第48話 アディラリアと名無しのルイン 3
炎の剣……『赤剣』とは恐らく、大陸の建国史の中で、巨人を倒したとされるバッセル帝国始祖、ルーシャ・エジェリカ・バッセルの使った、剣を強化する魔法のことだろう。その魔法がバッセル帝国の火炎を操る能力に特化した魔法使いに受け継がれ、守られているという噂は実しやかに流れていたが、まさか、それが本当にあるとはアディラリアも思っていなかった。
「もう五十年も前になるだろうか。ユナ・レンセはゼルランディアと二人で、巨人を殺しに向かったんだ」
ルヴィウスの一言で、アディラリアの中で全ての事実が繋がる。
サウス……ユナ・レンセはキエラザイト帝国の地下に封じられた巨人を、殺したいのだ。
いや、誰かがユナ・レンセにそれを成し遂げることを課したのだ。
巨人の王が復活しないために、『星の舟』を作り魔法使いを育て、封印を強化し続けるために、『星の舟』と同化したと語り継がれる、シャーザーン。
おそらくは、シャーザーンがユナ・レンセに呪いをかけた。
巨人を殲滅するまで死ねない呪いを。
そして、幾度となく見せ続けたのだ。
巨人が復活した時に、『星の舟』もろともに巨人に突っ込んで堕ちていく自分の姿を。
「大陸の全てを人質にとって、ユナ・レンセを脅したんだ……」
来ない明日に絶望しながら、明けない夜を渡っている。あの金色の目を思い出し、アディラリアは両手で顔を覆う。泣きたくなどないのに、涙が滲んできて、しゃくり上げるアディラリアの肩をエルグヴィドーが抱いてくれた。
「ユナ・レンセは失敗した。彼は、その時には、巨人にまで到達できなかったんだ。アスティールの竜たちに阻まれて」
巨人王の屍骸上に都を築き、封印を守ったと伝えられる、初代キエラザイト帝国の皇帝、アスティール・フィオ・キエラザイト。竜使いであった彼の力は子孫に受け継がれなかったが、忠実な竜たちは永い眠りに入り、巨人を封印し続けていた。
その竜を退けることができず、赤毛のゼルランディアは命を落とし、ユナ・レンセもその体をばらばらに引き裂かれた。
けれど、呪いのために、彼は死ねなかった。気が狂うような痛みもそのままに、散らばった肉片を掻き集めて、彼はもう一度形作られ、剣を握らされた。
それは想像を絶する苦しみだっただろう。死んだ方がましだとどれだけ彼が懇願したか分からない。
けれど彼は復活して、また一から仲間を集めなければいけなくなった。
「ヴィルセリスは、ゼルランディアを愛していたんだ……私も、彼女が好きだった」
ゼルランディアの死を、ルヴィウスは自分の顔の半分が焼かれる痛みで知った。
ルヴィウスの美しさに、嫉妬したゼルランディアが彼の顔を焼いたのだと口さがない連中は言ったが、真実はそうではない。
ゼルランディアが何を思ってルヴィウスの顔を焼いたのかは分からないが、それが愛憎からではないことを、ルヴィウスは知っていた。けれど、ゼルランディアの死とともに、その噂は尾ひれをつけて広がってしまい、ルヴィウスもそれを止めることができなかった。
むしろ、ユナ・レンセが憎まれるくらいなら、その程度の噂など受けて立とうとルヴィウスも思ったのだ。
けれど、ヴィルセリスの目は欺けなかった。
ヴィルセリスはユナ・レンセがゼルランディアを殺したのだと思い……事実、彼の驕りが彼女を殺したのだが……ユナ・レンセを憎んだ。
「私が死ねば、ユナ・レンセはゼルランディアを奪いに動くだろうと、ヴィルセリスにも分かっていたんだ……。だから、一度は私の死を見届け、その後に復活させた……」
別の体を作り出し、死者の魂をそこに入れること。それがどれ程の邪法か……魔団法で禁じられた極刑を強いられる魔法か、分かっていてヴィルセリスはそれを使ったのだ。
ゼルランディアを奪われれば、ルヴィウスが怒り狂い、ユナ・レンセを殺すだろうと踏んで。
ゼルランディアの出産と『赤剣』の継承者との出会い。
その二つの要素が揃ってから、ルヴィウスの記憶が戻るように仕組んだのも、ヴィルセリスに違いなかった。
「なんて、悪趣味な」
眉根を寄せるアディラリアに、ルインは苦笑する。そして、軽く片手を広げて呟いた。
「ニレ・ルイン・ルヴィウス・アッセンド・リシク・イリウの名において命ずる。眼前のこの大気を切り裂き、道を作れ。いかなるものであろうとも、私の歩みを阻むものは許さない」
低く紡ぐその言葉は呪文に違いなかったが、それが発動する気配はない。それどころか、魔法の発動に反応する呪詛も、全く光りもしなかった。
「魔力を、失っているのか?」
ウェディーに問いかけられて、ルインは立ち上がる。ひょろりと高い背丈に、警戒して後退りするウェディーに、ルインは両手を掲げ、肩を竦めた。
「いや……できそうな気はする。多分、封じられているだけだ」
体中にびっしりと刻まれた呪詛に、魔法を封じるものが混じっていたとしても、おかしくはない。
「ユナ・レンセに会わなければいけない……」
移動の魔法を使うことを諦め、ゆったりと戸口に向かって歩き出すルインに、アディラリアが並んだ。
「彼を、殺すの?」
その問いかけに、ルインは悲しげに微笑む。
ユナ・レンセが巨人の王を殺さなければ、近いうちに巨人の王は復活し、立ち上がるだろう。
そうすれば、キエラザイト帝国の王都は崩壊する。
そして、シャーザーンが『星の舟』を巨人の王の上に落とすだろう。
『星の舟』の落下に伴ない、大量の魔法使いが命を落す。また、キエラザイト帝国の国民のほとんどがそれに巻き込まれて死ぬだろう。
「彼は、ユナ・レンセだ。『月の谷』に生まれた、狂戦士……彼でなければ、巨人の王は殺せない」
ルヴィウスの師匠であったゼルランディアを失ったユナ・レンセは、今、入念に準備をして、何一つ取りこぼしなく、完全に巨人の王を殲滅できる駒を集めていた。
その駒として求められたアート。
あの手をどうして振り払ってしまったのか、全てを悟った後で、アディラリアは深く後悔する。
けれど、まだ間に合うと足を踏み出したアディラリアを、エルグヴィドーが引き止めた。
「アディ、危険だ。ユナ・レンセも、何故、全ての情報を明かして、『星の舟』とバッセル帝国とキエラザイト帝国……そして、『月の谷』に協力を要請しないのだ?」
当然すべきことを指折り数え、そうすれば集められる魔法使いと騎士の数を試算するエルグヴィドーに、ルインはゆっくりと頭を振る。
「無駄だ。巨人の王の間に入れるのは、四人だけ」
先見の魔法使い、時待ちのシャーザーン。
烈火の魔法使い、緋のバッセル。
邪眼の龍使い、白青のアスティール。
そして、褐色の肌に金の目の狂戦士ユナ。
大陸の建国史に語り継がれる英雄は四人だった。
その四人以外が入れないように……つまりは、邪まな思いで巨人の王を復活させようとする輩が現れないように、巨人の王はキエラザイト帝国王都の地下に封印されている。
ユナ・レンセ。
そして、『赤剣』の継承者であるウェディー。
その二人を除けば、残りは二人。
その二人として、ユナ・レンセが誰を予定していたか、アディラリアには予測も付かない。
しかし、その候補の中にゼルランディア、アート、ルヴィウス、ティー、そして、キエラザイト帝国の皇帝アスティール・マイス・キエラザイトが入っていたことは間違いなかった。
「私も、行く」
歩き出そうとするアディラリア。けれど、その手が強く握られた。
見下ろすと、リィザが焦げ茶色の目で必死にアディラリアを見上げている。
「アディ……どこに、行っちゃうの?ルインも……?」
事態を飲み込めないどころか、何が起こっているのかも全く分かっていないであろう十歳の少女は、ただ、自分の大切な相手がいなくなることを怖がっていた。
アディラリアはリィザの小さな体を抱き締める。
「あなたのために、行って来るんだよ」
この大陸に生まれた命のために……。
大陸の人間全てを人質に取られたユナ・レンセの気持ちが、アディラリアには痛いほど分かった。恐らく、リィザと出会う前には、理解できなかっただろうその気持ち。
ルヴィウスが幼い日のゼルランディアを、愛しみ育てようと思った気持ちが、今更ながらに理解できる。信頼して全てを預けてくる目が、どれだけ重く責任を肩に背負わせることか。けれどその重みすら、心地よいと感じてしまう。
「置いていかないで」
しゃくり上げるリィザを抱き締めると、暖かく柔らかく、アディラリアは何故か懐かしい気持ちになった。かつて、エルグヴィドーがこうして自分を抱き締めてくれたことが、思いだされる。
「では、私も、アディのために戦おう」
ふっと視線を向けると、エルグヴィドーがアディラリアを真っ直ぐに見ていた。アディラリアが口を開く前に、エルグヴィドーは踵を返す。
「バッセルに戻る。レイサラス家の化け物どもから、引き出せるだけの情報を引き出してきてやろう」
振り返りもせずに出て行くエルグヴィドーの背中は、潔かった。
「り、理解できない。そんな、馬鹿げた話を信じるなんて」
毒づくウェディーをルインが静かに見つめる。
「僕は嫌だね。ユナ・レンセになど、協力するものか!」
叫ぶと共に全身が炎に包まれ、ウェディーの姿が掻き消えた。
けれど、近いうちに彼女の姿をキエラザイト帝国で見るだろうとアディラリアは確信する。
「ルヴィウス……いや、ルイン、行こうか」
緩く円形を描くアディラリアの指先から、空間が歪んでいく。淡い紫の光沢を持つアディラリアの髪が漆黒に変わり、眠たげな紫の目が吊り上がった。
扉を開くように空間を歪ませてこじ開けた時には、アディラリアはカードを裏返すようにアートの姿になっていた。
リィザは振り落とされないように、必死でアートにしがみ付く。
説得しようと口を開きかけるアートに、ルインが小さく首を振った。
そして、彼らはキエラザイト帝国に入る。
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