第45話 アディラリアと名無しのルイン 序
バッセル帝国の東、アルセス領の冬は厳しい。キエラザイト帝国の西北のティト・リト領及び西南のカリンサ領、そして北のリトラ共和国と接するアルセス領は、他のどの地域よりも争いが多い。領地は常に危険に晒され、軍が常駐するために娼館も増え、治安は悪化していくこの地は、常に貧しさと共にあった。
――一番目イー、二番目ジー、三番目ティエン、四番目セェト、五番目クラー、六番目ルイン、それから先は皆同じセペタ、山の麓に捨てられる。
――六番目ルインは橋の下、五番目クラーは人買いに、 四番目セェトは獣に食われ、三番目ティエンは逃げ出した、二番目ジーは病気になって、一番目イーは弟妹思い泣いている。
こんなわらべ歌がごく普通に歌われるアルセス領の外れの村で、少年は生を受けた。
幼い頃から毎日森に入り、水を汲み、枝を拾い、畑の雑草を抜いて、兄弟たちとほんの少しの食べ物を分け合って生きてきた。
冬の盛りには雪に閉ざされる山間の村では、魔法使いなどほとんど見ることもなく、時折頭上を通る『星の舟』の落す巨大な影に、その姿を見上げる以外、魔法使いに思いを馳せることもない静かな生活。
荒く編まれた籠に小枝をいっぱい背負って、かじかむ指先を白い息で暖めながら、少年は山を降りる。兄のお下がりのブーツは爪先が擦り切れて、解けた雪が冷たい水となって染み込んできた。
滑らぬように注意しながら降りる山道で、少年は一人の男に出会う。
襟に毛皮の付いた漆黒のコートと皮の手袋、頑丈そうな皮のブーツ。
軍の人間かと思い身を硬くする少年に、男はゆっくりと歩み寄ってきた。
「家に戻る必要はない」
男が触れただけで、少年の籠の紐が切れ、足跡が付いて汚れた雪の上に小枝が散らばる。驚き見た男の目は、闇の色をしていた。
「お前は売られたのだ」
無造作に、少年の体は男に担ぎ上げられる。
固まったように動かない足を、引き剥がす術はない。
こんな日がいつか来るのだろうと、分かっていた。
けれど、突然のことに少年は声も出せない。
雪の山で一人の少年が消えた。
彼の名前は、ルインといった。
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