第67話 時待ち  4

「リィザ……アディは?」

 鷲の形の杖から映し出された二つ目の映像に話しかけるエルグヴィドーに、リィザの立体映像は驚きながら答える。

『キエラザイト帝国の王城に……』

『そっちに繋がないといけないね』

 舌打ちせんばかりのリオセリスに、リィザが問いかけた。

『アディに……何があったの!?何をさせるの!?』

 震える少女を安心させるようにエルグヴィドーが微笑む。

「なんでもない。大丈夫だ。そっちの通信は切るよ?」

「待って」

 リィザを安全な場所に遠ざけようとするエルグヴィドーの声を遮ったのは、ウェディーだった。

「君は、聞いていたよね、ルヴィウスの話を」

 シーマ・カーンのアディラリアの家で、よく分からぬままに目の前で始まった話を聞くともなしに聞いていたリィザ。彼女が魔法使いだということくらい、ウェディーにも分かっている。

 未だ、魔法使いとしての名前もないほどに幼くか弱いリィザ。

「『赤剣』の使い手が必要なんだ。盲目的に、純粋に、ユナ・レンセを信じ、命を預けられる魔法使いが」

 ウェディーの言葉に、リオセリスが深く微笑んだ。

『そうか……セフトの子どもだね、あんたは。よし、レイサラス家に入ることを許そう。今後、レイサラス・リィザと名乗りなさい』

 リオセリスとウェディーが何をしようとしているか気付いたエルグヴィドーとケイラが声を上げた時にはもう遅い。

 リオセリスの立体映像は、リィザの立体映像の手を掴んでいた。

「ウェディー……どうして?」

 責める口調で言い、睨み付けたエルグヴィドーにウェディーは俯く。

「子どもの純真に頼るくらいしか……もう、手はないだろう?」

 弱々しいウェディーの言葉を、ケイラは心底軽蔑し、顔を顰めた。



 イージャの家の化粧台の上に乗っている木彫りの子ブタから映し出されたのは、樽のような体形の女性。その女性はバッセル帝国に広く見られる皇帝の肖像画と酷似していた。

――力が欲しいか?

 問いかけられてリィザは息を飲んだ。

『リィザ、惑わされてはいけない』

 その映像の向こうからエルグヴィドーの声が聞こえてくるような気もするが、今のリィザは頭がいっぱいでそちらに注意を払うことはできない。

「バッセル・ドゥーラ・リオセリス皇帝陛下……」

 慌てて膝を付こうとするイージャに、リオセリスは苦笑した。

『やめておくれ。魔法使いウィザードに忠誠なく礼儀払われると、寒気がするよ』

 皇帝という地位の割りには、簡素なドレスのリオセリスを、リィザは穴が空くほど見つめる。皇帝にして魔法使いというリオセリス。バッセル帝国の皇帝の血筋には魔法使いが出やすいという噂を、正に体現したのが彼女だった。

「あたしがレイサラスを……」

 あまりのことに二の句も告げないリィザに、リオセリスは笑顔を向ける。

『レイサラス家の一員となるんだ』

 それはすでに決まったことのように響き、リィザは拒否の言葉を紡ぐこともできなかった。そもそも、リィザはバッセル帝国の騎士の娘である。皇帝に逆らうことなどできるはずもなかった。

「リィザ、返事をしないと」

 イージャに囁かれて、リィザは乾いた唇を舐める。答えようと思っても、どう答えていいのか分からなかった。どう答えてもこの状況は全く変わらない気がする。

「レイサラス家の一員になって、あたしは、何を、するんですか?」

 問いかけるとリオセリスは笑顔を作った。

『保険さ』

 指輪すらつけていない飾り気のない指が、リィザの平たい胸を示す。

『レイサラスの一員は決して兄弟を見捨てない。兄弟を守るためならば、どんな汚名も受けるし、憎しみも甘んじて受ける。そういう一族なんだ』

 透ける立体映像が示すリィザの体は幼く小さかった。こんな自分に価値があるのか。守られる存在なのか。

「あたしは、力が、欲しい」

『駄目だ、リィザ!アディが、そんなことを望むと思うのか?』

 リオセリスの向こう側から聞こえるエルグヴィドーの叫びを、リィザは首を振って振り払った。

『アディもレンセ王も、もう帰らぬつもりで戦う。だからこそ、ウェディーは彼らについて行くことを本能的に恐れるのさ。だが、あんたがいれば、アディは何があろうとあんたを連れて戻ろうとするだろう。あんたは、命綱になるんだ』

 皺に埋もれそうなリオセリスの目は、深い慈愛を湛えている。

「アディを、助けられるの?」

『そうさ。あんたの幼さと弱さが、アディとレンセ王を支える』

 詭弁だと、リオセリスの向こう側で誰かが言った気がした。けれど、リィザの心はもう決まっていた。

「あたしにできることなら、何でもします」

 リオセリスの笑みが深くなる。半透明の手が伸びて、リィザの手に触れた。

 一瞬、焼け付くような痛みが走って、思わず引いたリィザの左手の甲には、十字に似た簡単な剣の形が赤く刻まれている。

「『赤剣』だわ。実物を見ることができるなんて」

 息を飲むイージャの声が、現実味を帯びずにリィザの耳に入ってきた。


『魔法使いならば……力を求める魔法使いならば、誰にでも扱える代物だ。あんたは剣になったんだ。信頼する戦士に抜いてもらうのを待つ、真紅の剣に』


 体が熱く、世界中が赤く輝いているような気がして、リィザは思わず立ち上がる。鏡に映るリィザの髪は、驚くほど鮮やかな赤へと変わっていた。焦げ茶色の目はそのままなのに、それと同色だったはずの髪が、色を変えている。

 大気の中に潜む炎の気配が、今は驚くほど鮮明に感じられた。それどころか、イージャの生命の気配すらも、手に取るように感じられる。

『リィザ、すぐにそっちに向かう』

 悲しみの色の濃いエルグヴィドーの声が響いて、リィザはようやくその声に答える気になれた。

『武運を祈っているよ』

 リオセリスの声が酷く遠く聞こえたが、リィザは必死で深く頷く。



 レイサラス家の屋敷で忌々しく舌打ちするケイラ。彼女に一瞬だけ視線を向けてから、エルグヴィドーは歩き始めた。

 横を通り過ぎる時に見たウェディーの髪は、黒に変わっている。『赤剣』が変容させる前の彼女の髪の色はそうだったのだろう。

 ウェディーは俯き、エルグヴィドーの顔を見なかった。エルグヴィドーもこれ以上彼女を責めるつもりはない。

 誰を守りたいと思って、誰を切り捨てるかは、人それぞれ。

 レイサラス家のエルグヴィドーやケイラは兄弟たちが大切である。それと同じように、リオセリスは同じ系譜に連なるウェディーが大事なのだろう。

「ケイラ、全てが終わったら……」

「レイサラス家は解散するだろうね。そしたら、好きに生きるといいさ」

 戸口で立ち止まって振り返ったエルグヴィドー。その言葉の続きを汲み取って、ケイラは笑う。その表情はアートのそれを微妙に違う気がした。

「こんな時に言うべきじゃないのかもしれないが、あなたは、本当に女性なのか?」

 最後になるかもしれないと思い、疑問を口にするエルグヴィドーに、ケイラは白い手をひらひらを振る。

「全部が終わるまで私の寿命が保てば、答えてやるよ」

 『赤剣』の継承者だったゼルランディアの『姉』とされていたケイラは、アートと同じ姿形のままエルグヴィドーを見送った。


 魔法使いは誰もが異形で異端。

 その中でも極めて類稀ない能力を持っているものが、レイサラス家の一員として望まれ、選ばれる。

 歪んで醜い魔法使い達。

 それ故に、深い絆で結ばれたレイサラスの兄弟たち。


 ケイラもまた、妹を深く……妹としてではないくらいに、深く愛していたのではないだろうか。

 だから、『姉』としての位置に甘んじていたのではないだろうか。


 自分がアディラリアを愛しているように。


 玄関の上着掛けからコートを取り、エルグヴィドーは外に出た。

 片手を天に掲げると、青鈍色の翼竜が空から舞い降りてくる。

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