第74話 王の墓石 5
帝都の上空に飛び上がった青鈍色の竜の背で、エルグヴィドーに抱えられながら、ゼルランディアは嗚咽を堪えていた。涙が頬を伝い顎に流れ落ちていくのを止められない。
「戻って……お願い、戻って」
叫びすぎて掠れたゼルランディアの声に、エルグヴィドーは従ってはくれなかった。
しかし、エルグヴィドーも離れがたい思いがあったのか、竜は帝都の上空をぐるぐると回る。大きな影が過ぎって、見上げると『星の舟』が頭上にあった。
「堕ちるか……?」
エルグヴィドーの呟きに、ゼルランディアはびくりと身を震わせる。
「駄目!来ないで!堕ちちゃ駄目!あそこにはルヴィウスがいるんだから!」
ゼルランディアの呼び声に応じたのか、それともただ浮遊していただけなのか、『星の舟』は堕ちる気配を見せず、ただ頭上を通り過ぎていった。
ほっと胸を撫で下ろしてから、ゼルランディアは恨めしくエルグヴィドーを睨む。エルグヴィドーの能力は『魔法の無効化』。つまりは、ゼルランディアの魅了の力も通用しない。
なんという完璧な人選なのだと、ゼルランディアは本気でルヴィウスを恨んだ。
その瞬間、物凄い轟音とともに、キエラザイト帝都の王城が崩れ落ちる。
積み木を崩すようにあっけなく崩れていく、石造りの王城を見下ろし、ゼルランディアは悲鳴を上げた。
「ルヴィウス!?」
ゼルランディアが懇願するまでもなく、エルグヴィドーが息を飲んで竜の手綱を引く。
「降りるぞ!」
素早く抱きなおされたゼルランディアに触れたエルグヴィドーの手が、物凄く冷たいことに気付いて、ゼルランディアはようやく、彼も気が気ではなかったのだと気付いた。
エルグヴィドーと先を争って、『星の舟』からも魔法使いの一段が飛び降りてくる。彼らもキエラザイト帝都の様子を見守っていたのだろう。
巨大な石が崩れて落ちる音が耳がおかしくなりそうなほど響いていた。
駆け上ってユナ・レンセが巨人の王の胸に赤剣を振り下ろした瞬間、その体は一瞬で灰となって消えた。
終わる時をずっと待っていたかのように。
それと同時に、天井の石が砕けて崩れてくる。
「空間の門ゲートまで走れ!」
がくりと膝を付いたルヴィウスが、その背に倒れ込んできていたアートをユナ・レンセに押し付けた。ユナ・レンセの影から滑り出た漆黒のトカゲ馬の背に、ユナ・レンセはぐったりとしているアートと剣から人に戻ったリィザを乗せる。
片手を出されてルヴィウスは首を振った。
「悪い……年だな。走れない。置いていってくれ。ぎりぎりまで、魔法で、天井を、支えてやるから」
トカゲ馬はアートとリィザ二人だけで、もう一杯だ。ルヴィウスを抱えて走るだけの体力がユナ・レンセに残されているとも思えない。
それを読んでルヴィウスが言うのに、ユナ・レンセは笑顔で首を振った。
そして、馬トカゲの尻を叩く。
馬トカゲはリィザとアートを乗せて走り出した。
「奇遇だな。俺も、もう、無理だ。体が、崩れそうだ」
はっとしてルヴィウスが見つめたユナ・レンセの体には、もう呪詛の気配はない。
「どうして!一緒に来て!一緒に来てよ!」
馬トカゲの背中でリィザが叫ぶのが聞こえた。けれど、足を動かせばもう、それが灰になって崩れだしそうな気がして、ユナ・レンセは動けない。
「責任とるって言ったじゃない!嫁の貰い手がなくなったら責任とるって……!」
リィザの鳴き声を聞きながら、ユナ・レンセは天井を見上げた。黒髪を括っていた青い蔓草を抜き取り、ルヴィウスはそれをリィザに投げる。馬トカゲから飛び降りようとしていたリィザは、アートとともに、するすると伸びる蔓草で馬トカゲの上に結び付けられてしまった。
轟音を立てながら、巨大な石がユナ・レンセの目の前に落ちてくる。
「手でも、繋ぐか?」
差し出したユナ・レンセの手を、落ちてきた岩で肩を切ったのか血塗れになりながらも、ルヴィウスは冷たく払った。
「十六歳以上の男には興味がない」
「ははっ。最後まで、冷たいな」
片手を額に当てたユナ・レンセの背中を切り裂きながら、砕けた石の破片が床に突き刺さる。
血飛沫の中で、男たち二人は声をあげて笑った。
「アート!起きて、アート!」
絡まる蔓草を解けず、石を避けて走るトカゲ馬の背中で、リィザはアートの体を揺さぶり続ける。魔法力全てをルヴィウスに渡してしまったのか、アートは蒼白な顔でぐったりとしていたが、しばらく揺すっているとその瞼が動き出した。
「……吐きそう」
頭が痛むのか、額を押さえるアートに、リィザはしがみ付く。
「どうしよう……二人が……」
「どうでもいい」
冷たく言い放つアートに、リィザは泣き顔になった。
「どうして?二人が、死んじゃう!死んじゃうんだよ?」
「まずは、自分が生き残ることを考えろ。全員死んで、どうするんだよ」
鋭く言われて、リィザは現状にようやく気付く。次々と落ちてくる岩は、今にも道を塞いでしまいそうだった。
「あ、アート!」
頭上に落ちてきた人の体ほどもある巨大な岩を、アートは魔法を帯びた手で払う。岩は横に反れて落ちたが、アートの手から鮮血がほとばしった。
「血……」
「怪我したわけじゃないよ」
ただ、限界なのだ。命を削らなければならないほどに魔力を酷使しているから、体の血管が破れていっているだけなのだと、明るく言うアートの目は血走り、その白い顔には血管が浮き出ている。
「怖いよ……怖い……アディ……アディ」
降る岩を退けるたびに皮膚が破れ、血塗れになるアートの腕の中で、リィザはすすり泣いた。限界を超えていてもアートはリィザの体を庇うように抱き締め続けている。
これ以上アートが魔法を使わなくて済むように。全ての岩をトカゲ馬が避けられるように。
リィザはただそれだけを願った。
もしも、神というものがいるのならば、自分たちを助けて欲しいと、優しいこの魔法使いを助けて欲しいと、目を閉じてただ祈る。
その祈りも虚しく、幅も厚さも数メートルはあろうかという巨大な岩が天井から抜け落ち、リィザ達の上に落ちてきていた。
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