第75話 王の墓石 6
気が付くと、リィザは漆黒の闇の中に倒れ込んでいた。
体を起こそうとして地面に手を付くと、右肩に激痛が走る。
「アート……?どこ?」
掠れた声で呼び、痛みに耐えて上半身を起こすと、頭が石にぶつかった。どうやらリィザは岩と地面の間にできた空間に倒れこんでいたようである。
這いつくばり、手を伸ばしてアートを探そうとして、その指先が生温い液体に触れてリィザは悲鳴を上げた。恐る恐る手を引き、その手を鼻先に近付けると、濃厚な血の臭いがする。
「アート!?アート!?」
叫んで、肩が痛むも気にせずに這い寄ると、黒い生き物が頭を潰されて長々と横たわっていた。
怯む心を叱咤して必死でそれを見据え、リィザはぼろぼろと涙を流す。
それはアートではなく、リィザとアートを乗せてくれていたトカゲ馬だった。
「ありがとう……ごめんね」
血に濡れたトカゲ馬の体を撫でリィザは少しだけ目を閉じ、それからまた這いつくばって周囲に手を伸ばす。
「アート?アート?」
漆黒の闇の中、石の隙間はどんどん狭くなり、すぐに終わりが来てしまった。僅かに指先が入るだけの隙間に、指を差し入れて必死に探すリィザ。
けれどアートの痕跡も見つからない。
「怖いよ……アート……アディ……」
どこにも光りもなく、ぐるぐると這いつくばって探しても出口になりそうなところもなく、リィザは絶望感に苛まれて泣きだした。
もう自分はここから出られないのだ。
折角、ユナ・レンセが命を懸けて送り出してくれたのに、逃げ延びることもできなかった。
ぐすぐすと泣くリィザの胸元が、ぼんやりと光りだす。
その光の源に気付いて、リィザは仰向けに寝転がって胸から涙型の透明な石を引っ張り出した。
「リィザ……?」
微かに聞こえた声に、リィザ素早くそちらの方を見る。指先くらいしか入らないような石の隙間から、白い指先が覗いていた。
「向こう側にいるの?怪我はない?」
涙を拭って問いかけるリィザの声に、白い指先が震える。
「大丈夫。光が見えたからそっちに手を伸ばしてみたんだ。リィザは怪我はない?」
その声はアートのものではなく、アディラリアのもの。
淡い光に照らされる白い指先に血が滲んでいた。リィザは痛む右肩のことを忘れ、答える。
「平気」
「良かった。……近くに、エルグが来てる気がする。お願い、エルグを呼んできて」
言ってから、白い指先が押し出すように若葉色に刀身が輝く細剣をリィザの方に押しやってきた。
「あ、アディは?」
一人で行くのかと躊躇うリィザの伸ばした手に、白い指先が押し出した細剣が触れる。
「実は、足を挟まれてて、動けないんだ。エルグが来たら、岩を退けられると思うから、お願い、呼んできて」
その声に雑音が混じっていることに、リィザは気付いた。アディラリアは重傷を負っているのではないだろうか。
「アディ!しっかりして!アディ?」
「大丈夫。その剣を持ってたら、エルグと呼び合えるはずだから。道を、開くよ。光が見える方に行って」
血の滲んだ白い指先が震えながら魔方陣を描く。
「すぐ戻る!すぐ戻るからね!絶対、絶対、待っててよ!」
目を凝らすと、アディラリアの示す先に光が見えたような気がして、リィザは這うようにして動き出した。
真っ白な光が彼女を包み込む。
右肩の大きな傷を負った少女が、下の地面の上に見えた時、エルグヴィドーは思わず竜から飛び降りていた。ゼルランディアを抱えたまま着地して、呆然としているゼルランディアを放って少女の方に駆け寄ると、若葉色に光る細剣を握った少女は、エルグヴィドーにすがり付いてくる。
「アディが、アディが、あそこに埋まってるの」
震える声で言って、振り向いた瞬間、少女、リィザは言葉を失った。
そこにあるのは岩でも瓦礫でもなく、土の道。
視線を遥か後方に投げると、丘の下に崩れた王城が霞んで見えた。
「そこ……」
アディラリアがいた辺りを指差しても、草の生えた土が見えるだけ。リィザは王城から遠く離れた、帝都を見下ろす丘の上に座り込んでいたのだ。
「アディは?」
強く肩を掴まれて、リィザは目の前が真っ暗になる。
今、そこにアディラリアの指先が見えていたのだ。ほんの間近に。
――死にたいなら止めはしないが。
魔法を使って転移できるかとアートが聞いた時に、ルヴィウスが答えた台詞が、リィザの頭の中を駆け巡る。
アディラリアは、リィザを騙したのだ。そして、命を懸けて転移の術を使ったのだ。
「どうして……アディ。お願い、アディを探して!あそこに埋まってるはずなの!生きてるの!お願い、探して!!!」
遥か遠くの王城には、『星の舟』からばらばらと魔法使いたちが降り立っている。
「探すよ。……ゼラ、リィザを」
呆然としていたゼルランディアだが、怪我をしているリィザを渡されて慌てて動き出した。けれど機械的に手が動くだけで、思考は全く動かない。
「ルヴィウスは……?ルヴィウスは?」
この場にいないことが答えのような気がして、ゼルランディアはその問いかけをリィザに発することはできなかった。
『星の舟』の全面的な協力で、何十人もの魔法使いを駆使して捜索が行われたが、三人は見つからなかった。
数日後、戻ってきた皇帝一団と合流して、エルグヴィドーは絶句する。
「地震が予知されて本当に良かった。あのまま、帝都に残っていたら、どれだけの被害があったことか」
ごく普通の表情で言うグラジナに、ヤン・ミランが同意した。
「魔法使いなんて信用ならないと思ってたら、そうでもなかったっすね」
彼らの表情には僅かも悲壮な色はなかった。
「サウスは……見つからなかった」
自分でも認めたくないことを口にするエルグヴィドーに、マイスが目を瞬かせる。
「サウス?誰だ?」
問われて、エルグヴィドーは言葉を失った。
「巨人は?ユナ・レンセのことは覚えて、いないのか?」
ぞっとして問いかけたエルグヴィドーに、グラジナどころか、マイスまでが不思議そうな顔で首を傾げる。
ユナ・レンセは七十年以上前に死んだ人間。
今、存在していいはずもない。
全てが終わった今、人々の記憶の中からも、彼は姿を消した。
巨人のことは誰も覚えておらず、エルグヴィドーが『星の舟』の魔法使いから『帝都に大地震が起こる』という予知をマイスに伝えた、という記憶に全て置き換わっているようだった。
どれだけ聞きまわっても、ギド・セゼン・サウス・レフィグル・ダイス・レンセの名前すらも、人々の中には残っていない。
ただ、ユナ・レンセは自殺せず、『月の谷』の王を退いた後に姿を消した、とだけ伝えられているようだった。
彼の身代わりとなって呪いを受けたラージェですら、サウスの名前も覚えてはいない。
その存在を覚えていたのは、エルグヴィドーとゼルランディアとリィザだけだった。
ゼルランディアはしばらく帝都に残って、地震で被害を受けた人達を助けながら、ミルシェと共に暮らしていたようだったが、帝都が落ち着いた後、ミルシェをマイスに預け、一人、カリンサ領の家に戻る。
マイスはグラジナと共に、王宮が崩れ落ちたのを機に、キエラザイト帝国の皇帝政治を自分で最後にするために、動き始めた。もしかすると、それこそがユナ・レンセの望んでいたことかもしれない。記憶から消え去っても、彼の意志は残ったのかもしれない。
エルグヴィドーはリィザと共に一度レイサラス家に戻ったが、そのままレイサラス家を去ることを伝え、自由都市シーマ・カーンのアディラリアの家に行った。
リィザはエルグヴィドーと共に、アディラリアの家に戻ったが、その『赤剣』の紋章故に『星の舟』で教育を受けることが求められ、それを拒めず、『星の舟』に向かうことになるだろう。
南方のシーマ・カーンにも雪が降る季節になって、庭の草花が輝きを失っても、エルグヴィドーはただ、妹を待ち続ける。
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