第72話 王の墓石  3

 静まり返った王城には、六人の魔法使いしかいない。


 褐色の肌に漆黒の髪、生成り地の神官衣を纏った長身の『月の谷』の魔法使い、ギド・セゼン・サウス・レフィグル・ダイス・レンセ こと、ユナ・レンセ。


 白いコートのフードを目深に被り、白い仮面を身に付け、灰青に光る不思議な金属のロングブーツと、同色の手甲……しかも、鉤爪のように指先の尖ったものを着けた六つ名の魔法使い、ニレ・ルイン・ルヴィウス・アッセンド・リシク・イリウ。


 淡い青緑色のワンピースを身に纏い、キエラザイト帝国の紋章の入った上着を羽織った、黒髪のキエラザイト帝国皇帝正妃、シノ・ゼルランディア・クローディス・イリウ。


 光沢のある黒いシャツと深い赤のズボンを身に纏い、淡い紫の光沢のある長い銀髪を緩く三つ編みにした、五つ名の魔法使い、レイサラス・アート・アディラリア・アージェンディー・アディウル。


 黄緑にも見える不思議な金髪を撫でつけ、華奢な銀縁のメガネをかけた、深緑のコートを身に纏う、レイサラス家の当主、レイサラス・エルグヴィドー・ザルツ・ルヴィン。


 そして、この豪華なメンバーにそぐわぬ、簡素なカントリー風のワンピースを身に纏った、痩せた赤毛の少女、リィザ。


 重厚な赤茶色の絨毯の敷かれた間の玉座の近くに立っていたユナ・レンセの姿を見て、大股で近付くルヴィウス。ゼルランディアはその腕にしがみ付くようにして必死についていく。ルヴィウスも背が低い方ではないが、長身で体格のよいユナ・レンセと並ぶとやはり細腕の優男という感が拭えなかった。

 けれど、小柄なゼルランディアにとっては腕にぶら下がらなければ付いていけないくらい、歩幅も違う。

 見上げると、ルヴィウスは仮面の奥の目を真っ直ぐにユナ・レンセに向けていた。そのことに一抹の寂しさを覚えて、ゼルランディアは空いている片手でそっと貧相な胸を押さえる。

 幼い頃は早く大人になりたいとばかり思っていた。ルヴィウスと肩を並べて生きていけるような存在になって、一緒に歩いていくのだと思っていた。けれど、時間が経てば立つほど……大人になればなるほど、埋められない時間と溝があるのだということが見えてくる。必死でいればきっとどうにかなると昔は思っていたのに、どんなに頑張ってもどうにもならないことを、実感せざるを得ない。

 諦めたくないのに、笑顔ですり抜けるルヴィウスを引き止められる気がしなくて、ゼルランディアは泣きたい気分になった。

「ゼラ、ここに」

 ユナ・レンセに招かれて、ゼルランディアは渋々ルヴィウスから離れる。純白のコートの袖を摘んでいた指は、未練がましく、一本一本引き剥がすようにしなければ離れなかった。緩慢な動作でゼルランディアがルヴィウスの元からユナ・レンセの元へ行く間、誰も文句など言わない。その無関心な優しさを、ゼルランディアは重く感じた。

「全員、手を繋ごうか。力エネルギーの循環だ。足りない奴は存分に借りて、余ってる奴はありったけ分けてやれ」

 ルヴィウスが口を開くと、粘度を持ったような重苦しい空気が、ふわりと軽くなる。

 笑みを浮かべながらアディラリアがリィザとエルグヴィドーの手を取り、エルグヴィドーがルヴィウスの手を取った。ルヴィウスはゼルランディアと手を繋ぎ、ゼルランディアが恐る恐るユナ・レンセと手を繋ぐ。

 リィザは思い切って手を伸ばし、ユナ・レンセのもう片方の手を握った。ユナ・レンセが金の目を驚きに見開き、リィザを見下ろしてくる。

 触れる互いの手から、力が流れ込んでくるような気がした。

「空間の門ゲートを開く。ちゃんと付いてきてくれよ」

 ユナ・レンセの声に、リィザは身を硬くする。アディラリアの白い滑らかな手と、ユナ・レンセの大きな暖かい手だけが、リィザを支えていた。

「出発か……さて、ちょっと頑張っちゃおうかな」

 目を伏せながらアディラリアは、口の中でぶつぶつと呪文を唱える。彼女の胸元辺りで何かが弾ける音が響き、白い胸に残る生々しい傷口の上で紅い花が咲き始めた。花と同じ深い紅色の蔓が腕に伸び、細い腰や胴体にくるくると巻きつき、足にまで這い、服の模様のようになる。

 それと共に、アディラリアの薄紫の光沢のある銀の髪が、漆黒に変わっていった。

 長い睫毛を持ち上げて、再び前を見据えた顔は、すでにアートのものになっている。


『誓約の門よ、開け』


 ユナ・レンセとアートとゼルランディアの声が重なった。

 玉座が光りだし、白色の魔方陣が広がる。その魔方陣は部屋中の床に広がり、目を焼くほどに眩い閃光を放った。

 眩さに目を閉じ、開いた時には、もうそこは玉座の間ではない。柔らかな絨毯は消え失せ、湿った石の床にかび臭い石の壁……天井がドーム上になった妙に広い空間が六人の周囲に広がっている。灯りの全くないその空間は、何故か闇と光を絶妙に混ぜ合わせたような灰色で、ぼんやりとしか周囲が見渡せなかった。

「広い……」

 思わずもれたリィザの呟きに、ユナ・レンセが繋いでた手を離して、背に手を添えてくれる。

「まだここは入り口だ。この先はもっと広い」

「ここしか来たことないのに、見てきたようなことを言う」

 軽蔑の眼差しを向けるルヴィウスに、ユナ・レンセは拗ねた表情になった。

「シャーザーンに、教えてもらった!」

「嘘かもしれないぞ?」

「ひ、酷い!俺に嘘を教えることに何の意味があるんだよ?」

「馬鹿をからかうと、楽しい」

 必死に弁解するユナ・レンセに、ぽんぽんと皮肉なことを言い返すルヴィウス。口ではルヴィウスに歯が立たないことを知っているのに、立ち向かわずにはいられないユナ・レンセに、エルグヴィドーが呆れ顔になった。

「さっさと先に進もう」

 淡々と言うエルグヴィドーの肩に手を回し、アートがくすくすと笑う。

「男色家ホモの王様ユナ・レンセは幼児愛好者ペドフィリアの師匠といちゃついてろ。俺らは行こうぜ」

「ゆ、ユナ・レンセ!?」

 アートの言葉に、ゼルランディアが物凄い目で睨んできて、ユナ・レンセは反射的に両手を掲げた。情けない表情に脱力して、ゼルランディアは素早くルヴィウスの腕に自分の腕を絡ませる。ルヴィウスは、ゼルランディアの手を宥めるように軽く叩いた。ルヴィウスの手甲ガントレットは滑らかで、彼の体温が伝わっているのか、何故か冷たくない。

「変態黒男と同類項で括らないでほしいな」

「フツーに生きてる人間からしてみれば、どっちも同じだよ」

 長い舌を突き出すアートに、ルヴィウスは刃物のように薄く微笑んだようだった。仮面の奥の青い目が鮮やかさを増して、エルグヴィドーが思わずアートを肘で後ろに追いやり庇う。

「アディを垂らしこむつもりか?」

「おや……レイサラスの保護者様は怖い、怖い」

 軽口を叩いてから、ルヴィウスはゼルランディアがしがみ付いているのと反対の手を、広げて掲げた。


「光蟲よ、愛しき我がよ」


 短い詠唱に応じて、ルヴィウスの手甲の爪が粘土のように柔らかく変形し、光る羽根を持つ六つ足の蟲が生まれる。手甲を這い上がって肘にとまった蟲を乗せたまま、ルヴィウスは壁際に向かった。

 壁には青色に鈍く輝く丸いものが一面、張り付いている。ぎょっとして、ゼルランディアが反対側の壁を見ると、そちらには赤色に鈍く輝く丸いものが一面に張り付いていた。

「う……ろこ?」

 ゼルランディアの呟きに、ユナ・レンセの傍で立ち尽くしていたリィザも驚いて周囲を見回す。

 ルヴィウスの肘にとまる蟲の放つ光に照らし出され、壁に埋まるようにしてぐるりと部屋の周囲を取り巻いている巨大な竜が、その姿を現していた。壁だと思っていたものは全て、竜の鱗だったのだ。

 ゆっくりと見回していたリィザの顔が、竜の顔の部分に向けられた瞬間、びくりと彼女の肩が揺れる。

 向き合うようにして地に伏せていた二つの頭が、僅かに震えていた。巨大な瞼が静かに開き始める。

「竜!竜がっ!」

 悲鳴を上げるリィザに、アートが緩く首を振った。

「動じるな。別に敵じゃないんだから」

 竜といえば時折、空を駆けるのを見るくらいで、傍に行ったこともないリィザにとっては、遠い存在である。しかも、この竜は騎士や魔法使いが使役しているものと違い、小山かと思うほどに大きく長い。

 それが二匹も目の前にいるのだ。

 正確には、輪になるようにして寝ている二匹の真ん中に自分たちはいるのだと理解した瞬間、リィザは膝が笑って立っていられなくなった。がくがくと座り込むリィザを、ユナ・レンセが片手でひょいと抱き上げる。

 抱き上げられて間近に見たユナ・レンセの金の目。

 漆黒の睫毛に縁取られたくっきりとしたその目を見ていると、少し落ち着いてリィザはどうにか震えを治めた。

 長い首を持ち上げ六人を見下ろす二匹の巨大な竜。

 その竜の前に、ルヴィウスから離れてゼルランディアが歩み出る。


「私は、アスティール・マイス・キエラザイトの正妃、シノ・ゼルランディア。私は、アスティール・フィオ・キエラザイトの意志を継ぐもの。道を開けて下さい」


 青と赤のガラス玉のような二対の目がじっとゼルランディアを見つめた。

 品定めするような視線を、ゼルランディアは受け止め、強く見返す。ゼルランディアの黒い目が深い緑色に変わった。

「千年以上もの長き間、ご苦労でした。……ごめんなさい」

 僅かに震えたゼルランディアの声に、二匹の竜は微笑んだようだった。

 そして、そのまま再び瞼を閉じる。

 閉じた瞼から、ぼろぼろと崩れ、灰に変わっていく二匹の竜の姿に、ゼルランディアは思わず口元に手をやった。抑えても堪えても、涙が出てきてしまう。


 千年以上もの間、死ぬこともできず、ただ主の命を守り続けた二匹の竜。

 もう自分たちの形を保っていることすら、限界だったのだろう。


 両手で顔を覆って泣き出したゼルランディアを、歩み寄ったルヴィウスが後ろから抱き締めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る