第77話 やがて来る春 2
二年ぶりに見た自分の家は、思ったよりも荒れていなくて、近付いてみてゼルランディアは驚いた。庭も完璧に整備されている。
そして、その庭には二年前よりもすんなりと背の伸びた少年がいた。
「お帰り、ゼラ先生」
手を振られて、ゼルランディアは力なく微笑む。
――ゼラ先生が戻ってこなかったら、この家と残った薬は全部俺が貰ってあげるから、安心してよ。
そんな軽口を叩いていた少年、エドリグはその言葉通りこの家をもらった気でいたのかもしれない。
「ただいま」
口にすると、駆け足で過ぎて行った二年間が頭をよぎって、ゼルランディアは目を伏せた。二ヶ月間、帝都を駆けずり回って探し続けたが、ルヴィウスは見つからない。遺体が見付かっていない。その事実だけを胸に、闇の中に沈みそうになる気持ちをどうにか立て直して今日まで生きてきた。
けれど、いつか突きつけられる決定的な真実を見たくなくて、ついにミルシェすら捨てて、家に戻ってきてしまった。
あの人は五年前に死んだのだ。
ほんの一瞬、夢を見ただけなのだ。
今ではそんな気すらしてくる。
全てが現実味を帯びず、自分が生きていることすら不思議に思えてくる。
「戻ってこないかと思ってたよ。先生、キエラザイト皇帝の子ども、産んだんだろ?」
口さがなくずけずけと物を言うエドリグに、ゼルランディアは苦笑した。皇帝政治を終わらせると言ったマイスは、ユナ・レンセのこともルヴィウスのこともすっかり忘れていて、ゼルランディアに執着した理由すらも分からず、皇帝政治が終わるのだから妾妃も必要ないだろうと、全ての妾妃に暇を出していた。
「戻らない方が、良かったですか?」
口に出してから、ルヴィウスとの思い出が詰まっているこの家まで失ったら、自分はもうどうやって生きていけばいいのかも分からないことに気付いて、ゼルランディアは暗澹とした気持ちになる。この家で待っていても、ルヴィウスは帰ってこないのだ。ルヴィウスはもう、どこにもいないのだ。
帝都を出る直前に、リィザとエルグヴィドーから、ユナ・レンセの孫の話を聞いた。
それを聞いた時、ゼルランディアは絶望した。
七十年以上前の人間はその時代へ戻された。
それならば、元々死んでいたルヴィウスは、墓の下に戻される。それが一番自然なのではないだろうか。
どれだけ否定してもそんな思いが拭えず、ゼルランディアはそれを確かめるのが怖くて、逃げるようにミルシェすらも手放して帝都を離れた。帝都を離れれば……最後にルヴィウスと会った場所から遠ざかれば、少しは怖くなくなると……ルヴィウスに愛された記憶の残るこの家に戻ってくれば、少しは強くなれるかもしれないと、思ったのだ。
しかし、門も潜らぬうちからゼルランディアは座り込んでしまいそうな絶望感に苛まれる。
「馬鹿言うなって、ここは先生の家だろ?」
エドリグに言われてゼルランディアはようやく顔を上げ、門を潜った。アーチに絡まる白薔薇はルヴィウスの好きな花。それは手入れが行き届いて棘に引っかかるようなこともなかった。
「これも、エドリグが?」
ゼルランディアの助手だったが、かなりの面倒くさがり屋のエドリグが薔薇の剪定まで行ったとは信じられず、ゼルランディアは目を丸くした。庭もよく見れば、様々な薬草が整然と植えられている。これはかなりの知識がないと集められず、育てられない。
「まさか。俺は手伝いに来てるだけだよ」
エドリグの言葉に、ゼルランディアの心拍数が上がった。
「もしかして……ルヴィウス……?」
呟いてから、口にするのではなかったとゼルランディアは心の奥底から後悔する。口に出してしまえばもう後戻りは出来ない。そんな気分になってしまう。
「いや。そもそも、ルヴィウス先生は五年前に死んだじゃないか」
案の定、返って来た言葉にゼルランディアは期待した分だけ深く落ち込んだ。
その時、二階から声がかけられる。
「遅いっ!」
低くよく通る声。
顔を上げたゼルランディアは、息を飲んだ。
灰色の髪と目に、ひょろりとした長身。不機嫌面のその人物は、二年前にルインと呼んでこの家に連れてこられた青年に違いない。
「お帰り、ゼラ」
しかし、微笑む表情の中に、ゼルランディアはルヴィウスの片鱗を見つけ出せた。ゼルランディアの目に涙が浮かんでくる。
「二年前、ゼラ先生がいなくなってすぐに、大怪我したルインが戻ってきてさ……大変だったんだぜ」
唇を尖らせるエドリグの言葉など、ゼルランディアには全く気にならなかった。玄関まで走り、扉を開け、階段を駆け上る。
「二年も前に戻ってきてたなんて……どうして、何も教えてくれなかったんですか?」
「あのね、私は未来を知ってるわけだ。しかも、ルインが同じ時間に二人存在するってのは、かなり奇妙な状態だよね。もし、私が介入することによって、未来が変わって、巨人が倒されなかったらどうしようと思って……」
と説明してから、ルインは軽く両手を掲げた。
「それに……ちょっと自信がなかったんだ。君が、マイス陛下を置いて私のところに戻ってくるか」
「馬鹿っ!」
背伸びしてルインの頬を引っ叩いてから、驚いて頬を押さえるルインに、ゼルランディアは思い切り飛びついた。
「愛してるって、言ったじゃないですか」
涙ながらのゼルランディアの告白に、ルインはちょっと目を瞬かせてからにっこりと微笑む。
「奇遇だね、私もなんだ」
灰色の目が青に変わり、髪が漆黒に変わり、あの冗談のように整った顔立ちの青年の姿に戻ったルイン……ルヴィウスはゼルランディアの小さな体を強く抱き締めた。
「私……あなたが死んじゃったと思ったから、悲しくて、ミルシェ、置いてきちゃいましたよ」
涙混じりに言うゼルランディアに、ルヴィウスは鷹揚に頷く。
「いいよ、取り返しに行こう。大丈夫、陛下の一人や二人、垂らしこんでみせるから」
「それはそれで、すごく嫌です……」
黒髪の赤ん坊のことを考えて鼻歌交じりになったルヴィウスに、ゼルランディアの抗議は届かなかった。
やがて来る春には、この庭に、白薔薇が咲き誇ることだろう。
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