Set list 2-1
平日の真っ昼間。父は仕事、母も外出しているから、家にいるのは僕だけだ。
のんびりとコーヒーを飲んでいると、携帯にメッセージが届いた。百パーセント、カズさんだろう。だから
あれ以来、毎日毎日
「読まなきゃ良いんだけど……未読がたまり続けるってのもね」
セッションは楽しかった。コミュ障の僕が、あんな風に他人と演奏出来ただなんて
これで再び会い、一緒の時間を過ごしてしまえば、
あの時、なぜ連絡先を教えてしまったのだろうか。まぁ、セッションの
僕の部屋の中は、樹海と化している。ベースとギターが置いてあるのはもちろんのこと、音楽を
僕はのんびりとパソコン画面を見ながら、新しい曲のリズムを組み始めた。
──コンコン
ドアをノックされた。いつも放置されているから、こんなこと
「……な、なに」
ドアに近寄り、開けることなく外の気配を
『陸、あなたに電話よ』
母の声がした。
「電話?」
母が呼びに来るということは、家の電話にかかってきたということだろう。どうせ
『赤塚くんって子よ。あなたに電話をかけてくるお友達がいるだなんて、知らなかったわ』
母の声が心なしか
「赤塚……て、カズさん?」
僕は部屋を見回し、自分の服のポケットを手で押さえた。目的の物は見当たらない。慌ててドアを開けると、僕の携帯を手に持つ母が立っていた。
「台所で鳴ってたわ。かなりしつこく鳴らしてきたから出たわよ」
僕は何も言えずに立ち尽くす。
「外に出るのは
母は、僕に携帯を
久しぶりに会話したけれど、相変わらず息苦しくなる。思わず、ぎゅっと服の
『もっしもーし、まだ繫がってんよ?』
携帯からカズさんの声が
「あ、あの、すみません」
母の失礼な言葉は聞こえてしまっただろう。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
『その謝罪は、着信もメッセージもすべて無視したことに対して?』
「……それは……それも、すみませんでした」
冷や
『もういいよ、今話せてるし。それより、来週の金曜日って
電話
でも、ライブなんて一度も行ったことがない。興味はあるけれど、正直、大音量に囲まれて平気でいられるのか自信がなかった。
「本当に、申し訳ないとは思ってます。けど、行ったらもっと
僕の言葉を
『気分が悪くなったら、その辺に座り込んでれば
それって本当に大丈夫なの?
でもカズさんの言葉に、心が
彼のバンドの音は聴いてみたい。けれど、ライブを見て体調不良を起こしたら
「でも、やっぱ──」
『でもは無し! 申し訳ないと思ってるんだったら、絶対参加! これは
「……行ったら、もうしつこく電話しないですか?」
仕方なくという
行ってしまおうか。どうしようか。
『うん、約束する!』
カズさんの必死さに僕は引きずられてしまう。
「分かり……ました。ライブ行きます」
『やりぃ。じゃあ、場所とか時間とか
カズさんの声は
その後、カズさんは日時と場所を送ってきた。そして、それと
ボーカル&ギターのカズさんを中心に、ギター、ベース、ドラムの四人。バンド名は『クライズシンドローム』。インディーズバンドのようだが、観客の盛り上がりは
それに、このバンドのベーシストはすごい。正確なビート、音の強弱、曲を心底理解した
ついに約束の日になった。僕は目立たぬように全身黒ずくめの服装で、念のため持ってきてと言われたベースを背負う。それにしても、念のためって何だろうか。
午後三時、あるビルの前に
しかし、目的地はここで合っているのだろうか。
困ってビルの前でうろうろしていると、ポンと
「え、謝らなくてもいいよ。ただ、入り口を探してるのかなと思って。六階に用事?」
僕よりも少し背が高い、ギターを背負った黒髪の
「……はい、六階、です」
「もしかして、鈴谷くん?」
心臓がおかしな音を立てた。突然、見知らぬ人に名前を呼ばれることほど
僕が何も答えられないでいると、それが答えとばかりに男の人は笑った。
「カズから話は聞いてるよ」
カズという名前に、恐る恐る顔を上げる。そして必死の思いで男の人の顔を直視してみたら、なんとライブ映像の人だった。
「あの、ギ、ギターの方ですか?」
「そう。俺、
一緒に行く? ライブ前なのに、僕がいたら準備の邪魔になるのではないだろうか。
そんな疑問は表情に出ていたらしく、順さんの
「ちょっと聞くのが怖いんだけど……カズから何て言われてここに来たの?」
順さんが
「何てって、その、えっと、ライブに来てと」
「それだけ……なの?」
順さんが
「そ、そうですね」
「あんのバカ! なんてことしやがる」
「あの、何か……僕、変なこと言ったでしょうか」
順さんが遠くを見るような仕草をした後、立ち上がった。そして、
「とりあえず、中に入ろうか」
少々
六階でエレベーターが開くと、折りたたみ式の机が置いてあり、CDやタオルやラバーバンドなど、スタッフらしき人が
カズさんはどうしてこの時間を連絡してきたのだろう。てっきりライブ開始の時間だと思っていたのだけれど。居たたまれなくなってきて、思い切って順さんに声をかけてみた。
「あ、あの」
構えすぎて、声が裏返った。
「何? 鈴谷くん」
「えっと、今準備中みたいですし、邪魔したくないので、また後で来ま──」
「大丈夫だから! ささ、気にせず奥へどうぞ。カズ、早く来い。鈴谷くん来てるぞ」
順さんは早口で
「やった。鈴谷くん、待ってたよ!」
声とともに、
「うぐっ……カズさん、く、苦しい」
「とにかく、奥の
順さんは
カズさんに抱きつかれたまま、細い通路を進むと、ドリンクカウンターが横に出現した。ここも準備真っ最中といった様子で、
「さぁカズ! どういうことか説明してもらおうか」
順さんが
「どうもこうもないって。
「そういうことを言ってるんじゃない。お前、だましただろ」
だました? どういうこと?
「別にだましてはないって。
子供のような口調でカズさんが言い返した。
「あの……何が、起きてるんでしょうか」
二人の会話に全く理解が追いつかない。僕はだまされているのか? でも、来てくれと言われて来ただけだし。
「俺さ、鈴谷くんに『ライブ』を
カズさんがニヤニヤしながら、抱きつく腕に力を入れてきた。
そこで初めて、ある可能性に気が付いた。
「まさかっ」
「そう、そのまさか。鈴谷くん、今日のライブに出てよ!」
一瞬、僕の世界から音が消えた。
はめられた。念のためにベース持って来いだなんて、
そして、カズさんが抱きついてきたのも、最初から僕を逃がさないため。そして順さんが、カズさんもろとも僕を引きずってきたのも、その意図が分かっていたからだろう。
「無理……帰ります!」
僕は逃げ出そうともがくが、カズさんにがっちりと
「ごめんね。でもさ、鈴谷くんに逃げられると、俺ら困るんだよ。ベースがなくなっちゃう」
「そ、そんなわけないですよね。動画見ましたよ。すごいベーシストがいるじゃないですか」
「動画見てくれたんだ。よっしゃ」
カズさんが変なところに食いついて喜んでいる。
「カズ、早く説明しないと」
順さんが時計を見た。
「やべ。じゃあ、鈴谷くん。簡潔に説明すると、俺らのバンドには今ベースがいません。動画にいた
噓だろ。満面の笑みで言われても、本当に困る。だって、観客はあの動画のベースと比べるだろう。僕なんかのベースじゃ、がっかりされるに決まってる。怒ってチケット代を返せと言い出すかもしれない。
それにだ。そもそも人前で演奏するだなんて、引きこもりの落ちこぼれには荷が重すぎる!
「おい、カズ。鈴谷くんが顔面
「うそ、やばいじゃん。
必死にカズさんがいろいろ言ってくるが、何を
「どんな結果になっても俺が責任取る。失敗したら俺のせいだし、成功したら俺のおかげ! だから何も考えず、ただベースを弾いてくれればいいから」
ニシシと笑うカズさんに、ガクリと力が
「バカ
すると、カズさんがぎゅっと腕に力を入れなおしてきた。逃がすつもりは絶対にないのだと伝わってくる。
「大丈夫。鈴谷くんは、俺を信じて」
なんだか
きっともう、もがき
だから、望まれるまま「うん」と、僕は
そこからは、
そして、ただでさえ慌ただしいのに、残りのメンバーであるドラムが
「
順さんが携帯を
「マジで? じゃあ、あいつはリハなしのぶっつけ本番か。いやぁ、しびれる展開だね」
カズさんは
「鈴谷くん、そんな心配そうな顔しないで大丈夫だから。俺らいっつもこんな感じなのよ」
カズさんが軽い口調で言うと、順さんが鬼の形相を
「確かにそうだが、
「やだやだ、怒んないでよ。カルシウム足りてないんじゃない?」
「ゴラァ、おちょくってんのか」
まずい、どんどん
こんなことしてるくらいなら、演奏する楽曲を早く教えて欲しいのに。そう思った
「じゃ、まぁ順さんや、陽が遅れてくることを念頭に、セットリスト考えますか。初っぱな、俺ら二人でやるとかどう?」
カズさんが急にまともなことを言い出した。
「アコギの
順さんもさっきまでの
「なになに、心配してんの? 大丈夫だってば」
「……それならいいけど。でも、一曲目は派手な方がよくないか?」
当たり前のように相談し始めた二人に、もはや熟練
「でもさ、鈴谷くんの負担を減らせるし、一石二鳥じゃね?」
「なるほど。じゃあ、さすがにバラードじゃしっとりしすぎるから、アップテンポの『サマーリリック』でどう?」
「いいね! そうしよう。それから、俺のトークテクニックで時間を
あっという間に、セットリストが決まってしまった。さっきまで
「カズ、トークテクニックっていうけど、いつもグダグダだからな」
順さんは半笑いだ。
「うっせ! 順はいつも一言多いんだよ」
「じゃあ、鈴谷くん。これ」
順さんは、カズさんの文句を無視して、僕にタブ
「ど、どうも」
受け取ったタブ譜は、数枚のはずなのにずっしりと重い。
「さぁ、やるぞ!」
カズさんは
じゃあ、僕は? タブ譜を見つめ、自分に問う。じいちゃんがいなくなってから、楽しもうと思って音楽をしたこと、あったかな。
本番までの空き時間で、弾くことになった二曲のコード進行を頭に入れこむ。出来ればタブ譜通りに弾ければ
そしてリハーサルだが、結論から言おう。僕の出来は散々だった。スタッフや
カズさんと順さんは、大丈夫、本番
そして、リハーサルで知ったことだが、カズさんは基本的にはライブ中にギターを弾かないらしい。歌うことと、観客を煽ることにパフォーマンスの重点を置いているからだそうだ。だから、僕が見たギターを弾くカズさんの動画は、かなりレアなものとのこと。でも、あんなに
時間は刻々と進み、本番十分前になった。
「なぁ順、鈴谷くんのバンドTシャツは何色だと思う?」
カズさんのバンドTシャツは、全体は黒で左
「黒でいいんじゃない?」
順さんは鏡を見ながら、髪のセットをしている。順さんのTシャツの袖は緑だ。どうやら、メンバーごとに色が決まっているらしい。
「えー、それグッズのノーマルバージョンと同じになるじゃん。ちゃんと色味を考えようよ」
「じゃあ青にしとけば」
順さんが言うと、カズさんは
「青は、なんか
「あっそう。なら、
「紫かぁ、いいかも。ちょっとダーティーな雰囲気でファンのハートをゲットしちゃう?」
カズさんが楽しそうに笑う。よくこんな時に笑えるものだ。
「勝手に言ってろ。そろそろ時間だ。袖に移動しよう」
順さんはカズさんを適当にあしらうと、ギターを持って立ち上がる。それにつられてカズさんも立ち上がり、僕に向けて手を差し出した。
「さぁ、行こう。楽しもうぜ」
カズさんの言葉に
楽しめるわけがない。だが、ここから逃げたくとも、逃げる勇気が出なかった。
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