと順さんが待っていた。二人ともうれしそうに笑っている。

 これから、どれだけきんちようするとしても、失敗するかもしれなくても、せいを浴びることになっても。逃げて彼らを失望させることに比べたら、断然マシだと思った。

「陽、おっせーよ。みんな聞いて。こいつ補習くらってこくしたんだぜ」

 カズさんが陽くんを軽くくと、歓声が上がる。陽くんは頭だけひょこりと下げ、ドラムセットへと向かっていった。そして、僕はリハーサルで指示された位置へと立つ。

「あと、今日はいつものサポートメンバーじゃなくて、彼に来てもらってます。鈴谷くんです」

 しようかいなんか不要なのに。だが、なんの紹介もなく知らない人がベースいてるのも、ファンの人にとってはモヤモヤするかもしれない。

 イヤモニを付け、僕の準備は完了だ。順さんの説明によると、イヤモニはしやおん性が非常に高く、周りの雑音や観客のせいえんも聞こえないというすぐれもの。音にびんかんな僕にとって、バンドの音のみがクリアに聞こえるのは願ってもないことだ。

「じゃあ、クライズシンドロームの二曲目行くぞ! 『ヘブンリー』」

 カズさんが曲名を言った途端、歓声のしんどうがびりびりと来た。一曲目の比ではない。

 カズさんがメンバーをわたした。順さん、陽くん、そして僕。

 そのしゆんかん、陽くんのカウントが鳴り、ばくしんがライブハウスに満ちた。あまりのしようげきに、僕は意識が飛びそうになる。

 はだひびく強い音、暴風の中みたいだ。でも、不思議といやじゃない。暴風に身を任せ、思い切りさけびたい。そんな衝動にかられる。

 音に飲み込まれるように、イントロ部分をめん通りに弾いた。僕の音が加わることで、暴風が加速する。もっと、激しくしたい。もっと、もっと熱く暴風に飲まれたい。カズさんがニヤッと笑った。その瞬間、僕の中で何かがはじける。

 指が勝手に動き始める。イントロのあとは、ルート弾きするはずだった。でも、これはおにのように見返した動画の曲だ。あの元ベースの人にはおよばないだろうけど、僕の弾けるせいいつぱいの『ヘブンリー』をかなでる。

 順さんのギターが少しもつれた。どうやら僕が譜面通りに弾きだしたことに驚いたみたいだ。それもまた生っぽくていい。

 曲の盛り上がりと共に、観客の熱気もどんどん上がっていく。あぁ、動画で見たみたいに、音楽によって観客が興奮し、その興奮によって音楽が加速し、さらに観客をあおっていく。

 気持ち良くて死にそう。暴風のなかを全力しつそうしているみたい。苦しいのに、止められない。止まりたくない。

「かー、最高! めっちゃ歌ってて気持ちいい」

 カズさんがステージの真ん中で、両手を上げて叫んでいる。気が付いたら、曲は終わっていた。観客は叫んだりはくしゆしたりしている。

 ライブの興奮とライトの暑さで、僕はあせだくだった。タオルも何も持っていないので、Tシャツのすそで顔の汗をぬぐう。すると、目の前の女の子数人が、手を振ってきた。

 え? 僕? そんなわけないよな、と後ろを見てみるがだれもいない。

 きょろきょろと挙動しんな動作をする僕に、女の子達がさらに何かを言いつつ手を振ってくる。イヤモニをはめてるから、言ってる内容は聞こえないけど。

 どう反応していいのか分からなくて、思わず後ずさりし、足元のケーブルですっ転んだ。幸い後ろに転んだので、ベースは腹の上で無事だが。でも、頭の中はパニックだった。なんで女の子達は手を振ってんの?

「みんな、このおっちょこちょいな彼が、配信で話した法師だよ。全然怖くないっしょ?」

 カズさんも何かよく分からないことを言っているし。琵琶法師って何?

 僕はベースに気を付けながら、ゆっくりと起き上がった。

「じゃあ、次は『ピーターパン症候群』。今日はこれがラストだよ。だから思いっきり歌ってさわいで叫んじゃって!」

 カズさんの曲紹介のあと、とつぜん、陽くんがバスドラムをおんで踏み始めた。何事かと思っていると、なんとり付け指導が始まったのだ。

「まずは両手を上げてね。んで右にひらひら。そう、手をひらひらさせて。次は左にひらひら。そうそう、みんな上手うまい!」

 常連らしき観客は、この時点でノリノリに振り付けの動きをしている。初めてっぽい人達も、まどいながらも周りに合わせてなんとなく体を動かしていた。ステージから見ていると、みように感動してしまう。大勢の人達が、同じ動きをしているのだから。

 ポカンとその様子を見ていると、いきなりカズさんの声が飛んできた。

「ほら、そこ! ぼーっとしない」

 観客のことを言っているのだと思ったら、カズさんが僕の前まで移動してきた。

「へ?」

 おどろきのあまり、けな声がれる。

「鈴谷くんもやるんだから練習! ほら、右って言ったら鈴谷くんは左ね。俺らは向きが逆だから。ネックを左でゆらゆらさせて。んで左つったら、思いっきり体ひねってネックを右に」

 カズさんにあやつり人形のように動かされ、こしが痛い。そんな問答無用でひねらなくていのに。何なのこれ、公開しよけいみたい。観客が笑っているのが見えて、死ぬほど恥ずかしい。

「そんで、最後はジャンプ。分かった? これサビでやるんだからね」

 伝えるだけ伝えると、カズさんは満足したように真ん中へと戻っていった。

 というかこの動き、僕もやるの? この最後の曲は今日初めていて、初めて弾くんだけど。

 そんな僕のあせりなど知らぬとばかりに、曲の始まりを告げるカウントが響く。

──つまらない日常なんか置き去りにしろよ

──ネバーランドはここだから

──ここに来た瞬間

──永遠に少年少女だ

──おもい(重い)荷物なんか捨てて、思い切り騒ごう

 カズさんの歌が、ライブハウスにみこんでいく。

 ここに集まっている人達には、それぞれ生活があって、家や学校、仕事なんかで嫌なこともあるだろう。こいびとに振られて泣きたい人や、僕みたいに上手く生きられない人もいるかもしれない。でも、そんな考えたくないことを忘れて、子供のように楽しむのだ。

 本当に、ネバーランドのよう。この曲の間は、カズさんはピーターパンなのだ。でも、この曲があるだけでは足りない。バンドがいて、観客がいて、ライブハウスという箱のなかで興奮が圧縮されて出来たせきの空間だ。

 僕は必死にベースを弾いた。みんなが作り出した、このネバーランドをこわしたくないから。それでも、たまにもたついてしまう。歯を食いしばり、くずれ落ちないように立て直す。ベースはバンドにとって屋台骨だ。ベースがもたつけば、バンドも失速してしまう。陽くんが僕をカバーするように、正確なリズムを刻んでくれる。ありがたいと思って陽くんを見ると、ニカッと笑っていた。

 そうか。僕も、今はネバーランドの住人なのだ。こわくてげようと思ったステージ。今だって、ちがえないように曲にらいつくのでせいいつぱい。だけど、そんな難しいことは考えず、ただ味わえばいい。子供のように飛びねる光と音に、身を任せればいいのだ。

「うぉら、行くぞ!」

 カズさんの煽りに観客がこたえる。次からサビだ。

──大人はいない、誰も君をおこらない

 たくさんの手が右方向へかたむく。ひらひらしてて、れいだ。僕もネックを少しらす。

──かしOK、お食べ放題

 手が反対方向へと傾く。とうそつの取れた動きにつられ、思い切り体をひねる僕。勢いをつけすぎて腰が痛い。痛みのあまり、音を外してしまった。あわてて修正するが、カズさんの笑い声が歌の間に聞こえた。恥ずかしい、気付かれた。

──言えなかった気持ちも、ほら叫べばいい

 ジャンプ二回。僕は音を外すのが怖くてべなかった。

 すると、一回目のサビ終わりの間奏中、まさかの公開処刑第二だん

「鈴谷くん、ちゃんと跳ばなきゃダメじゃん」

 しかも、これを言ったのはカズさんではなく順さんだ。思わぬ人からのこうげきに、僕はさらにあたふたしてしまう。カズさんはマイクを顔からはなして、腹をかかえて笑っている。

 僕のどうようなどお構いなしに、間奏が過ぎて二番が始まる。そして、サビに向かう間奏中にカズさんは叫んだ。

「みんな、振り付け間違ってもだいじよう! 誰も見てないよ。みんな自分が楽しむことで精一杯だから。いつしよに騒いで叫んで楽しもうぜ!」

 それは観客に向けた言葉だったけれど、きっと僕にも向けられていた言葉なんだと思った。間違ってもいいから、一緒に楽しもう、ライブってそういうもんだろ、と。

 順さんにもカズさんにも言われるのなら、振り付けをやらないわけにはいかない。間違ってもいいって言ったのは彼らなのだから。

 っ切れた僕は、ぎこちないながらもネックを左右に動かし、ジャンプし続けた。だん引きこもっているから、もう体力が限界だ。でも、終わって欲しくなかった。この曲が終われば、ネバーランドは消えてしまう。僕にとっての奇跡の時間が終わってしまうのだから。


 けれど、物事には必ず終わりがくる。曲の終わりとともに、僕のここでの役割も終わった。

 かんせいと拍手に包まれながら、頭を下げる。やりきった満足感もあったが、それ以上にきんちようからの解放と、体力のひどしようもうのせいで、ステージを降りたたんき気におそわれた。僕はベースとイヤモニをカズさんに押しつけると、トイレの個室へとけ込む。

 すると、追いかけてきた陽くんにトイレのドアをたたかれた。

 お願いだからやめて。そのドアを叩く音も、不快なんだ。

「大丈夫っすか? 生きてる?」

 心配してくれるのはありがたい。けれど、気分が悪くて返事すら出来ない。

「陽、落ち着け。ドア叩くな」

 カズさんの声が聞こえて、ほっとした。

「リーダー。でも、返事がなくて……俺、本番前に、半ばおどすようにステージに行かせたんすよ。ベースがないとライブがめちゃくちゃになるって……俺、焦っちゃって……」

「陽がバンドのことを考えてやってくれたことだろ。それは間違いなんかじゃないから」

「でも……このまま鈴谷くんが死んじゃったら」

 ドアしに聞こえる陽くんの声に、えつが混じり始めた。まさか泣いている?

「鈴谷くん、しやべるのつらいかもだけど、じようきようだけでも教えて? 救急車呼んだ方が良い?」

 きゅ、救急車なんて困る。僕のこれは、いつものことだから。

「……しばらくしたら、治まるので……気にしないで、ください」

 とぎれとぎれになりながらも、必死に声をしぼり出した。

「意識があって良かった。でも、そのままってわけにもねぇ──」

 何やらガタゴトと音がしたかと思うと、頭上からカズさんが降ってきた。

 反射的にけようと、洋式便器にきついてしまう。あまりそうされていないのか、そのにおいで再びきそうになった。

「はいはい、大丈夫?」

 カズさんが僕の背中をさすってくる。そのやさしい手つきに、少し吐き気が遠のいた。

 けれど、次のバンドの音が建物内にひびき始めると、またぶり返してきた。なんなんだ、このバンドの音は。チューニングがみようにずれていて、さらに楽器同士のせんりつもところどころけんしているみたいだ。

 僕はたまらずに耳をふさぎ、うずくまる。トイレのゆかだろうが構っちゃいられない。

「陽、トイレの入り口のとびら閉めろ!」

「は、はいっす」

 バタンと乱暴に閉められた音も、カミソリのようなしようげきとなって襲いかかってきた。頭が痛くて、あぶらあせき出てくる。でも、扉が閉められたおかげでバンドの音が少し小さくなった。

 そして、頭が何かにおおわれる。この熱気、どうあせの臭い──僕の頭はカズさんのりよううでで抱え込まれていた。いきなりのほうように逃げようとしたけれど、カズさんは離してはくれない。

──つまらない日常なんか置き去りにしろよ

 カズさんの歌声が聞こえた。

 驚いて少し顔を上げる。すると、カズさんが笑っていた。

「こうすりゃ、俺の歌しか聞こえないだろ?」

 そう言うと、カズさんは『ピーターパン症候群』の続きをゆっくりと歌い始める。

 カズさんに頭を抱え込まれたことにより、バンドの音は遠くに去り、ただここよい歌声が染みわたってきた。だんだんと、吐き気が治まっていく。

「わ……何この状況」

 おどろいた様子の順さんの声に、僕は顔を上げる。すると、いつの間にか個室のかぎは開けられ、陽くんと順さんが心配そうにこっちを見ていた。

「何って、鈴谷くんをかいほうしてんだよ。見て分かんない?」

 カズさんが言うと、順さんがあきれた表情をかべた。

「俺には、トイレでお前が鈴谷くんを襲ってるようにしか見えない」

「酷い! リーダーとして、俺はこんなにメンバーを心配してるのに!」

 カズさんがをこねるように体を揺する。ちょっと、それはめて欲しい。だいぶマシになったとはいえ、今揺すられるのは良くない。

「は、はなして、ください」

 僕は揺れからのがれるため、腕をっぱねる。

「ええ? 鈴谷くんまで誤解してるの? 俺、そんな見境なく襲うじゆうに見える?」

 カズさんがさらに体重をかけて抱きついてくるので、便座に頭を打ち付けた。痛い。

「そんな風に思ってませんから……カズさんのおかげで、だいぶ、楽になりました」

 打ち付けた頭の痛みに、顔をしかめながら答える。

「ほら、鈴谷くんは分かってるぅ。んじゃ、二番歌うぞ!」

「え、もうこれいじょう──」

 これ以上は結構ですと言う前に、カズさんは歌い出してしまう。すると、陽くんも合いの手を入れ始めた。

「ほら、順もハモり入れろよ」

 カズさんにうながされ、順さんもしぶしぶ歌い始める。

 再びネバーランドが現れた。しかも僕のためだけに。くさいはずのトイレが、居心地の良い空間に変わっていく。

 楽器だけの間奏部分は、カズさんがハミングでつないでるし、順さんも分からないなりにのってくれているし、陽くんなんか、手洗い場の前でり付けを全力でおどっているし。その状況がなんだかみようすぎて笑えてくる。

 最後まで歌いきるころには、僕は笑いが止まらなくなってしまった。それと同時に、なみだも。

 どうしてこの人達は、クズで気味悪い僕なんかのために、いつしようけんめいになっているのだろうか。それにまどうし、ビビってもいる。けれど、確かに僕は、暖かい風を感じていた。



※ ※ ※



【はいはーい。『カズくんシンドローム』の時間だよ! 今日は順と陽にも来てもらってまっす】

 カズの両横に座る二人が、手を振っている。陽は満面の笑みで、順は苦笑いだ。

【先日のライブ来てくれた人いる?】

 コメントがたくさん流れていく。

「行ったよ」「行きたかったけれど行けなかった」など様々だ。

【来れなかった人は、また次の機会に是非来てよ。絶対、楽しませてあげるから。それで、来てくれた人は、本当にありがとう! ライブはどうだった? 実は結構綱渡りなライブだったんだけどね。うん、そうそう。陽が遅刻してきてさ、二曲目から出るっていうね】

【ごめんなさいっ。反省してます。今後、テストで0点は取りません】

【0点? 留年なんかしたら母さん泣くぞ!】

 カズの後ろで、順が陽の胸倉を摑みあげている。

「そりゃ兄さん激オコだわ」「許したげて」などと、コメントが囃し立てている。

【まぁ、後ろの二人はほっといて……みんな、俺の見つけてきた琵琶法師、どうだった?】

 すぐに「良かった」「可愛い」「振り付けぎこちないのが萌える」「ヘブンリーは良い意味でビックリした」等のコメントが流れていく。もちろん「サポートの佐藤さんの方が上手い」とか「元メンバーには到底及ばない」という否定意見も少数交じってはいるが。

 カズはニヤリとした表情を浮かべた。

【うんうん、でしょ? みんななら分かってくれると思った。俺、絶対にあの琵琶法師をメンバーにしたいんだよねぇ。でも、なかなか難しい奴でさ、すんなりメンバーになってくれない訳よ。てことで、今日は緊急会議! 議題は『琵琶法師のことがめっちゃ気に入っちゃったから手に入れたいんだけど引っ込み思案な彼ぴっぴをどうしたら引っ張ってくることが出来るでしょうか』えっ、長い?】

【長い。ていうか、いつの間に琵琶法師を入れることになってんの?】

 順が初耳だというような表情をしている。すると、カズは目を丸くした。

【順さんや、それ本気で言ってんの?】

 カズに続くように、陽も目を丸くして順をのぞき込んでいる。

【順兄、それ本気っすか? 琵琶法師くんは絶対に良いよ。なんか、音がしっくり来たっていうか。上手く言えないんだけど、ピタって来た!】

 二人に責められ、順はしかめっ面になる。

【いやだってさ、向こうの気持ちもあるわけじゃん。勝手に決めたら迷惑だろうし。でもまぁ、二人の言いたいことは、その……分かる】

 順の言葉は尻つぼみに小さくなり、心なしか頰も恥ずかしそうに赤くなっていく。

 それを見て、カズはにんまりとあくどい笑みを浮かべた。

【だろ?】

【順兄はツンデレっすな!】

 陽の追い打ちに、順はさらに顔を赤くする。

 その様子に「順さんの貴重なデレ」「くっそ尊い」という荒ぶったコメントが流れていく。

【んじゃ、琵琶法師をゲットするってことでバンド方針決定。じゃあ改めて、新しい気持ちで頑張っていくから、ファンのみんなもついてきてね!】

 カズの言葉に「もちろん」「一生ついてく」といった温かいコメントが溢れる。

【ありがと! てことでぇ、琵琶法師をゲットしたいけど、素直に『うん』とは言ってくれないわけよ。根本的に自分に自信がないみたいでさ。だからみんな、何か良い案ない?】

 カズの問いかけに、様々な意見が飛び出す。中には「もう押し倒せ」とか「既成事実捏造」とか、どこか違う方向の意見もちらほら交じってはいるが。

 その後も、琵琶法師獲得に向けての会議が、だらだらと続いていくのだった。

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