Set list 2-1

 平日の真っ昼間。父は仕事、母も外出しているから、家にいるのは僕だけだ。だんは部屋に引きこもっているので、羽をばすように台所でくつろいでいる。

 のんびりとコーヒーを飲んでいると、携帯にメッセージが届いた。百パーセント、カズさんだろう。だからかくにんすることなく、テーブルの上に画面をせて置いた。

 あれ以来、毎日毎日きずに連絡をしてくる。最初のうちは電話こうげきだったが、電話には出ないと理解したのか、メッセージを送ってくるようになった。

「読まなきゃ良いんだけど……未読がたまり続けるってのもね」

 セッションは楽しかった。コミュ障の僕が、あんな風に他人と演奏出来ただなんてせきだ。でも、それは僕側の感想であって、カズさんのようなにぎやかな人にとっては日常のはず。

 これで再び会い、一緒の時間を過ごしてしまえば、げんめつするに決まっている。セッションしたちょっと変わった奴、という印象のままフェイドアウトしたいのだ。

 あの時、なぜ連絡先を教えてしまったのだろうか。まぁ、セッションのいんひたって、頭が回っていなかったせいなのだけど。

 もんもんとしていると、車庫のシャッターが開く音が聞こえた。母とのはちわせをけるために、あわてて自室にもどるのだった。


 僕の部屋の中は、樹海と化している。ベースとギターが置いてあるのはもちろんのこと、音楽をくためのオーディオ機器、そして、曲を作るのには欠かせないパソコン、最近はあまりやらなくなったゲーム機器、それらの電源ケーブルやそれぞれをつなぐための配線などが、ゆかじゆうおうじんにのたうち回っている。

 僕はのんびりとパソコン画面を見ながら、新しい曲のリズムを組み始めた。おだやかな一人の時間が流れていくはずだった、が、とつぜんそれは破られた。

 ──コンコン

 ドアをノックされた。いつも放置されているから、こんなことめつにない。僕は心臓が飛び出そうになる。

「……な、なに」

 ドアに近寄り、開けることなく外の気配をうかがう。

『陸、あなたに電話よ』

 母の声がした。

「電話?」

 母が呼びに来るということは、家の電話にかかってきたということだろう。どうせかんゆうか、死んでも行きたくない同窓会とかに決まってる。

『赤塚くんって子よ。あなたに電話をかけてくるお友達がいるだなんて、知らなかったわ』

 母の声が心なしかさぐるようにひびく。

「赤塚……て、カズさん?」

 僕は部屋を見回し、自分の服のポケットを手で押さえた。目的の物は見当たらない。慌ててドアを開けると、僕の携帯を手に持つ母が立っていた。

「台所で鳴ってたわ。かなりしつこく鳴らしてきたから出たわよ」

 僕は何も言えずに立ち尽くす。

「外に出るのはかんげいだけれど、変な人とつるむのはめなさいよ」

 母は、僕に携帯をわたすと、捨て台詞ぜりふを残して去って行った。

 久しぶりに会話したけれど、相変わらず息苦しくなる。思わず、ぎゅっと服のむなもとにぎりしめた。

『もっしもーし、まだ繫がってんよ?』

 携帯からカズさんの声がれてきた。そのまま切ってしまえば良かったのに、慌てた僕は思わず電話に出てしまう。

「あ、あの、すみません」

 母の失礼な言葉は聞こえてしまっただろう。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

『その謝罪は、着信もメッセージもすべて無視したことに対して?』

「……それは……それも、すみませんでした」

 冷やあせが流れた。確かに、全部無視してたことの方が悪い気がする。

『もういいよ、今話せてるし。それより、来週の金曜日ってひま? てか暇だよね。申し訳ないって思ってるなら、俺らの出るライブ来てよ。俺らの音、鈴谷くんに聴いて欲しいんだよね』

 電話しでも、カズさんが不敵に笑っている様子が目にかぶ。

 でも、ライブなんて一度も行ったことがない。興味はあるけれど、正直、大音量に囲まれて平気でいられるのか自信がなかった。

「本当に、申し訳ないとは思ってます。けど、行ったらもっとめいわくをかけ──」

 僕の言葉をさえぎるように、カズさんがかぶせてくる。

『気分が悪くなったら、その辺に座り込んでればいから。ライブハウスってそんな奴ゴロゴロいるから気にしなくて良いって。酒飲んでさわいだあげくぶったおれるとか、ねつきようしすぎて酸欠状態でぶっ倒れてる奴とかいるからだいじよう!』

 それって本当に大丈夫なの?

 でもカズさんの言葉に、心がれる。

 彼のバンドの音は聴いてみたい。けれど、ライブを見て体調不良を起こしたらこわい。カズさんだけでなく、ほかのメンバーの人にもかいな思いをさせてしまうかも。

「でも、やっぱ──」

『でもは無し! 申し訳ないと思ってるんだったら、絶対参加! これはゆずれないから。来てくれなかったら、これからもいやがらせのように電話するよ。ただし、ライブに来てくれたら、もうしない。約束する。だからライブに来てよ』

「……行ったら、もうしつこく電話しないですか?」

 仕方なくというじようきようを用意してくれるカズさんのやさしさに、甘えたくなる。

 行ってしまおうか。どうしようか。

『うん、約束する!』

 カズさんの必死さに僕は引きずられてしまう。

「分かり……ました。ライブ行きます」

『やりぃ。じゃあ、場所とか時間とかれんらくするから、今度は絶対メッセージも見ろよ』

 カズさんの声はうれしそうだった。


 その後、カズさんは日時と場所を送ってきた。そして、それといつしよに動画のURLも。そのURLは、カズさんのバンドのライブ映像だった。

 ボーカル&ギターのカズさんを中心に、ギター、ベース、ドラムの四人。バンド名は『クライズシンドローム』。インディーズバンドのようだが、観客の盛り上がりはすごく、熱気が動画からも伝わってくる。僕は食い入るように、動画を見続けた。その場にいるわけじゃないのに、バンドのしつそう感に飲み込まれる。興奮して、汗が止まらない。

 それに、このバンドのベーシストはすごい。正確なビート、音の強弱、曲を心底理解したき方の変化。長いかみうつとうしそうにはらい、メンバーをちようはつするように音をけていく。こんなカッコいいベーシストは滅多にいない。こんなすごい音、僕は鳴らせるだろうか。




 ついに約束の日になった。僕は目立たぬように全身黒ずくめの服装で、念のため持ってきてと言われたベースを背負う。それにしても、念のためって何だろうか。

 午後三時、あるビルの前にとうちやくし、そうおん対策でしていたヘッドフォンを外す。一気に街の音に飲み込まれ、いつしゆんまいおそわれた。でも、これくらいでへこたれてちゃライブなんて無理だ。深呼吸を何回かすると、少しずつ騒音が体にんでいく。

 しかし、目的地はここで合っているのだろうか。はんがいの大通りから一本中に入り、奥に細長いビルの前で僕は立ちすくんでいる。一階は大衆居酒屋で、地下は洒落じやれたバーのようだ。ライブハウスは六階だと聞いているが、どこから上がればいいのか分からない。

 困ってビルの前でうろうろしていると、ポンとかたたたかれた。通行のじやをしていただろうか。思わず「す、すみません」と小さく声が出た。

「え、謝らなくてもいいよ。ただ、入り口を探してるのかなと思って。六階に用事?」

 僕よりも少し背が高い、ギターを背負った黒髪のさわやかな男の人だった。ちらっと視界に入った手が、すらりとしていてれいだ。

「……はい、六階、です」

 の鳴くような声で答える。

「もしかして、鈴谷くん?」

 心臓がおかしな音を立てた。突然、見知らぬ人に名前を呼ばれることほどおそろしい物はない。

 僕が何も答えられないでいると、それが答えとばかりに男の人は笑った。

「カズから話は聞いてるよ」

 カズという名前に、恐る恐る顔を上げる。そして必死の思いで男の人の顔を直視してみたら、なんとライブ映像の人だった。

「あの、ギ、ギターの方ですか?」

「そう。俺、まつ順。よろしくね。カズは先に着いてるって連絡あったから、一緒に行こう」

 一緒に行く? ライブ前なのに、僕がいたら準備の邪魔になるのではないだろうか。

 そんな疑問は表情に出ていたらしく、順さんのがおこわった。

「ちょっと聞くのが怖いんだけど……カズから何て言われてここに来たの?」

 順さんがめ寄ってくるので、必死に会話を思い出す。

「何てって、その、えっと、ライブに来てと」

「それだけ……なの?」

 順さんがぜんとした表情を浮かべた。

「そ、そうですね」

「あんのバカ! なんてことしやがる」

 とつじよ、順さんがしゃがみ込んでしまった。悪態をつきながら、わしゃわしゃと髪の毛をかき乱している。

「あの、何か……僕、変なこと言ったでしょうか」

 順さんが遠くを見るような仕草をした後、立ち上がった。そして、り付けたような笑みを浮かべる。

「とりあえず、中に入ろうか」

 少々ごういんに肩を押され、奥にあるエレベーターに押し込まれてしまうのだった。

 六階でエレベーターが開くと、折りたたみ式の机が置いてあり、CDやタオルやラバーバンドなど、スタッフらしき人がちんれつをしている最中だった。やっぱり、今は準備の時間なのだ。

 カズさんはどうしてこの時間を連絡してきたのだろう。てっきりライブ開始の時間だと思っていたのだけれど。居たたまれなくなってきて、思い切って順さんに声をかけてみた。

「あ、あの」

 構えすぎて、声が裏返った。ずかしい。

「何? 鈴谷くん」

「えっと、今準備中みたいですし、邪魔したくないので、また後で来ま──」

「大丈夫だから! ささ、気にせず奥へどうぞ。カズ、早く来い。鈴谷くん来てるぞ」

 順さんは早口でまくし立てながら、僕のうでをつかんでどんどん奥へと進んでいく。

「やった。鈴谷くん、待ってたよ!」

 声とともに、しようげきがやってきた。

「うぐっ……カズさん、く、苦しい」

 がさないとばかりにハグをされ、息が出来ない。前のときもきよが近いと思っていたが、これは近すぎるだろう。正直、こういうスキンシップに慣れていないのでまどってしまう。

「とにかく、奥のひかえ室へ行くぞ」

 順さんはみようあせった声で言うと、僕と僕にきつくカズさんをずるずると引きずっていく。男子二人を引きずっていく順さんは、おにのような形相をしていた。重いだろうし、カズさんさえはなれてくれたらちゃんと歩くのに。あとにして思えば、この時がのんきにしていられる最後の瞬間だった。

 カズさんに抱きつかれたまま、細い通路を進むと、ドリンクカウンターが横に出現した。ここも準備真っ最中といった様子で、あわただしい物音が耳にさってくる。殺気立ってて怖いなとか考えているうちに、観客が入るスペースも通過した。そして、順さんは『スタッフオンリー』と書かれたドアの中に、僕とカズさんをほうり込む。

「さぁカズ! どういうことか説明してもらおうか」

 順さんがおうちで僕を見てきた。正確には、僕に抱きついてるカズさんを、なのだが。

「どうもこうもないって。おこんないでよ。鈴谷くんが来てくれたからそれでいいじゃん」

「そういうことを言ってるんじゃない。お前、だましただろ」

 だました? どういうこと?

「別にだましてはないって。うそは言ってないもん」

 子供のような口調でカズさんが言い返した。

「あの……何が、起きてるんでしょうか」

 二人の会話に全く理解が追いつかない。僕はだまされているのか? でも、来てくれと言われて来ただけだし。

「俺さ、鈴谷くんに『ライブ』をいて欲しいとは言ってないんだよね。『バンド』の音を聴いて欲しいとは言ったけどさ」

 カズさんがニヤニヤしながら、抱きつく腕に力を入れてきた。

 そこで初めて、ある可能性に気が付いた。

「まさかっ」

「そう、そのまさか。鈴谷くん、今日のライブに出てよ!」

 一瞬、僕の世界から音が消えた。

 はめられた。念のためにベース持って来いだなんて、つうに考えたらおかしい。けれど、ライブ後にまたセッションしたいのかなくらいにしか思ってなかった。浅はかな自分をなぐりたい。

 そして、カズさんが抱きついてきたのも、最初から僕を逃がさないため。そして順さんが、カズさんもろとも僕を引きずってきたのも、その意図が分かっていたからだろう。

 ぼうぜんとしつつ、目の前の順さんを見ると、あわれむ視線とかち合った。そんな目をするくらいだったら、僕を逃がしてほしい。けれど、順さんも逃がしてくれる気はないようだ。

「無理……帰ります!」

 僕は逃げ出そうともがくが、カズさんにがっちりとかかえ込まれてびくともしない。

「ごめんね。でもさ、鈴谷くんに逃げられると、俺ら困るんだよ。ベースがなくなっちゃう」

「そ、そんなわけないですよね。動画見ましたよ。すごいベーシストがいるじゃないですか」

「動画見てくれたんだ。よっしゃ」

 カズさんが変なところに食いついて喜んでいる。

「カズ、早く説明しないと」

 順さんが時計を見た。

「やべ。じゃあ、鈴谷くん。簡潔に説明すると、俺らのバンドには今ベースがいません。動画にいたやつだつ退たいした。んで、とりあえずサポートメンバー入れてライブ活動してたんだけど、今日はそいつも呼んでません。つまり、今日は鈴谷くんがベースをいてくれないと、ライブが出来ないんです!」

 噓だろ。満面の笑みで言われても、本当に困る。だって、観客はあの動画のベースと比べるだろう。僕なんかのベースじゃ、がっかりされるに決まってる。怒ってチケット代を返せと言い出すかもしれない。

 それにだ。そもそも人前で演奏するだなんて、引きこもりの落ちこぼれには荷が重すぎる!

「おい、カズ。鈴谷くんが顔面そうはくになってる」

「うそ、やばいじゃん。だいじようだよ、鈴谷くんなら楽勝だから。俺がたいばん押すから。それに今からリハーサルやるし、いきなり本番ってわけじゃないから」

 必死にカズさんがいろいろ言ってくるが、何をこんきよに僕なら楽勝って思えるのだ。今からリハーサルの時点で、もうアウトだろう。電話の時点で言ってくれれば、少しは練習できたのに……って、あの時点で言われたら百パーセントここには来てないな。それが分かってたから、カズさんはこんなきような手段を取ったのだろう。あぁ、頭が痛くなってきた。

「どんな結果になっても俺が責任取る。失敗したら俺のせいだし、成功したら俺のおかげ! だから何も考えず、ただベースを弾いてくれればいいから」

 ニシシと笑うカズさんに、ガクリと力がけてしまう。

「バカろう、成功したら鈴谷くんのおかげに決まってんだろ!」

 するどいツッコミが順さんから飛ぶ。

 すると、カズさんがぎゅっと腕に力を入れなおしてきた。逃がすつもりは絶対にないのだと伝わってくる。

「大丈夫。鈴谷くんは、俺を信じて」

 しんけんなカズさんの声。体中にじんわりと広がっていく。

 なんだかすいみたいだ。だんだん頭の痛みも、マイナスの感情もしていき、シンプルに、望まれているという事実だけが頭に残る。

 きっともう、もがきつかれていたんだと思う。

 だから、望まれるまま「うん」と、僕はうなずいていた。


 そこからは、あらしのようだった。今日のライブは三つのバンドが出演するらしく、出番は最初とのことだ。せめて後の出番なら、少しは練習も出来るのに。

 そして、ただでさえ慌ただしいのに、残りのメンバーであるドラムがおくれるらしい。

ようのやつ。急な補習で、ライブ開始に間に合うかみようだって」

 順さんが携帯をにらみつけながら言った。

「マジで? じゃあ、あいつはリハなしのぶっつけ本番か。いやぁ、しびれる展開だね」

 カズさんはごうかいに笑っている。ライブもバンドも初めての僕が言うことじゃないけれど、これって洒落しやれにならないくらい危ないんじゃないだろうか。

「鈴谷くん、そんな心配そうな顔しないで大丈夫だから。俺らいっつもこんな感じなのよ」

 カズさんが軽い口調で言うと、順さんが鬼の形相をかべた。

「確かにそうだが、たいていの原因はカズだろ。俺がどんだけスタッフやほかのバンドに頭下げてると思ってるんだ!」

「やだやだ、怒んないでよ。カルシウム足りてないんじゃない?」

「ゴラァ、おちょくってんのか」

 まずい、どんどんふんが険悪になっていく。言い合う声が、再び頭痛を呼び起こす。

 こんなことしてるくらいなら、演奏する楽曲を早く教えて欲しいのに。そう思ったしゆんかん、カズさんが姿勢を正した。

「じゃ、まぁ順さんや、陽が遅れてくることを念頭に、セットリスト考えますか。初っぱな、俺ら二人でやるとかどう?」

 カズさんが急にまともなことを言い出した。

「アコギのばんそうで歌うってこと? その……音が少ないけど大丈夫か?」

 順さんもさっきまでのいかりはどこへやら、神妙そうな表情で返している。

「なになに、心配してんの? 大丈夫だってば」

「……それならいいけど。でも、一曲目は派手な方がよくないか?」

 当たり前のように相談し始めた二人に、もはや熟練ふうのような空気を感じた。

「でもさ、鈴谷くんの負担を減らせるし、一石二鳥じゃね?」

「なるほど。じゃあ、さすがにバラードじゃしっとりしすぎるから、アップテンポの『サマーリリック』でどう?」

「いいね! そうしよう。それから、俺のトークテクニックで時間をかせいで陽が来るのを待つ。んで、二曲目は『ヘブンリー』、三曲目は観客をあおる『ピーターパン症候群シンドローム』でしめよう」

 あっという間に、セットリストが決まってしまった。さっきまでくちげんみたいなことしてたくせに。起こりかけていた頭痛も、あんとともに消えていく。

「カズ、トークテクニックっていうけど、いつもグダグダだからな」

 順さんは半笑いだ。

「うっせ! 順はいつも一言多いんだよ」

「じゃあ、鈴谷くん。これ」

 順さんは、カズさんの文句を無視して、僕にタブわたしてきた。

「ど、どうも」

 受け取ったタブ譜は、数枚のはずなのにずっしりと重い。

「さぁ、やるぞ!」

 カズさんはりよううでを上げて、気合いを入れている。音をかなでることが、本当に楽しいのだろう。

 じゃあ、僕は? タブ譜を見つめ、自分に問う。じいちゃんがいなくなってから、楽しもうと思って音楽をしたこと、あったかな。


 本番までの空き時間で、弾くことになった二曲のコード進行を頭に入れこむ。出来ればタブ譜通りに弾ければいのにと思ったが、流石さすがに無理そうなので、イントロとエンディング部分だけ練習する。あとの部分は二人と相談し、ルート弾きにてつすることにした。

 そしてリハーサルだが、結論から言おう。僕の出来は散々だった。スタッフやほかのバンドの人達がフロアにいるじようきよう。妙に注目されていることにビビり、あせることで余計に体が動かないというあくじゆんかん。彼らにしつしようされているのが分かった。ゆいいつの救いは、あまりにきんちようしすぎて、音いをするゆうすらなかったことだろうか。

 カズさんと順さんは、大丈夫、本番がんろうなと言ってくれたけれど。僕はもうげ出したくて仕方がない。けれど、バンドの黒いTシャツを着させられ、かみの毛をふわふわにセットされ、譜面に気を付ける部分を書きこまれると、つい気になって練習してしまう。流されやすいこの性格が本当にうらめしい。

 そして、リハーサルで知ったことだが、カズさんは基本的にはライブ中にギターを弾かないらしい。歌うことと、観客を煽ることにパフォーマンスの重点を置いているからだそうだ。だから、僕が見たギターを弾くカズさんの動画は、かなりレアなものとのこと。でも、あんなにはなやかなギターなのだから、ちょっともつたいないなと思う。


 時間は刻々と進み、本番十分前になった。いまだにドラムの人は来ていない。僕はベースをかかえ込むようにして、曲を体にめ込んでいた。そんな僕の横で、カズさんと順さんは意外と余裕そうにしている。あんなひどいリハーサルを見て、心配にならないのだろうか。

「なぁ順、鈴谷くんのバンドTシャツは何色だと思う?」

 カズさんのバンドTシャツは、全体は黒で左そでだけ赤い。

「黒でいいんじゃない?」

 順さんは鏡を見ながら、髪のセットをしている。順さんのTシャツの袖は緑だ。どうやら、メンバーごとに色が決まっているらしい。

「えー、それグッズのノーマルバージョンと同じになるじゃん。ちゃんと色味を考えようよ」

「じゃあ青にしとけば」

 順さんが言うと、カズさんはけんしわを寄せた。

「青は、なんかいやだ」

「あっそう。なら、むらさきとかは? 鈴谷くんのイメージ的にピンクやオレンジはちがうし」

「紫かぁ、いいかも。ちょっとダーティーな雰囲気でファンのハートをゲットしちゃう?」

 カズさんが楽しそうに笑う。よくこんな時に笑えるものだ。

「勝手に言ってろ。そろそろ時間だ。袖に移動しよう」

 順さんはカズさんを適当にあしらうと、ギターを持って立ち上がる。それにつられてカズさんも立ち上がり、僕に向けて手を差し出した。

「さぁ、行こう。楽しもうぜ」

 カズさんの言葉にうながされるように、こわごわと僕はその手を取った。

 楽しめるわけがない。だが、ここから逃げたくとも、逃げる勇気が出なかった。

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