第40話 アディラリアとその兄  序

 命じられて迎えに行った森の中は、木々がうっそうと茂っていて、気味が悪いことこの上なかった。踏んだ枝が折れる音にもビクビクしながら進んでいく少年。その髪は黄緑にも見える不思議な金色だった。

 レイサラス家のエルグヴィドー。

 エルグヴィドーの兄や姉は化け物もかくやという老獪な魔法使い達だったので、迎えに行く妹に、エルグヴィドーは淡い期待を抱いていた。


 けれど、それも森に入るまでのこと。


 田舎町の領主の子どもであるその魔法使いを狙うレイサラス家から逃れるために、その子の両親は馬車で森を抜けて行ったという報告を受けて、エルグヴィドーは急ぐ。

 十一歳の少年にこんな任務を任せるというのはおかしなことではあるが、レイサラス家の兄弟は一番年の近い者が迎えに行くのがしきたりらしく、エルグヴィドーは一人でやってきていた。

 魔法使いとか、そうでないとか以前に、とても美しい少女だと聞いていた。年はまだ七歳。愛くるしい盛りである。

 そんな娘を帝国の中枢を担う貴族に奪われると知り、両親が国を逃げ出したくもなるものだ。けれど、赤ん坊のときにレイサラス家に連れてこられたエルグヴィドーには、両親の情など理解できなかった。


 森の木々にはオーナメントのように死体がぶら下がり、それを食べに鳥たちが集まっている。

 根の絡まった木々に付着している血液や肉片も、黒く変色して腐臭を放ち始めていた。それは最早人間ですらない。 立ち込める腐臭にエルグヴィドーは凍りついた。

 近付くにつれて馬車の残骸や、馬の屍骸も見えてくる。それらは明らかに人智を超える力によって破壊されていた。

 見上げてよく観察してみると、ぶら下がっているのは人相の悪い男ばかりだと分かる。大方、山賊が森に入り込んできた馬車を狙ったのだろう。


 その中に、極めて恐ろしい化け物が入っているとも知らず。


 馬車に近寄ると、屋根が外れて露出した椅子の上に、何か白いものが丸くなっていた。

 警戒しながら近寄ると、その生き物がふっと起き上がる。


 紫の光沢のある長い長い銀色の髪、零れ落ちそうな紫色の目、幼いのに淫靡さすら感じる真っ白な肌、ほんのりと紅い小さな唇。

 裸の少女が、虚ろな目でぺたんとそこに座っていた。大きな目は泣き腫らして目元が赤くなっている。

「死んじゃった……殺したの。あたしが、殺したの」

 よく見ると、彼女の足元には男と女が折り重なるように死んでいた。女はどことなく少女に似ているので、彼女の両親だろうとエルグヴィドーは思う。

「あの人達が、かあ様とあたしを引き摺り下ろして、服を脱がせて……とう様を叩いて……あたし、怖くて……」

 こんな幼子に魔法の制御ができるとは思えない。だから、全てを巻き込んで薙ぎ倒し吹き飛ばし切り刻んでしまったのだろう。

 レイサラス家が彼女を欲しがった理由が、エルグヴィドーにも飲み込めた。制御されていない時点でこれだけの魔法を放つ少女……育てば大魔法使いになることは間違いない。

「あたしが殺した……だから、あなたはあたしを、殺しに来たのね?」

 悲しみしか宿していなかった少女の瞳が、一瞬で暗く淀む。ざわざわと木々が鳴り、不穏な風が吹き始めていた。

「私は、君を迎えに来た。君は、私の妹になるんだ」

 差し出すエルグヴィドーの手を、少女は睨み付ける。

「じゃあ、なんでもっと早く来てくれなかったの!」

 責められて、僅か十一歳の少年のエルグヴィドーは言葉に詰まった。

「あたしをどうするの?売るの?殺すの?あの人達がしたことを、するの?」

 服を脱がされ、体に触れられ……少女が強要されたことを、エルグヴィドーもおぼろげながらに想像することができた。

「あたしは、もう駄目だ。とう様とかあ様を殺してしまったもの。たくさんの人を殺してしまったもの。神様はもう、あたしを許さないわ」

 だから、と少女は低い唸り声を上げる。

「だから、あなたも、殺してやる!」

 息を飲む間もなく、白く小さな体が疾駆した。けれど放った魔法はエルグヴィドーに触れる前に霧散してしまう。

「ごめん……私は、魔法を無効化してしまう体質らしいんだ」

 ゆっくりと近寄ってきたエルグヴィドーが、続けて魔法を放つ少女の頬に触れると、彼女は声を上げて泣き始めた。


 魔法使いを祭りに招かなかったといって、呪いをかけられた村の中でただ一人、生き残った赤ん坊。それが、エルグヴィドーだった。

 使う魔法とは別に、時折、不思議な体質を持って生まれる魔法使いもいる。

 魅了、先見、過去見、魔法吸収、魔法中和など……。

 その中で極めて稀な『自分に向けられた魔法を無効化する』体質を彼は生まれながらに持っていた。それを買われ、彼はバッセル帝国の魔法貴族、レイサラス家に引き取られたのだ。


「私は親を覚えていないから、君の悲しみはよく分からない。でも、君の体に君の許しなく触れたり、君に誰かの体に触れることを強要したり……そんなことは、もう、私が絶対にさせない。君が悲しいなら、傍にいてあげる。君がつらいなら、話を聞いてあげる。君が罪を犯したなら、代わりに罰を受けてあげる……だから、泣かないで」


 不器用に囁く声に、少女の目からぼろぼろと涙が零れ落ちる。

「私はエルグヴィドー。君は?」

 問いかけられて、彼女は自分の名を告げた。


「アディラリア」

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