第53話 正妃と宰相  3

 扉を開けた状態で、ヤン・ミランは凍りついた。

 ガラスのテーブルに乗り上げた状態で、皇帝の十二番目の妾妃が、向かいのソファに腰掛けている正妃に迫っている。しかも、正妃は魔法騎士団の団長を堂々と務めるような、二十代後半くらいの外見の引き締まった体付きの男前であった。

 その威風堂々とした男が、ソファにへばりついて怯えている様は、異様としか言い様がない。

「さて、ヤン騎士団長は、一体どうすればよいのか!?あぁ、人生最大のピンチだ。月の聖霊よ、物凄い場面を目撃してしまったボクの行く先を照らし出してください!口封じに三枚に下ろされる姿は、見たくありません!明るい未来だけをヨロシクオネガイシマス!」

 両手を組み合わせ大仰に天を仰ぐヤンに、素早くソファから飛び降りたユナ・レンセが歩み寄った。

「三枚どころか、真っ二つにしてやろう」

「嫌だー。ボクがいくら、あなたの崇拝者だからって、嫌ですよ、王様ユナ・レンセ!」

 拝むような動作を取るヤンはユナ・レンセ同様、褐色の肌の持ち主である。それはつまり、彼も『月の谷』出身であることを示していた。


 『月の谷』は傭兵の養成機関といわれる場所で、そこで生まれ育つ褐色の肌の戦士は極めて身体能力が高い。そのため、どの国の騎士団でも『月の谷』の兵士は歓迎された。

 それでも貴族や身分の高いものが中枢を占める騎士団の中で、『月の谷』出身のヤンが騎士団長になれたのも、全てグラジナの実力重視政策のお陰だった。


「自分のことを『ボク』と言うな、気色悪い!」

 女性には弱いが男性には容赦ないユナ・レンセが冷たく言い放つのに、ヤンは大げさに仰け反る。

「ひ、酷い、正妃!でも、その皮のブーツで踏んづけて欲しいなんて思っちゃう、ボクって変態?」

「変態だ!」

 言い切られて、ヤンは沈痛な面持ちで額に手をやった。

「正妃様と宰相様になら、踏まれても本望☆あ、でも、同性愛者ゲイじゃないぜ、俺は!王様ユナ・レンセと違って!」

「俺は男色家ホモでも、少年趣味ショタでも、幼女趣味ロリィタでも、近親相姦趣味インセストでも、ないからな!」

 言ってから、そこまで言う必要はなかったかと思いなおす間もなく、ゼルランディアがソファの上で盛大に吹き出す。それを見て、ヤンはにっこりと微笑んだ。


 年の頃は三十代前半。全身に紅い刺青を入れたヤンは褐色の肌に短く刈った黒髪の長身でがっしりとした体形の男だった。その少し目尻の垂れた青鈍色の目は、いつでもにやけているように見える。

 両脇にスリットの入った丈の長い魔法騎士団のものと違い、足の付け根くらいまでのサーコートを纏ったヤンは、見ているものに無骨な印象を与えるが、その垂れ下がった目がそれを中和していた。

 人柄もこの上なく親しみやすく友好的で、部下に慕われる団長ぶりを発揮しているという噂である。


「出産よりずっと、浮かぬ顔をしておいでと聞きましたが、笑った方が可愛いですよ、妾妃殿?」

 数日前に宰相のグラジナに求婚したのと同じ口で、もうゼルランディアを口説きにかかるヤンに、ユナ・レンセは皮の手袋に包まれた右手を突き出して牽制した。

「場も身分も弁えず盛るなよ、欲求不満の坊や?」

「俺はいつ死ぬか分からぬ身。蒔ける畑があれば、種を蒔いておきたい気分が、あなたにも分かるだろう?」

 当然のように言われて、ユナ・レンセはふるふると首を振る。

「まさか。そんな怖いこと、俺にはできないね」

 姉と妹で女性の怖さは充分知り尽くしたユナ・レンセの言葉を、ヤンは鼻で笑った。

「おや、狂戦士ユナの名をお持ちのあなたが、か弱い女性を恐れるとは」

「じゃあ、お前、グラジナ嬢が怖くないか?」

 真面目な顔で問いかけられて、ヤンも一瞬、沈黙する。

「怖い」

 ごく真面目な表情で答えたヤンに、ユナ・レンセは激しく同意した。しかし、ヤンはすぐに気を取り直す。

「しかし、可愛いものではないか。愛する皇帝陛下のために自らを犠牲にして盾となり剣となる……あぁ、美しい!」

 自己陶酔の境地に陥ってヤンが呟いた瞬間、ユナ・レンセの胸元が光りだした。

 ユナ・レンセは慌ててシャツの胸元に落としていた、革紐を引き出す。その先には、涙方にカットされ磨かれた透明の石が下がっていた。

 その石がぼんやりと誰かの姿を映し出す。

 それがグラジナだと気付いたヤンは、素早くサーコートの襟を正した。

「宰相様、今日も清楚で……」

『蒔ける畑ならばどこでも構わないのでしょう?わたくしは実をなさぬ役立たずの畑ですので、辞退します』

 全てを聞いていた風情のグラジナに、ヤンはがっくりと肩を落とす。それに構わず、グラジナの立体映像は、ちらりとゼルランディアに視線を向けた。


『ゼルランディア、即刻、後宮に戻りなさい。奴隷の身で後宮から出るなど……しかも、正妃の仕事場を訪ねるなど、恥を知りなさい。一番目の子を産んだとはいえ、あなたは正妃に直接話ができるような身分ではありません』


 凍るようなグラジナの眼差しと口調に、ゼルランディアはむっとして眉間に皺を寄せる。

「私の方があなたより七歳年長と記憶していますが、年長者に対してよくそのような偉そうな口がきけますね?」

 飛び散る火花に、ユナ・レンセが慌てて革紐を首から外し、恐れ戦いた様子でガラステーブルの上に置いた。二人の女性がにらみ合う様を至近距離で見ていたら、死なない呪いがかかっているユナ・レンセですら寿命が縮みそうだった。

『年など関係ありません。身分を弁えろと言ったのです』

「親の七光りで得た地位が、そんなに偉いのですか?」

 グラジナに言い返すゼルランディアの姿を見て、ユナ・レンセは彼女の印象を『お人好しで優しい』から『意外に負けん気が強い』に書き換える。

『魔法使いなどという、生まれながらの能力に頼り、人間を馬鹿にする輩の台詞とは思えませんね』

 冷ややかに微笑むグラジナに、ゼルランディアはもうすっかり平坦になった肉付きの薄い腹を撫でた。

「子は生まれを選べません。運だけで全てを見るようなあなたの目は、修正が必要ではありませんか?必要でしたら、私が診て差し上げます」

『どのような毒薬を処方されるか分からないので、ご遠慮申し上げます』

 微かに首を傾げて微笑むグラジナの表情に、全く動揺が見られないのに気付いて、ゼルランディアは眉間の皺を緩めて長く息を吐く。


「マイス陛下に『愛している』と素直に言えるような魔法薬をご用意しましょうか?」


『……黙りなさい』

 流石に腹が立ったのか、笑顔はそのままだがグラジナの声が低くなった。それに気付いて、ゼルランディアは立体映像のグラジナに詰め寄る。

「マイス陛下が私の寝室で囁いた言葉をお教えしましょうか?」

『無礼も程ほどになさい』

 平静な声だったが、グラジナの表情がすっと引き締まった。その顔がようやく二十一歳という年相応に見えて、ゼルランディアは微笑む。

 七歳年上であることと、子どもを産めないこと。

 その二つにこだわるグラジナにとって、更に七歳年上のゼルランディアがマイスの子どもを産んだことは、どれだけ巧妙に隠してもショックだったに違いない。

「『一人でいい。一人だけでいいから、子どもが欲しい。その子が生まれれば、もう妾妃など必要ない』」

『閨のことを軽々しく口にするのは、はしたないことです。用件は伝えました。ヤン騎士団長、彼女を後宮に戻して下さい』

 最後まで声を荒げることなく、グラジナは通信を打ち切った。

 二人のやり取りを息を飲んで見守っていた男性陣は、グラジナの姿が掻き消えると共に、「よく言った!」とゼルランディアに拍手を送る。

 ゼルランディアは息を吐き、無意識にチョーカーに指で触れた。

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