第70話 王の墓石 1
ドアノブを握った瞬間に、扉が内側から開いてゼルランディアは驚きに息を飲む。悲鳴を上げかけたゼルランディアに、扉の中から出てきた人物が僅かに首を傾げた。
「ゼラ、大丈夫?怪我はしなかったか?」
白いコートのフードを目深に被り、のっぺりとした白い仮面を身に付けたその人物。秀ですぎた容姿のために注目されることも、何か言われることも大嫌いな彼は、顔の片側半分が醜く崩れ落ちた日からずっと仮面をつけていた。だから、ゼルランディアにはそちらの方が見慣れた顔だった。
「ルヴィウス、あの、王様ユナ・レンセが準備が整ったと……」
言いながら仮面の奥の青い目を覗き込むと、そこに優しい色が宿ってゼルランディアはほっとする。避難が進む中、王宮は日に日にぎすぎすと音がしそうなほどの緊張感に満たされていた。
尖った爪先の手甲ガントレットをつけたルヴィウスの手が、ゼルランディアの頭に乗って軽く髪を掻き回される。子ども扱いを去れてゼルランディアは少しむくれたが、すぐに微笑んでルヴィウスの白い仮面に手を添えた。
「これ、取ってもらえません?」
「どうして?」
問い返されてゼルランディアは目元を赤く染める。
「き……キスが、できないから……」
消え去りそうな小声で答えるゼルランディアに、ルヴィウスは喉の奥で笑った。
「そういうのは、大事に取っておけばいい」
もう一度髪を撫でられて、ゼルランディアは愕然とする。
ニレ・ルヴィウスは十五歳までの子どもしか愛さない。
彼は幼児愛好者ペドフィリアであり、幼女愛好者ロリィタである。
そんな噂をゼルランディアは幾度も耳にした。
ゼルランディアの前に彼は何度も子どもと共に暮らしていたという話を『星の舟』の魔法使いから聞かされたこともある。
誰もが十六歳になる直前に、ルヴィウスの傍から追いやられたのだと……ゼルランディアも十六になれば追い出されるのだと、彼らは言った。
――結局、俺の進む先に光りなんてない。
ルインを追いかけて帝都に入った二年前に、ゼルランディアを見てルインが言った言葉。
あれは確かにルヴィウスの言葉だったのだと今更ながらに思う。
盲目的に父親のように慕うだけの子どもが、大人になった時、六つ名の魔法使いである彼……顔の片側が醜く崩れた彼を、重荷に思い厭う前に、彼は遠ざける。その臆病が優しさではないと言い切って、ゼルランディアは自分が十五のうちに婚姻を結んでくれるよう、頼み込んだ。
誰かの代わりでも良かった。
一人、心細く石段の上に座って、死刑宣告を待っているような気分だった自分を、暖かく救い上げてくれたのは、彼だった。細やかに愛情をかけ、丁寧に育ててくれたのは彼だった。幼い頃から俯いてばかりいた自分を抱き上げ、空に近付けてくれたのは、間違いなく彼だった。
それなのに、彼は自分を全く信じてなどいない。
――ゼルランディア、私が死んだら、他の男を愛せ。私のことは忘れろ。
死の床で彼に告げられた時、ゼルランディアの心は粉々に砕けた気がした。
自分はこんなに愛していて、手放したくない、全て手に入れたいと切望しているのに、彼はこんなにも容易く自分の手を放そうとする。
「ルヴィウス、私は、あなた以外とキスしたいと思ったことは、ありません」
硬い表情で言うゼルランディアに、ルヴィウスは肩を竦めた。
「お互い、親離れ、子離れすべきだったな。もっと早いうちに」
出会ってからの年月全てを否定する言葉に、ゼルランディアは青ざめる。
「あなたを、親と思ったことはありません!最初から、あなたは私を、花嫁って言ったじゃないですか!」
責める口調になるゼルランディアに、申し訳なさそうにルヴィウスがぽんぽんと肩を叩いた。
「レンセから聞いただろう?私は『魅了』の能力者だ。幼い君に錯覚させるくらいのことは、簡単にできる」
「私も同じ能力の持ち主だから、打ち消し合うと王様ユナ・レンセは言いました」
食い下がるゼルランディアに、ルヴィウスは仮面の奥で微笑むだけ。
涙目になってしまったゼルランディアの肩を抱き込むようにして、ルヴィウスは歩き出す。布越しに伝わる体温が切なくて、ゼルランディアは無様に泣き出してしまわないように必死で堪えていた。
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