第78話 やがて来る春  3

「長い間借りていたものを、返しに来た」

 漆黒の髪に紫の目の青年がこちらに歩いてくる。

 エルグヴィドーは歩み寄ってきた青年の姿に、言葉に、我が目を疑った。

「アディ?」

「いや、アートだ」

 彼の返事に、エルグヴィドーは期待した自分を胸中で罵る。ここはバッセル帝国帝都。アート……レイサラス家のケイラが歩いていても少しもおかしくはないのだ。

「随分と若い姿で……どこにでかけるつもりだ?」

 一瞬、微笑みかけたエルグヴィドーを見透かすように、ケイラが薄い笑みを浮かべる。

「妹の墓参りさ。そちらは、魔法騎士団の引継ぎかい?」

 バッセル帝国を離れるにあたって、エルグヴィドーは竜を手放さねばならず、その手続きのために幾度も帝都を訪れる羽目になっていた。もう完全に居はシーマ・カーンに移しているというのに。

「その通りだよ」

 憮然とした表情のエルグヴィドーに、ケイラは顔を顰める。

「嫌だねーこの男は。妹がいなけりゃ、にこりともしないんだから。私、あんたが泣いてるところも、ほとんどみたことない気がするよ」

「私も、物心付いてから泣いた記憶はない」

 淡々と返事をするエルグヴィドー。ケイラは肩を竦めてから、ややあってぽんと手を打った。

「そうそう。返さなきゃいけないものがあったんだよ」

 いそいそと胸のペンダントを外し、それを開くと、そこにおさまっていたとは思えないような、大きなピンクのブタのぬいぐるみが現れる。

「ちょっと汚れて傷付いてるけど、まぁ、大丈夫だろうさ。大事に抱いて寝てやっておくれ」

「なんで、私がぬいぐるみなど」

 眉根を寄せてから、エルグヴィドーはそのぬいぐるみはアディラリアが大切にしていたものだと思い至った。

 レイサラス家の近くの農場の子ブタを可愛がっていた幼いアディラリアが、そのブタが食用として市場に連れて行かれたことにショックを受け、沈み込んでいた時に、エルグヴィドーが『星の舟』の雑貨屋で見つけて送ってあげたものである。年季の入ったそれは、ケイラの言葉どおり、所々破れていて、それを丁寧に縫って伏せてあった。

「イージャって魔法使いが保管してたみたいで、レイサラス家に届いたんだよ」

 それだけ言って、来た時と同じく、ふらりと言ってしまうケイラ。

 薄汚れた子ブタのぬいぐるみを抱いて、エルグヴィドーはシーマ・カーンに戻った。



 ケイラが死んだと聞いたのは、その翌日のことだった。

 妹の墓参りから戻って、レイサラス家で彼女は静かに息を引き取ったという。



 その翌朝、葬儀に出席しなければいけないと、身支度をしてから、エルグヴィドーは屋根裏部屋のリィザに声をかけた。寝ぼけ眼を擦って降りてきたリィザに、レイサラス家の葬儀に行く旨を伝え、階段を降りていったエルグヴィドーは、玄関に立つ男に気付いた。

 漆黒の髪に紫の目、白い肌に黒い衣装。

「アート!?」

 今度こそ度肝を抜かれたエルグヴィドーに、男は無表情のまま、両腕を差し出してくる。


 その腕には血塗れの状態で、青い蔓草に傷口を塞がれて何とか生命を保っている、薄紫の光沢を持つ銀髪の美女……アディラリアの姿があった。


「随分遅くなったけど、借りていたものを返しに来た。長い間、悪かったな」


 そう言って、彼は肩を竦めて明るく笑う。

 アディラリアの笑い方だと思った。

 しかし、アディラリアは受け取ったエルグヴィドーの腕の中にいる。

「お前は……?」


「俺を、アディと同じく、愛してくれて、ありがとう」


 言い終えたアートの体は、薄れて消えていった。


 傷の処置が終わった後、、意識を取り戻したアディラリアは、今を、リィザを送り出した直後だと思っていた。彼女だけが過去ではなく、未来に飛ばされたらしい。

 傷が治った後、アディラリアがいくら魔法を使っても、彼女の姿がアートに変わることはなくなった。彼女の呪いもまた、とけたのだろう。


 こうして、語り継がれることのない英雄たちは、それぞれの時間に戻っていった。

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乱数世界の魔法使い 秋月真鳥 @autumn-bird

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