第71話 王の墓石 2
光沢のある黒いシャツと深い赤の細身のズボン。
彼女にしては珍しい格好で、アディラリアは椅子に腰掛けていた。時々組んだ足を組みかえるのは、考え事をしている時のアディラリアの癖である。
ずぅんと地を揺らす地響きが時折響く。それはアディラリアが帝都に入ってから頻繁に起こっていた。
地揺れに怯えて駆け寄ってくるリィザを、アディラリアは膝の上に抱き上げる。
何も言わぬまま抱き締めるアディラリアの鎖骨辺りに、リィザは額をつけた。アディラリアの体からは甘い花の香りがする。
地鳴りの他は気味が悪いほどに静まり返った王城。
目を閉じるとアディラリアの鼓動が感じられる。死んでしまった母のことは余り覚えていないが、アディラリアに抱き締められると心が静まっていくような気がして、母とはこんなものだっただろうかと思い巡らせた。
その時、戸を叩く音が聞こえて、リィザは思わずアディラリアの膝の上から飛び降りる。十歳にもなるのになんて子どもっぽいことをしてしまったのだろうと赤くなるリィザに、アディラリアは眠たげな目でおっとりと微笑んでから、椅子から立ち上がった。
部屋の主が戸を開けるまでは自ら開けない。そんなことをするのは兄に違いないと踏んで戸を開けると、案の定エルグヴィドーが立っていてアディラリアは呆れ顔になった。
「さっさと入ってくればいいのに……」
「全てが終わったら、私はレイサラスを出ようと思う。そうなれば、もう兄妹ではない。だから、軽々しく部屋に入るわけにもいかないだろう?」
戸の外に突っ立つエルグヴィドーに、アディラリアは目を見開く。
「レイサラスを……エルグが?」
自分がレイサラス家を後にすることはあっても、兄がそうすることはありえないと思いこんでいたアディラリアにとっては、その言葉は衝撃的だった。
「他の爺婆たちが、何て言うか……」
「巨人が倒されれば、レイサラス家も存在意義を失う。そうだろう?」
そう告げてから、エルグヴィドーは自分の腰の細剣を鞘ごと抜いて、その柄をアディラリアに示す。差し出されて鞘ごと受け取ろうとしたアディラリアに、エルグヴィドーは小さく首を振った。
否定されて訝しげに眉を寄せつつ、アディラリアはエルグヴィドーに促されるまま、彼の細剣の柄を握る。
よく見れば、エルグヴィドーはバッセル帝国の魔法騎士団のサーコートを纏ってはいなかった。華奢な銀の縁のメガネをかけ、濃い緑のコートを纏い、ベージュのズボンをはいた彼。靴だけはいつも履いている純白のブーツだった。
「魔法騎士団はどうするの?」
「……追唱」
はぐらかすように命じられて、アディラリアは顔を顰める。文句を言おうと口を開くが、先にエルグヴィドーが唱え始めたのでそれも封じられた。
「エルグヴィドーの名において宣誓する。この剣は私の命、この刃は私の魔法。私の血と肉と魂を、この剣に託す。この剣は私の心折れるまで、決して折れず失われない。永遠に汝を守る」
「エルグ?」
戸惑うアディラリアに、エルグヴィドーは平素どおりの静かな声で命じる。
「いいから、追唱しろ」
「エルグヴィドーの名における宣誓を受諾する。この剣は彼の命、この剣は彼の魔法。彼の血と肉と魂を、この剣に映す。この剣は彼の心折れるまで、決して折れず失われない。永遠に私を……守る」
呆然としながら追唱したアディラリアに、エルグヴィドーは細い顎を反らせて「剣を抜け」と伝えた。
ゆっくりとアディラリアが細剣を抜くと、若葉色の光を宿す刀身が姿を現す。
「お前に預ける。必ず、返しに来てくれ」
鞘だけを素早く腰のベルトに戻すエルグヴィドーに、アディラリアは苦笑した。
「心配性だな」
「大切なものを大切に思って何が悪い」
淡々と言うエルグヴィドーに、アディラリアは一瞬目を見開いてから、困ったように笑う。
刹那、あっという間に抱き寄せられて口付けられ、アディラリアは紫の目を見開いた。間近にメガネのレンズが見え、その奥に黄緑にも見える不思議な色の睫毛が伏せられている。
唇にキスを受けた後、頬と瞼に口付けを落とされて、アディラリアは平手で軽くエルグヴィドーの頬を叩いた。
「リィザが……見てる」
「構わない」
長い前髪をかき上げ、眉間と額にも口付けを降らせてから、エルグヴィドーはようやくアディラリアの体を開放する。ほんのりと赤くなった目元を隠すように片手を顔に添えてから、アディラリアはいつもの通り平然としているエルグヴィドーに不満そうな顔になった。
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