第65話 時待ち 2
化粧台の鏡の前に腰掛け、落ち着かない様子で足をぶらぶらとさせているリィザに、砂糖菓子を差し出してイージャはため息を付く。帝都で最近頻発している地震……ではない地響きが王城の方でしばらく続いたが、今は静まってしまった。
「アートは……」
小さく呟くリィザの言葉を拾ってやろうと、イージャが屈むと、リィザは俯いてしまう。焦げ茶色の髪が頬にかかり、リィザの表情は見えなくなった。
「私が邪魔だから、ここに置いていったの?」
くすんだピンク色の子ブタのぬいぐるみを抱き締めるリィザ。アートから手渡されたそのぬいぐるみは、年季が入っている。それは、場合によってはもうシーマ・カーンの家には戻れないかもしれないとルヴィウスが言った時に、アートがどうしてもと言って取ってきたものらしい。
化粧台の上には、アディラリアが通信用に使っていた木彫りの子ブタと、ツバメを象った燻し銀のペンダントトップが置いてある。
「そうだろうね」
正直に答えながら、ツバメの形のペンダントトップを摘み上げるイージャ。これがあのルヴィウスのものだと思うと、触っているだけで身の毛もよだつような気分になってくる。
慈悲深く、残酷で、気まぐれ。
一般的な魔法使い像とはそんなものだが、それにぴたりと当てはまる魔法使いといえば、ルヴィウス……そして、その弟子のアディラリアだとイージャは思う。
ただ利己的なだけの魔法使いも多くなった中、あれほどに気まぐれで、自分勝手で、そのくせ優しく、かと思えば残酷で残虐な魔法使いは、他にはいない。
「アディは、あたしに魔法を教えてくれなかった……文字とか、薬草の育て方とか、料理とか、掃除とか……そんなことばかりで……」
「魔法なんて使わない方が幸せに生きられるからさ」
言ってから、イージャは自嘲的に笑った。
「あたしはね、親友を殺したの。魔法使いは、国に振り分けられる決まりだから、彼女はバッセル帝国に、あたしはキエラザイト帝国に振り分けられた。彼女は、優しい魔法使いだった。そして、臆病な魔法使いだった。だから、命じられるままにキエラザイト帝国の一領主に呪詛を放った」
バッセル帝国からキエラザイト帝国への宣戦布告と、その行動はとられた。
何十人もの魔法使いが国境の町に集められた。
魔法使い同士の殺し合いは魔団法でも認められている。
国境の町で魔法使い同士の戦いが始まった。
「彼女は死にたくなかったのよ。怖かった。だから、殺される前に相手を殺してやろうと、幾つも魔法を放った。あたしは……それを止めるために、彼女を殺した」
――ツァオラをどんな風に殺した?彼女は命尽きる瞬間に、どんな声を上げた?
ルヴィウスの声がイージャの脳裏に蘇る。
――ちゃんと、最初に腕を折ったか?教えた通りに、魔法陣を描く手を封じ、次に喉を潰したか?目標ターゲットを定める目を抉ったか?魔法使いとしての矜持を粉々にしてやったか?
その通りのことをイージャは行った。
そして、功績が認められて四つ名になる時に、イージャは殺した親友の名前を負って生きることを決めた。
その後、前線に出ずにすむような呪詛研究所での仕事をイージャは望んだ。
「あたしも、魔法使いになればアディと殺しあうかもしれない……ってこと?」
青ざめた顔を上げるリィザに、イージャは静かに頷く。
「そうよ」
リィザは息を飲み、言葉を失った。
「でも……魔法の根源は生命にあるって……生きる素晴らしさを知らなきゃ魔法は使えないって、アディは言ったわ」
――全ての魔法の根源は、生命にある。息をするように……呼気より出でて、吸気に還るってのが、基本でね、全てが流転しながら循環しているのさ。ほら、草が生えて、それを食べる羊がいて、羊を食べる狼がいて、けれど死した後には狼は土へと還って草を育てるってね。
似合わぬ野良仕事の最中にアディラリアが言った言葉を、リィザはもう一度噛み締める。
――だから、魔法を理解するには、太陽の恵みを感じ、日々育つ草花を見て、人が人としてあるべき姿で生きる素晴らしさを知らなきゃいけないわけだよ。
魔法は明るく素晴らしく……それでいて残虐で惨い……。
アディラリアとアート。表と裏の姿が、それを体現しているような気がして、リィザは息苦しくなる。
力が欲しい。
大事な人を守れる力が欲しい。
けれど、その力こそが大事な人を傷付けるかもしれない。
ぐるぐると回る思考の渦の中で、頼るものを探すように、リィザは子ブタのぬいぐるみを強く抱き締めた。
バッセル帝国、レイサラス家の屋敷で黙り込むエルグヴィドー、ウェディー、ケイラ。その沈黙を破ったのは、魔法の通信だった。
『アート、久方ぶりだね』
突如、ケイラの杖の鷲が光り始め、その口から丸々とした女性の姿が映し出されたのに、エルグヴィドーは反射的に姿勢を正す。映し出されたのはバッセル・ドゥーラ・リオセリスに違いない。
「その名前はアディにくれてやったさ」
しわがれた声で答えたのは、ケイラ。その言葉に、ウェディーとエルグヴィドーは目を剥いた。
「あ、アート!?」
礼儀すらも忘れてケイラを指差すウェディー。
「その名はくれてやったと、言ってるだろうが」
不機嫌そうにため息を付くケイラの姿が、変わっていく。
白い髪は漆黒に、曲がった背は真っ直ぐに、皺だらけの肌は滑らかに。
「この姿も、声も、名前も、全てくれてやったさ。ユナ・レンセを威嚇するためにね」
切れ長の紫の目を細め、真っ直ぐな黒髪を片手で後ろに払うケイラは、細身で青年のような体付きをしていた。平らな胸にぴったりと合う細身の漆黒のドレスを纏う彼は、確かにアートと呼ばれる人物と同じ顔である。その苛立ったような表情もアートと酷似していた。
「アート……レイサラス・ケイラ・マリレーナ・ヘルマ……いや、あなたは五つ名か……つまり、レイサラス・アート・ケイラ・マリレーナ・ヘルマだったのか?」
レイサラス家の人員メンバーが記録された本の中で、ゼルランディアと対になっていたページに乗せられていた写真。それもまたアートと同じ顔の人物だったと思い至り、エルグヴィドーは自分の鈍さに呆れた。
彼女こそが、自分の姿を移して、アディラリアの裏側の姿を作り上げた魔法使いなのだ。
アートとアディラリアが同一人物であることは少し考えれば分かることだが、魔法で思考が断絶される上に……ケイラまでが加わってアートとアディラリアが同時に存在する状況を幾度か見せ付けられれば、素直なユナ・レンセなどはころりと騙されても仕方がない。
エルグヴィドーは哀れな親友に少し同情した。
『ユナ・レンセがウェディーを渡せとうるさいんだが……あの子に『赤剣』が使えるとは思えない。だから、レイサラスから魔法使いを一人、出して欲しい』
命じる口調のリオセリスに、漆黒の髪の青年の姿のケイラは、白い顎を反らせる。
「嫌だね」
『アート!』
「その名で呼ぶなと言っているのに、嫌味な婆さんだな」
がりがりと苛立たしく髪を掻き毟り、ケイラは身のこなしも軽く大きな机の上に飛び上がり、胡坐をかいた。そして、杖をエルグヴィドーに投げて寄越す。慌てて受け取ったエルグヴィドーの前に映し出され、リオセリスは顔を顰めた。
『レイサラスは、バッセル帝国のための家だろう?』
「そう言われて、私は愛しい妹を捧げた。そしてまた、大事な弟や妹を捧げろと言うのか?嫌だね。断わる」
バッセル帝国の犬、レイサラス家の鑑であるべき前当主の今までのイメージを全てぶち壊しにする言葉に、エルグヴィドーは唖然とする。
思えば、アディラリアにかけられた呪いも、全て、レイサラス家のためではなく、彼女を守るためだったのかもしれないと、エルグヴィドーは思い始めていた。
『これから大陸の存続をかけた戦いが始まるんだ。命令だよ、魔法使いを出すんだ!』
「誰が出たって同じさ。ユナ・レンセを純粋に信頼し命を預けられる魔法使いなんて、レイサラスにはいない」
ケイラの言葉に、エルグヴィドーは思わず口を挟む。
「だが……大陸が壊れてしまうくらいなら……私が……」
「ゼルランディアもそう言ってついて行った。そして、命を落とした」
睨み付けられて、エルグヴィドーは僅かに眉根を寄せた。
「死ぬことなど……」
アディラリアを乗せたこの大陸が壊れてしまうことに比べれば。
そう言い募ろうとするエルグヴィドーを後押しするように、リオセリスが続ける。
『ゼルランディアも、あんたのために戦ったんだよ』
愛する兄弟たちを乗せた大陸を救うために。
そう言われても、納得することのできないケイラに焦れて、リオセリスは呼んだ。
『埒が明かないね。アディ!アディ!』
しかし、呼ばれてリオセリスの前に映し出されたのは、紫色の光沢を持つ銀の髪の魔法使いではない。
焦げ茶色の髪の泣き出しそうな表情の少女だった。
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