第37話 アディラリアと古国の王 3
体付きを強調するようなデザインの薄水色のドレスを纏い、青い付け爪を付け、長い髪を梳り、イヤリングを付け、うっすらと化粧を施すアディラリアを見て、リィザは今日はそんな日なのかと思う。ベッドの上に起き上がるとカーテンが開け放たれた窓から、朝の冷たい空気と弱い日差しが入り込んできていた。
ラピスラズリのイヤリングを付けたアディラリアは、目覚めたリィザを振り向いて問いかける。
「派手じゃないかな?これ、台座が金色だから……」
「よく分からない。それより、お腹空いた」
無愛想にリィザが答えるの構わず、アディラリアは今度は四角くカットされた付け爪を見つめた。
「赤の方がいいかな……でも、イヤリングに合わないよね」
正直どうでもいいと思いながらも、何か気の聞いた答えを口にしなければアディラリアは夕方まで悩んでいるだろうと分かっていたので、リィザは「いいんじゃない」とだけ言ってやる。すると安心したのかアディラリアは化粧台の前から立ち上がり、ゆっくりと振り向いた。絹糸のような細くしなやかな髪が、朝日に輝く。
「朝ご飯は用意してるから、食べといて。今日の勉強は休み。しばらく研究室に篭るから」
自分のできばえに満足したのか、機嫌のいいアディラリアにリィザはため息を付いた。
アディラリアと暮らし始めてから二年、彼女の謎は深まるばかりである。最初に会った時にやたらと着飾っていたので、平素からそんな格好をしているのかと思い込んでいたが、意外にも彼女の普段の格好は非常にシンプルで地味だった。けれど、二月に一度くらい、やたらと着飾る日がある。
それは、リィザが最初に来た日と同じ……アディラリアの兄であるエルグヴィドーが訪ねてくる日だった。その日はアディラリアに何を言っても無駄で、エルグヴィドーが来るまで彼女はほとんど上の空なのだ。来たら来たで妙に素っ気無い態度をとるのに。
「素直じゃないよね」
リィザの呟きに、アディラリアは目を細める。
「大人だからね」
それが大人になるということならば、自分はなりたくないとリィザは思った。
「口紅がはみ出てる」
この上なく完璧に美しいアディラリアにわざと呟くと、「え!?」と驚きの声を上げて唇に華奢な指先を持っていくのが、妙に可愛くてリィザはふくれっ面になる。そんなリィザの髪を撫でて、目を細めた。ふっくらとした唇は、同性のリィザですら魅力的だと思ってしまうほどだった。
「アディ……私、どこかへ行ったほうがいい?」
魔法使いの弟子のはずなのに、ろくに魔法も教えてもらっていない自分は、役立たずでここにいる価値もないのかもしれない。そんなことをリィザが思い始めたのは、最近のことではなかった。
ルインとアートが深夜に訓練をしていて、最近はアートの『狩り』にルインが同行していることに、リィザは薄々感付いていた。ルインとアディラリアとの会話の中に、時折、『殺す』『消す』『追い詰める』『捕らえる』などという危険な単語が混じっていて、その上、二人の距離が非常に近くなっている。
「どこに行くのかな?君がいなくなったら、私は寂しくて拗ねちゃうよ?」
軽く肩を竦めて部屋を出るアディラリアの背中を見送り、リィザはため息を付きつつベッドに倒れ込んだ。もう起きなければいけない時間だが、今日の午前中の予定がなくなってしまった今、二度寝をしてはいけない理由もない。
目を閉じると胸の奥に痛みのような、怒りのような不思議な感情が広がっていった。
――俺の弟子をたぶらかすな!
低いアートの声を思い出して、リィザは跳ね起きる。何故か心臓がうるさいくらいに脈打っていた。
無礼で不機嫌で会った時はあんなに不快で不安な気持ちになったのに、あの紫の目を思い出すと、リィザは何故か落ち着かない気分になる。彼が今どこにいるのかなどと、ついつい考えてしまう。
時々、彼の名前を呟いてみたくなる自分を、リィザは胸中で罵らずにはいられなくなった。ベッドの上に座って、リィザはがりがりと頭を掻く。
「あんな男……」
刹那、後方から伸びた腕が柔らかくリィザの体を抱き締めた。ふわりと何かの香草のような匂いが漂う。それから、乾いた土の匂い……。
「あんな男って、穏やかじゃないね、アディ……あれ?なんだか、ヴォリュームがなくなった……?」
軽い口調で低く渋い声が囁くのを、呆然とリィザは聞いていた。覗き込む漆黒の目……何十本もの細かい三つ編みにされた長い黒髪に隠されそうな端正な顔は褐色だった。
「えっと……あれ?アディ……じゃ、ないね。え?うわっ!ごめん!ごめんなさい!」
ばっと両腕を離して寝台から飛び退った長身で筋肉質な男を、リィザは驚愕に見開いた目で見つめる。
両脇に深いスリットの入った漆黒のサーコートに腰にはやたらと長く細い刀、胸には空色の三つのひし形を組み合わせたような紋章とその隣りに月と雫の紋章が刺繍されていた。
顔立ちは彫りが深く情熱的で物凄く整っているのに、その男は酷く慌てた情けない表情で頭を下げる。
「ご、ごめん!アディのベッドだから、アディしかいないと思って。まさか、こんなお嬢さんが……あぁ、本当に悪かったよ」
おろおろと慌てる顔を見ていると、凍りついた喉がようやく溶け出して、リィザは息を吸った。
そして、叫ぶ。
「きゃああああーーー!!!変態ー!!!」
「うわっ!そんな!ただでさえ、男色家ホモ疑惑が濃厚なのに、幼女愛好ロリィタ疑惑まで浮上したら、俺、生きていられない!」
拝むようにしてリィザの悲鳴を止める男に、リィザは震えながら寝台の端まで逃げた。そして、指差す。
「へ、変態!」
「ち、違うって……うーん、否定できない気分になってきた。どうしよう……しかも、少年愛好ショタ疑惑も浮上してたっけ……あ、近親相姦も?あ、俺も段々、俺って救いようもない変態老人な気がしてきた……。ごめんね、そんなじい様と同じ空気、吸いたくないよね」
たかだか十歳の少女の一言に大打撃ダメージを受ける端正な大人の男に、リィザの警戒心も少しだけ薄れた。
「あなた、魔法使い?キエラザイトの……」
父親がバッセル帝国騎士団の騎士だったので、サーコートを見慣れているリィザは、アディラリアから習ったキエラザイト帝国の紋章を思い出して、問いかけてみる。言われて男は我に返り、背筋を伸ばした。そのしゃんと伸びた背筋は、父親を思い出させる。けれど、彼の方がずっと顔立ちが整って男らしく、体付きも均整が取れている。何よりも、立ち姿がこの上なく美しい。
「初めまして、俺は、サウス。サウス・セゼン……いや、サウス・レンセって呼び名が有名かな?それとも、ギド・セゼン?」
その名前一つ一つに、リィザは聞き覚えがあった。
「ギド・セゼン・サウス・レフィグル・ダイス・レンセ……?」
全て述べてしまってから、魔法使いの名前を全て呼ぶことは、かなり親しい間柄でもなければ、戦いを挑むことと同じだと思い出し、はっとしてリィザは自分の口を両手で塞ぐ。
その時、扉が開き、銀の色彩が跳躍した。
音もなく寝台の上に降り立ったのは、紛れもなくアディラリア本人であり、彼女は素早くリィザの傍に駆けつけ、その小さな体を抱き締める。柔らかなアディラリアの体に引き寄せられて、リィザは何故か赤面した。
「語るに落ちたな、王様ユナ・レンセ!自ら変態を認めるとは!」
断罪するようなアディラリアの言葉に、その男、自称サウス・レンセは頭を抱える。
「否定できない自分が悲しいー!」
渋みのある美声で唸り、苦悩するサウス・レンセを、アディラリアは鼻で笑った。
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