月の谷の魔法使い
第50話 正妃と宰相 序
白い。
どこまでも白い。
その瞼も、睫毛も、柔らかなドレープを作る薄絹に包まれた体も、長い髪も、全てが白い。
その白い生き物は、『星の舟』の中央にある白亜の塔の柱から生えていた。
両腕の半ばからと、腰から下を柱と同化させて、囚人のように俯いた顔は、肌も唇も全て真っ白だった。
触れてみればそれがもうすでに石と化していることが分かる。
千年以上前の英雄、シャーザーン。
未来を予見する先見の能力を持ちながら、生まれながらに起き上がることもできず、自分で歩くことすらできなかったという魔法使い。
視力も聴力も持たず、色素も持たず、性別すらも持たずに生まれてきたこの脆弱な生き物は、声帯も未発達で生涯言葉を話すことはなかったという。
代わりに、シャーザーンは魔法で直接他者に意思を伝えた。
ユナ・レンセがその意志を受けたのは、『月の谷』の王として即位した三年後……三十二歳の時だった。
――キエラザイト帝国地下の巨人の王が復活する。
――それを倒せるのはあなただけ。
――あなたがそれを成し遂げられなければ、『星の舟』は巨人の王に向かって堕ちるだろう。
――あなたに光を差し上げよう。
――どうか、巨人の王を討って欲しい。
生まれながらに視力が弱く、色彩を認識できなかったユナ・レンセは、段々と失われゆく自分の視力に気付いていた。
けれど、シャーザーンはそれを与えてくれると言い、事実、その日からユナ・レンセの視力は回復し、彼は色付きの世界を見ることができた。
戦場に身を置くものにとって、視力とは生死に関わる重大なもの。
それを与えてくれたことをユナ・レンセは感謝したが、次第にそれだけではないことに気付く。
彼はそれ以後、全く年をとらなくなったのだ。
それから、眠るたびに『星の舟』が堕ちる夢を見る。
それは段々と鮮明になり、強く強くユナ・レンセを突き動かした。
――ユナの名を持つあなたにしかできない。
シャーザーンの声が夢の中で響く。
自らの国を捨て、赤毛の魔女と共に巨人の王に立ち向かい破れ、再び体制を整えようと『星の舟』に入ってから、ユナ・レンセは初めて、シャーザーンを見た。
動くこともできず、生きているとも言えない、その姿。
けれど、シャーザーンは生かされている。
「俺が巨人の王を殺せば、あんたも開放されるのか?」
この囚われる生から開放されるのかという問いかけに、石と化したシャーザーンは答えなかった。
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